ここチャット実施レポート「信頼ってどういうことなんだろう」(2021/07/26)

2021年7月26日は「信頼ってどういうことなんだろう」というテーマでここチャットを実施しました。参加者は4人でした。

初めに、2つの質問に答えました。

■「信頼」と聞いて思い浮かべるイメージを、20文字以内の短い文章で表すと?
これに対し以下のコメントがありました。

  • 「自分はこの人に任せることができる」
  • 仲間、家族のようなもの
  • 信頼というと仕事で同僚に対するニュアンスがパッと出てきます。
  • 中途半端なもの

「信頼度は0か100かではなくて、微妙な事が多い気がするので、中途半端なものって書きました」という補足もありました。

■「信頼」に似ている・近いと思う言葉をあげてください。
これについては以下のような回答がありました。

信用(2人が回答)、委任、分かち合う、依存、期待、居場所、約束

信頼の対象はいろいろ

信頼の対象については、同僚の他にも、「身近な人以外にも、テレビに出る人とか、本の著者への信頼感?(とか、信頼できないなぁとか)がある気がします」「私は先生や先輩など、どちらかというと年上の人を思い浮かべました」「あとは何かサービスを受けるとき、信頼していいか、ちょっと気にしてます」などが出てきました。

また、「橋の上にいるときに『この橋が崩れるかも』って怖くなるのは、橋を信頼できてないからかなぁ?車に乗ってても、怖いと思うことがあります」と話す人に「ビジュアル的な物もあるのですかね。あきらかにボロな脆弱な橋なら渡りなくない、出来たてのコンクリの橋なら信頼し渡る気がします」と返す人もいました。

「身近な人への信頼、サービスへの信頼、環境や自分が身を預けるものへの信頼、人間全般への信頼、あと自分への信頼とか?いろんな種類がありそう」と考える人もいました。

恐怖を感じると信頼はむずかしい?

「恐怖があると信頼って難しい気がします」という意見が出て、「恐怖は、信頼とはかなり逆のほうにありそうな感覚だなぁと思いました」「極端な話、恐怖を植え付けられたら信頼なんてもっての外です」と返事がありました。

「人に恐怖を感じたらトラウマになりますよね、大袈裟でなく本当に近付けなくなってしまう事もある」と話す人がいて、希死念慮を抱えていても、地震は怖いという話や、死にたいと思うと言っても、怖い死に方をしたいわけではないという話もありました。

ここから、信頼と恐怖の違いについて考えを深めていきました。

「信頼は預ける/預けられる(→預けてもいい)みたいな感覚のなかにあるイメージ、恐怖は奪う/奪われる(→奪われたくない)という感覚のなかにあるイメージ」みたいな違いがある?という考えや、「信頼できるかできないかは、直感でパッと判断していることと、もうすこし頭でじっくり考えて判断すること、どっちもありそうだと思いました。恐怖は、考えるまでもなく条件反射的に感じそうです」という意見がありました。

自分への信頼

自分への信頼については、「私は自分の事をあまり信頼は出来ないかも。怖がりだし、失敗も多いから」と話す人がいました。
また、「私は信頼というか、自分にへんに期待しすぎて、結局できなくて凹むことは多いです。それと信頼はどう違うのかなぁ」と話す人がいて、「ちなみに私は今日それが上手くコントロール出来なくて凹み疲労状態です。頭でイメージついてもやりくりするのは大変ですよね」というやり取りがありました。

信頼と信用と期待について(信頼には前提となるものがある?)

「信用はしても信頼はできない」という言葉から、「信頼は信じる事に心根、思いやりが掛橋になり成立する中で信用、真面目は事務的、業務的なものが掛橋になり信じる事が出来るモノかなと考えています」と違いを書く人もいました。

この「掛橋」という表現から、信頼は「前提となる積み重ねがあるってことかな?」と考えて、「期待は未来を見ているニュアンスが強くて、信頼は過去からの積み重ねを大事にするニュアンスが強いのかな」と考察する人もいました。

これに対し「無意識に書きましたが信頼というものには前提となる何かが存在して然るべきなのかもですね」と話す人もいました。

この「信頼の前提」についての話の中で「まず自分の中に期待があって、それに応えられるなかで信頼は積み重なっていくのかな。自分についての信頼も、『自分ってこうかな?』という期待が『あ、たしかにこうだったな』と実感していくとできていく?」「期待が大きすぎても応えられるものがないし、期待がなければそれはそれで応答は生まれないから信頼にはならない…」と考える声もありました。

