札幌からこんにちは、芦名沢明菜(あしなざわあきな)といいます。中谷衣里さんからバトンを受け取りました。簡単に自己紹介します。珍しい苗字らしいです。社会人4年目です。双子の姉がいます(ここポイントです)。音楽フェスに行くこと、ぼのぼの(青いラッコのキャラクター)、明太子、紅茶味と書いてあるお菓子、海、起きる時間を気にせずに寝ること、が好きです。結構何でも不安と心配でいっぱいです。妥協するのが苦手です。人の気持ちや表情に敏感です。コアラを抱っこすることが夢です。
それでは、少しだけ思っていることを書いていこうと思います。
私は今年の4月から、特定非営利活動法人 女のスペース・おん(https://www.onnano-space-on.or.jp/)という団体で、DVで悩んでいる女性の支援をしています。
DV(domestic violence)とは、夫婦やパートナーなどの親しい間柄で起こる暴力のことで、身体的暴力(殴る・蹴る・刃物突きつける等)、精神的暴力(大声で怒鳴る・見下す・人格を否定する等)、経済的暴力(生活費を渡さない・必要なものを買わせない等)、性的暴力(嫌がっているのに性行為を強要する・避妊しない等)、社会的暴力(友達や異性、家族等との関わりを制限する・監視・監禁等)などがあります。さまざまな暴力を繰り返しながら、時には優しくして相手を自分の思いどおりに支配(コントロール)しようとする態度や行動のことをいいます。
DV被害にあっている女性たちの相談を受けたり、民間シェルターを運営しながら、安心・安全に生活を再建できるようにさまざまな団体、機関と連携しながら支援をしています。実際の支援を行うとともに、行政、団体、学生などに向けてのDV・デートDV防止講座などの啓発も行っています。また、誰もが尊重され安全に生活できる社会になるように、国や自治体への施策提言なども行います。
4月までは、札幌市男女共同参画センター(https://www.danjyo.sl-plaza.jp/)というところにいました。ここは、性別によって仕事や生活が制限されたり、家庭や職場などでの役割が決められることなく、個人の希望が尊重され、自分らしい生き方が選択できる社会を目指して、講演会や学習会、相談窓口を開設するなどの事業を行っています。
どちらも「個人が尊重される社会」を目指していますね。この2つの仕事に辿り着いたのは、私が「自分らしく生きること」が大切だと思っているからだと思います。
過去を辿ると私は中学生のときに、「何で生きていなきゃいけないんだろう」「生きている意味が分からない」という気持ちを抱いたことがあります。色んな人に双子の姉と見た目や性格・学力を比較されることで、自分の方が劣っていると思ったり、どんなに頑張っても姉のようになれなかったことで、自分はダメなやつだから仕方がないと思うようになったからです。
劣っているダメな自分は認めてもらえない、頑張ったって無駄だ、どーせ自分にはできないって、色々なことがどーでも良くなって、何事も諦めるようになりました。やりたいことも頑張りたいことも無くなっていって、誰かに合わせたりラクに適当に毎日を過ごすようになりました。
そんな生活を続けていると、自分がわからなくなってしまって、自分は空っぽだって、なんだかとっても虚しくなったんです。
でも、誰かに相談してみようとは思いませんでした。自分の気持ちを上手く説明することもできないし、理解してもらえないと思っていたから。
こんな自分がすごい嫌で、変わりたかったし、この状態から抜け出したかったけど、こんな風になりたいっていうのも分からないし、どうやったらこの状態が良くなるのかも分からなかったから、どうすることもできませんでした。立ち止まり続けていることが悔しくて、苦しかったです。
でも、ちょっとしたきっかけで学級代表をやらされることになって。無理やり与えられた機会だったけど、もう一人の学級代表に迷惑かけたら申し訳ないし、頑張らないとなーと仕事をやるようになりました。頑張って何かをするって大変だし、めんどくさいなって思うこともあるけど、一つの目標に向かって人と協力することが楽しく思えたり、適当な自分よりも何かを頑張れる自分の方が好きだなと感じました。
高校に入学してからは、ちょっと楽しそうだなと思った学校祭の実行委員を迷いながらも「やりたい」と自分から立候補することができました。クラスの皆と沢山相談して良い作品を作り上げることができて、今まで感じたことがなかった達成感を得ることができたり、実行委員の頑張りを認めてくれる人もいて、少しずつ心が満たされていきました。
