ここチャット「「家族は助け合うべき」なのだろうか?」実施レポート(2021/08/21)

2021年8月21日は「「家族は助け合うべき」なのだろうか?」というテーマでここチャットを実施しました。参加者は4人でした。

最初に2つの質問をしました。

■あなたにとって家族とは?

この質問には以下の回答がありました。

  • たまたま自分を生んだ人たち
  • 大切で時々厄介
  • 両親
  • 無くならない過去

■家族にまつわるメリット・デメリット

この質問には以下の回答がありました。

  • メリット:家族割、2人以上で住む方が経済的なコストがかからない
    デメリット:家族行事への参加
  • メリットと言うのは憚られますが、一緒にいると安心感があります。デメリット、といえばやはり家族と言っても違う人間なので、時には一緒にいること自体がストレスが溜まることでしょうか
  • 自分にとってのメリットは私にとって必要な教育を受けられたこと
    自分にとってのデメリットは教育や価値観を強いられたこと
    家族そのものの最大のデメリット(というかリスク?)は選べないことが多いこと、だと思います
  • メリットは慣れ、デメリットは足の引っ張り合い

家族と慣れ

「メリットは慣れ」という回答について、「『慣れ』というのはどういうことなのか聞いてみたいと思いました。「自分以外の人がいる」ことのメリット?に近いのでしょうか」と聞く人がいて、このようなやり取りがありました。

「ある程度の時間をその人と共有した記憶がないと、自分にとって家族という認識にはならない気がしました」

「記憶を共有していくことが、慣れになる、って感じですかね?」

「慣れは、初対面の人と比べて家族は、「この人はどんな人なんだろう?」とか、いちいち考えなくても、お互いの扱い方をだいたい知っている、という感じです」

「たしかに知っていることは多いから、その分考えなくていいことはありそうです。でもそれは『一緒に長い時間過ごしている人』だったらだれでも同じかな」

「勉強や仕事を一緒にしているひとは、共有する時間は長いけど、家族ではないなぁと思います。家族は『無の時間』を共有するみたいなイメージですかね…」

学びの機会

教育をメリットと書いていた回答について、「私は家族に勉強の邪魔をされていた記憶があるので、教育がメリットというのは、そういう人もいるのか~と思いました」「経済的なコストが減ることや、教育などの機会はメリットになりうるなぁと思いました。(どの家族でも当てはまることではないと思いますが…)」と考える人がいました。

「家族」のイメージ

「デメリット:家族行事への参加」という回答に関して「自分は家族で出かける機会がほとんどなかったので(むしろそういうことに憧れて育ったので)家族行事がデメリットと伺ってそのような視点もあるのだなぁ、と感じました」と書く人がいました。

ここから、「自分が出不精なのもあるのですが、知らない場所を歩き回ったりする(観光?)よりも、家で本とか読んでる方が楽しかったです。あとは墓参りや葬式、結婚式とかも面倒だなと私は思っています」「私も家で本を読むことは好きで一人でいる時間も楽しかったです。本は沢山好きなものを買い与えてくれましたが、思い出の共有はあまり出来ておらず、侘しさを感じます。良い年をして恥ずかしいことかもしれませんが、”家族”に幻想を抱いていた(いる)のかもしれません」というやりとりがありました。

また、「小説や漫画などで、たまに家族のシーンで感情移入しまくってしまうことがあり、さっき書いてた『家族の幻想』みたいなのが自分の中にあるからなのかな??と考えていました」と考える人がいました。

信用

「そういえば、前に結婚していた時に『夫婦なら』と信用される感じがありました。結婚していない男女だと、なにかと悪いみたいに言われることも多いので不思議だし、その信用は意味不明だなぁと思いました。(賃貸契約とか)」と各人がいました。

この発言から、「紙ぺら1枚で決まることなのに、家族かどうかで社会からの位置づけや捉えられ方が変わるのは、意味がわからないなあと思います」「確かに紙切れ一枚の契約のようなもので寄り添った他人同士が家族になるってよく考えると不思議なことです」「賃貸契約とかの信用は『派手に結婚してると周りに言って、いろいろ手続きしたら、簡単には離婚できないだろ』みたいなのがあるのかなぁ」というコメントがありました。

家族の境界線

「自分の家族ってだれだろう?と考えてみたのですが、あんまりはっきりしなくて、ふむ…となりました。

みなさん、家族って言われて、明確に『この人までは家族』って線引きできますか?」という質問をする人がいました。これに対し、以下のような回答がありました。

「私にとっては両親だけです。兄弟はいなくて、大人になるまで一緒に住んでいたのが両親だけだったので。元夫のことは、夫とは思っていても、家族とは思っていなかった気がします」

「自分にとって元家族は母と弟だけで、それははっきり線引きしていました!」

家族は助け合うべきだと思う?