また、「『直感的に信頼できると思った』のようにちゃんと言葉にならないこともあるとは思いますが、たしかに前提があるから信頼があるのかな?と言う気がしてきました」という意見がありました。

この話題を受けて、「たしかに、生まれた時からみんなのこと信頼してる!という人はいなさそうです…」「赤ちゃんも『この人は自分にごはんくれるなぁ』とか観察していくなかで信頼したりするのでしょうか…」と想像する人もいました。また更にこの話を受けて赤ちゃんも「観察して、信頼できる人探しをしていそう」という話もありました。

これまでの話を受けて、「会社とか生活の中だと単純な『ごはんくれる』とかだけじゃない、高度な?観察が必要なことが多くて疲れるなぁと思うのですが…一方で、赤ちゃんの時から人はずっと信頼できる人探してをしてるのだとすれば、それはわりと共通することで、お互いさまなことなのかも?と思ってきました」とイメージする人もいました。
「お互いさまで良いじゃないか、そういった事で人は信頼し合えるのに難しいですね」という声もありました。

信頼も恐怖も自分を守る手段?

また恐怖と信頼の関係についての話題では、「恐怖→自分を守るための防衛反応?」という考えが出てきました。そして「信頼はその(恐怖の)反対の感覚で、でも自分一人だけでは自分を守りきれないから、誰か何かを信頼しないとそれはそれで苦しいし生きるのも難しいみたいな感じなのだろうか」と分析する人もいました。

この意見に関連して「信頼できることが少なくても、死にはしないかもしれませんが、できることの選択肢が減りそう?」と考える人がいて、「孤立してしまいそうだし、世界が狭くなってしまうような気がします」と同意する声もありました。

そこから「もしかしたら、信頼も自分を守る為の手段なのかな…って思いました。極端にありそうだけど、裏表一体のようなもので近いのかも。生とタヒ(死)、嫌いと好き、みたいな」という意見があり、それらを受けて「いままで恐怖とか信頼とかは別々の概念のイメージだったけど、表裏一体というのを読んで、ちょっと結びついた感じがしました」と話す人もいました。

「信頼」は特別ではない?

話の後半では、今までにしてきた会話を振り返って「信頼って、少し特別な関係というイメージでしたが、話してみると、身近な存在に少しずつしているんだなと思いました」と話す人もいました。

この言葉を受けて「自分で思うよりシンプルなんですよね。なのに色々あったりして、考えすぎてしまうのかなと思いました」「特別で完璧で全面的な信頼じゃなくても、『あの人、ペン貸してくれたな』とかの小さな?ちょっとした?ことからも信頼になるのかって思いました」という声もありました。

一緒に深く考える相手への信頼

チャットに参加して話をしたことについて、「私が思う信頼、誠実さというのは信頼というシンプルな事にここまで一緒に深く考えてくれる、それも信頼だと思います」と考える人もいました。

この言葉に「すごくわかる気がする」という意見もありました。
「『信頼が少ないと選択肢が減る』という話もありましたが、(それとは反対に)こうやってみなさんと話せたことで、自分では気づかなかった考えに辿り着けて、それは信頼につながる感じがするなぁと思いました」と話していました。

最後に、参加者の感想を共有します。

信頼という物の考え方やイメージの仕方の多様性やみんなの捉え方を知れました。また、信頼などの感情や人間の心理について話し合ってみたいです。
チャットに慣れてなくて、緊張しましたが参加出来て良かったです。「信頼」から生死の話、赤ちゃんの話などになったのが興味深かったです。このテーマも深いテーマだと思ったので、定期的に取り扱ってほしいなと思いました。
信頼と信用の違いの話や、信頼と恐怖は表裏一体という考えなど、読んでいて新鮮なことがいろいろありました。信頼するのが難しいと書いている人がいるし、自分も難しいと思うことがあるけど、信頼について話している中で、それは普通の、ちょっとしたことなのかもしれないと思うようになりました。そうは言っても信頼できないと感じることや信頼されていないと感じることは現実にあって、難しいことは多いけれど、ちょっとした信頼に気づきながら生活している方が少し嬉しいかもしれないと思いました。
信頼はどういうことか、について色々な角度から話し合えて、納得できることも多かったです。他の人の発言をヒントにして、一緒に深めていくことが楽しかったです。信頼は、期待に応えられる経験の積み重ねでできていくのかな、という考えから、自分や他人や物事に期待するのは悪いことではなく、自然にやっていることなんだと思えました。あえて信頼しようとしなくても、色々なものに少しずつ信頼できているような経験が積める社会になればいいなと思いました。