高校を卒業して、姉は専門学校、私は大学へ。姉と離れたことでやっと解放されたと思って、姉と比較されることを恐れずに、自分のやりたいように過ごしました。大学で出会う人達は、誰とも比較することなく私を見てくれて、「あきってこんなところがあるよね」「あきらしいね」なんて言ってもらえるようになりました。良いところも悪いところも私らしいって思えるとなんだか嬉しかったです。
自分の気持ちに蓋をしていることが多かったけど、人との関わりを止めたり拒むことはなかったなーと思います。空っぽな私はきっと誰かと繋がっているだけで安心していたのかもしれません。
何かを頑張ってみる楽しさを味わえたり、小さい成功体験ができたり、認めてもらえたという安心感で満たされたのは、答えが見つからなくてもとりあえず生きて、人との関りが途切れなかったからだと思うんです。
何で生きているかは未だによく分からないけど、意外と人との繋がりさえ切らなければ、いつかは、変われるようなきっかけをくれる人、辛い気持ちに向き合ってくれる人、今いるところから抜け出す手助けをしてくれる人、一緒に考えてくれる人、どんな自分も受け止めてくれる人に出会えるんじゃないかなと思います。
少ないかもしれないし、なかなか出会えないかもしれないけど、あなたとその時々で繋がる人がいるという可能性は自ら潰さないで欲しいなって思います。「運がいいだけ」「自分にはそういう人がいない」って思う人もいるかもしれないけど、そう思うのは当然です。まだ出会っていないんだから。
どうしたって他の誰かにはなれないし、同じ人なんていません。私は私でいるしかない、私のままでいいんだと思えたから、私は自分のやりたいことをやって、ありのままの自分で人と接して、大切にしたいものを大切にして、自分らしく生きています。
自分らしくいることができれば、きっと生きていたくない気持ちって薄れていって、生きているからこそ感じられる嬉しさや楽しさで少しずつ満たされていくんじゃないかなって思います。
どんな環境で育っても、どんな場所にいても、暴力やジェンダーなどのさまざまな理由で自分らしくいられていない人も、人との繋がることを諦めないで欲しいです。
自分で色々な選択をしていくことができるように。自分を大切にすることができるように。自分らしくいられる人が増えていったらいいなと思っています。
誰かに相談しよう。と気持ちを固めなくても良いと思うんです。とりあえず気持ちを吐き出してみる、なんとなくモヤモヤを誰かに送ってみる、困っていることを言ってみる、でもいいです。それだけで人と繋がることができると思います。最後に「繋がる」をひとつ紹介して終わりますね。「若い人のためのDV・性暴力SNS相談Hokkaido」( https://www.hokkaido-shelternet.com/)
いつでもメッセージを送ってくださいね。あなたが繋がってきてくれることを待ってます。
~投稿を読んだ死にトリスタッフと芦名沢さんのメッセージのやり取りもご紹介します~
こんにちは。いるネットに寄稿してくださってありがとうございます。
自己紹介を聞いて、なかなか内面的に忙しい毎日を送っている方なのかな、と想像してしまいました。好きなものや夢があり、不安と心配もいっぱいで、人の気持ちや表情にも敏感となると、様々なことを感じたり考えたりしていそうだなという印象を持ったからです。
→忙しいという自覚はあんまりなかったりします(笑)きっとこれが私の普通なんだと思います。
DVについて説明してもらい、「さまざまな暴力を繰り返しながら、時には優しくして相手を自分の思いどおりに支配(コントロール)しようとする態度や行動」はこの社会でありふれているなと思いました。暴力によらない人間関係を築くことは、果たして可能なのだろうか?と考えてしまいます。
→加害者になってしまう人は、数ある選択肢の中から暴力を自ら選んでいます。暴力では何も解決しないですし、どんな理由があっても人を傷つけて良い理由にはならないんです。暴力を選ばないように、被害者にも加害者にもならないようにデートDV防止講座にも力を入れています。
DV被害は、性別を問わず遭遇する可能性がありますが、被害に遭うと、相手と同じ性別の人たちに恐怖を抱くことなどもあると考えると、安心を取り戻すためには一定期間、性別を限定された空間を用意することも必要なのだろうと思いました。
→そうですね、安心を取り戻すのには時間がかかります。まずは安全な場所で気持ちを休ませて過ごすことが大切だと感じています。
安全・安心な生活を望むことは、人々の基本的なニーズだと思うのですが、今の社会ではなかなかそれができる環境がないように思います。死にトリに寄せられる声を見ていると、今まさにDV被害に遭って支援を求めている人に限らなくても、安全・安心の基盤が得られない人はたくさんいるのだろうと私は思います。