「みなさん、家族は助け合うべきだと思うときってありますか?思わなくても、そうせざるを得ないときもあるのかもです。」という質問があり、次のような答えがあがりました。

「家族「だから」助け合うべきだとは思わないです。でも、助けたいとか、大事にしたいとか思える相手がいるのはいいなと思ったりします。漫画とかだと、それに感動するのかなぁ?と思いました。

(べつにその時々でよくて、特定の相手である必要もないとは思いますが…)」

「たまに生存確認をした方がいいのではないか?と元家族の安否が不安になってしまうことはあります……;」

「家族は邪魔をしあうものだと私は思うのですが、なるべく邪魔の影響範囲を小さくした方がいいとは思っています。それは助け合うというよりは、気遣い?かなと思いました。」

家族と役割

「私は私の父親が嫌いなのですが、もし彼が私の父親という合ってない役割を負わずに、ただ近所のおじさんとかだったら、それなりにいい関係を築けたかもなぁと思います。それもなんか損な話だなと思いました」と話す人がいました。

これに対して「近所のおじさんだったらというのは、どのあたりがポイントですか?会う頻度か、ステータスか…など色々考えられるなと思いました」という質問があり、

「父は『父親・夫だから稼がなければいけない』というプレッシャーでまずおかしくなっていて『無理して稼いでやっているのだから自分に合わせろ』と家族を抑圧していたので、まずそれがなければ…と思います。一方で、そういう自分を恥じていたり、自分なりの知識や考えを深めていたりしている姿は、側から見ると面白かったので、そういう部分(だけ)で関われたらよかったかも?と思いました。でもそれは父が悪いというか、父が担わなければならないとされた役割を、一緒にやる人がいなかった(たりなかった)ことが問題なのだと思います」と話していました。

また、「近所のおじさんとかって、必要な存在ですか?または、いてもいなくてもあまり変わらないけどいてもいい人?」という質問から「近所のおじさんはいてもいなくてもいいですね…。というか、極端に言えば、私にとって絶対に替えが効かない人は存在しないと思っています」「いてもいなくてもいいって言うと、なんか冷たく聞こえますが、それは『大切にしてない』ってこととは違う気がしました」というやり取りがありました。

「そういう『役割』とか『助け合うべき』って、どこから来るんですかね?群れで生活していたときの名残り…?」と分析する人がいて、「役割は約束なのかな。あらかじめ約束してあるから、ある程度予測して動ける、みたいな?近代のことでは、高度経済成長期のサラリーマン幻想とか核家族とかのなごりの部分もありそうです」と考える人もいました。

最後には、「結局、助け合うとかそういう問題ではなく、家族がオワコンなんだなと思いました!(個人の感想です)」「『家族』にこだわるよりも、子育てなら、子どもを育てる上で、必要なこと(役割より細分化された)がある程度わかって、それをもっといろんな人で一緒に担って行けたらいいのになーって思いました」「家族かどうかに関係なく、本心から大切だと思う存在を大切にできたらいいのかなーと思いました」「色々な形があってよいのかなぁと思いました」などのコメントがありました。

参加者の感想

少しテーマからそれた話をしてしまったような気がして、途中から読むだけになっていました。また、参加人数が少なかったことが残念でした。もっと多くの方の家族へのご意見を伺いたかったです。でも、チャットでも書きましたが、自分の「家族」への固定観念が少し柔軟になったように思い、感謝しています。自意識過剰とは思いますが、自分の意見が他の方のご気分を害することがないといいな、と毎回思います。今回は人数が少ないため余計にそう感じました。有意義な時間をありがとうございました。
「家族だから」と理由でなにかをやらなければいけないというのは変だと思いました。家族というものへの信頼や信用がこの社会ではとても強くて、そのせいで人が役割を背負わなければいけなくなったり、不自由になったりすることも多そうだと思いました。家族かどうかより、大切にしたいと思う人を大切にできることのほうが大事だし、その関係性の名前はなんでもいいと思いました。また、子どもを育てるのには必要な環境とか教育とか接し方とかがいろいろありそうですが、それを与えるための適性は誰にでもあるわけではないと思います。それなのに向いていない人が、配偶者と二人きり、時には一人で、たくさん背負うのには無理があると思いました。それぞれが向いていることを、できる範囲で、いろいろな人と分担してやり合えたら、それこそが「助け合う」ことになるかもしれません。それは家族というか社会なのかもしれませんが、そういうやり方ができたらいいのに、と思いました。
家族は助け合うべきなのか?という問いの答えは、すでに出ているようでした。助け合うべきか以前に、家族から背負わされる役割は重たく、多くの人はかえって悪影響を受けていると感じました。今回、私が一番意義があると感じたのは、「助け合うべき」どころではない現状を共有できたことです。
家族については、私にとってどちらかと言うと目を背けたいものだけれど、他の人と話しながらであれば考えやすかったです。家族はもはや必要ない概念だと思っていても、世間的にその考え方が許されないことがあり、苦しんでいる人も(自分を含めて)いると思います。でも自分たちが何に縛られているのか、なんでそうなっているのか知るために、家族についてどう捉えているか語り合う機会はもっとあったらいいかもしれないと思います。