この人たちにとって私は何なんでしょう。

島根県 30代


島根県在住の30代主婦です。
ここ数年都合のいい時だけ連絡をよこしてくる友人たちに辟易しています。
妊娠しただの出産しただのそういう時だけ報告だと連絡を一方的によこしてきます。
もちろんこちらがどうしてるかなんて聞いて来ない。
もし新型コロナウィルスに感染してたり、職を失ってたり、生活が貧しくなってたらとか考えが及ばないみたいです。
まさにマタニティハイ。
普段からろくにやりとりしてない相手にそういう報告って必要なんでしょうか??
私はこの人たちにとって何なんでしょうか。
都合の良い時だけ連絡よこすようなのを友人と呼ぶなら私は要りません。
友人を断捨離する時期が来ているのかもしれませんね。

感想1

経験談を読ませていただきました。
こちらの都合を考えないで良い報告だけをしてくる人たちに辟易し、怒りの感情が湧いていることが伝わってきました。

たしかに、普段やりとりしていない人から一方的な報告がきた経験が私にもあり、わずらわしいと感じたことがあります。私は自分がわずらわしいと思う人間関係は断捨離してしまうのですが、投稿者さんの経験談を読んで考えたことがあるので書かせていただきますね。

「どうして人は普段やりとりしていない人に妊娠・出産の報告をするのか」について考えると私には、人間関係の距離が関係しているように頭に浮かんできました。
人間関係の距離も近い人から遠い人までさまざまなので一概には言えませんが、ざっくりと分類してみると、下記の3種類が思いつきました。

①普段からやりとりしてお互いの近況も知っていて、お互いに配慮等しながら付き合っている距離の近い人。
②普段やりとりはしていないが何かあった時などに連絡してつながりを維持している中間的な距離の人。
③普段も何かあった時も特にやりとりしないが、お互いを知っていて偶然会った時などに話をするような距離の遠い人。

上記3つの中で投稿者さんが言う「都合のいい時だけ連絡をよこしてくる友人たち」は、②に当てはまるのではないかと想像しました。②の人達は、相手の近況を知らないため一方的に自分の良いことを人に知らせることでつながりを保っていることが多いのではないかと思います。身内が亡くなった等死亡の報告は別として、年賀状・結婚・出産といった社会の中で「めでたい」という価値観がついていることが報告されることが多いのかと思います。
もしかしたら、「祝い事」を共有する慣習的なものがあるのかもしれないと思ってしまいました。しかも金銭が絡むことが多いようにも思うので、投稿者さんが言うように都合の良い時だけ連絡をよこすというのも頷けます。

昔は誰もが結婚し出産するのが幸せというような価値観が当たり前のように存在(今も残っていますが。)しており、人を祝うと次に自分も祝われるといった慣習が機能していたのかもしれませんが、人の価値観もさまざまだし、みんな違う人生を歩むので、上記の慣習は機能しなくなっているのではないかと私は思います。
私は、普段やりとりしていない人には報告する必要を感じず、報告されるのもわずらわしいので、②の人間関係をなくしましたが、とても楽です。そして困ることは私の場合は今のところありません。
投稿者さんの人生の責任は私には取れませんので、お勧めするわけにもいきませんが、人間関係の断捨離、検討する価値はあると私は思いました。

感想2

貴重な経験談の投稿、ありがとうございます。
「普段からろくにやりとりしてない相手にそういう報告って必要なんでしょうか??」という言葉を読んで、考えてみました。

そして、「必要かどうかで言えば、必要ないだろうな」と感じました。
そして、もしかすると、「連絡」という単純そうなこと一つをとっても、世の中はマッチングでできているのかもしれないと思いました。

「この人たちにとって私は何なんでしょう」という言葉については、むずかしい質問だと思いました。
文面だけで受け取れることは多くはありませんが、まず投稿者さんに連絡をしてきた人の状況を想像してみました。
たとえば、普段は気になっていても中々連絡する機会を見つけられなくて、妊娠や出産という機会を通じて話したいと思ったという可能性もあるかもしれませんし、実はつらいことがあって誰かと話をしたかったのかもしれません。あるいはちょっと自慢をしたかったということなのかもしれません。とてもたくさんの可能性があって、「これだ」と決めつけることは、やはり少なくとも連絡をしてきたその人自身以外にはできないように思います。
ただ、少なくとも連絡したきた人は投稿者さんへの連絡を「したい」とか「したほうがいい」というふうに思ったのだろうと思います。
一方で投稿者さんがそのメッセージを受け取っていやな気持ちになったことも事実だと思います。

また文面から、投稿者さんが生活の中で困ったり悩んだりしているという状況の中だったのかなとも受け取りました。
そして上記のことは、連絡してきた人が思ったことやそれに基づく行動と、それを受け取った投稿者さんの感覚がマッチしなかったということなんだろうと感じました。
それはお互いにとってきっと嬉しいことではないけれど、人がみなそれぞれの感覚や経験や思考を持って生きている以上、現実の中では起こりうることかなという気もします。

ではマッチしなかったときにどうすればいいか?と考えてみたとき、やり方はいろいろあるかもしれないと感じました。
たとえば、送り手の意図をたずねる、送り手に自分がどう感じたかを伝える、関わりを減らす、見なかったことにする……その行動によって新しいマッチング、あるいはミスマッチが生まれることもあるかもしれませんが、そのどれもが正解や間違いではないと思います。(というより、正解も間違いも存在しないというほうが適切かもしれません)

私の勝手な願いではありますが、どういうやり方にしても、どういう選択にしても、投稿者さんが穏やかに過ごせたらいいなと思いました。