また、これまで向き合ってこられた課題は、性や性別と、切っても切れない関係にあるのかなと思いました。私は、子どもの頃は、「性別によって仕事や生活が制限されたり、家庭や職場などでの役割が決められること」(本文から引用)なんてないだろうと思い込んでいました。仕事もライフスタイルも、自分で選べるもの(むしろ選ばなきゃいけないもの?)と思っていました。しかし、大人になろうとする頃から、社会と関わりをつくろうとすればするほど、選択が性別によって阻まれていることを強く実感するようになりました。
私は、このような事態があることそのものよりも、事態に向き合わず、「そんなことはない」と思い込んだり教え込んだりして、差別を常態化させてしまうことの方が、恐ろしくて悲しいことだなと思います。
→いるねっとさんが仰っているように、無意識に価値観を押し付けたり、普通への思い込みによって傷ついている人は少なくないと思います。誰かの人生に関わるようになってから、お互いを尊重して大切にできる人でありたいなと強く思うようになりました。
芦名沢さんが中学時代に抱いた「自分はダメなやつだから仕方がない」という思いも、周囲から教え込まれたことだったのかなと思いました。周囲の人たちに、そんな意図がなかったとしても、結果的には「劣っている」「ダメなやつだ」というメッセージになってしまうことはありそうです。
→私の場合は、自己肯定感の低さから、自分の中で言葉や状況をマイナスに変換していたんだと思っています。
「でも、誰かに相談してみようとは思いませんでした。自分の気持ちを上手く説明することもできないし、理解してもらえないと思っていたから。」とあり、そんなふうに思っている人は、このサイトを訪れる人も含めて、たくさんいるのだろうなと想像しました。日頃から自分の思いや考えを表現し、それを認め合う経験をしていくような機会がないと、いざという時にも相談するという発想に至らないのだろうなと考えました。それはDV被害に遭った時でも同様なのではないかと思います。(でも、相談しようとも思えないから相談機関は要らない、ということにはならないと思います。)
→私のように相談しても無駄だと思っている人や「こんなこと相談してもいいのかな」「話すの怖いな」とか色々なことを思っている人がいると思います。私もそうだったので、相談するというハードルの高さが分かります。でも相談を受ける側になってから、「相談してくれてありがとう」「話してくれて本当に良かった」「あなたらしく生きていけるように何かできることないかな」といつも思っています。誰かと繋がることで錆びついてしまった心や何も感じ無くなってしまった心を少しずつ動かしてくれると信じたいです。
その後、学級代表になって「人と協力することが楽しく思えたり」したとあり、今でも芦名沢さんの中では、人と協力することを楽しいと感じる気持ちは変わっていないのかなと想像しました。(だから今回のいるネットにも快く協力してくださった、という側面もあったのかなと勝手なことを思ったりしました。)
私自身も、人と協力することに喜びを感じることはあるのですが、その喜びを忘れてしまって人と関わるのが面倒に感じることもあって、それは何が違うのだろうかと、もう少し考えてみたくなりました。
→私もあります!人と関わるのがめんどくさくなること!自分の気持ちに余裕がなかったり、疲れてしまっていたり、上手くいかないことがあったりするときにそうなることが多いです。そういうときは一旦頑張るのをやめます。身体や心が、「休め!」って教えてくれているんだと思うので。(笑)
大学では、姉の比較対象としてではなく、個人として尊重される経験をされたのかなと思い、そのような経験を持つ芦名沢さんが「個人が尊重される社会」を目指す取り組みをされていることには筋が通っているなと納得しました。
最後には、人との関わり・繋がりについてのお話があり、人との関わりが薄く細くなっていても、また新しく結びなおすことはできるのだろうと、信じたくなりました。「立ち止まり続けていることが悔しくて、苦しかった」という言葉のように感じるときも、小さなところから、安全・安心な人との関わりを試してみることで、DVなどの暴力によらない形で人間関係を持てる人が増えればな、と思います。
→安心できたり、心地いい関係性って人それぞれ違うと思うんです。お互い確かめ合いながら、少しずつ少しずつ結んでいけるといいなぁと思います。ありのままの自分で笑える人が増えていくように、これからも沢山の人と繋がっていきたいです。