ここチャット「健康ってどういうことなんだろう」実施レポート(2021/07/18)

2021年7月18日は「健康ってどういうことなんだろう」というテーマでここチャットを実施しました。参加者は5人でした。

初めに、2つの質問に答えました。

*「健康」と聞いてイメージするもの・こと
これには以下のような答えがあがりました。

調子が良くて安定しているイメージ、強いこと、ダイエット、ジム、病院、自家発電、大事なこと

この「自家発電」という回答について「どんな感じですか?」と聞く人がいて、書いた人からは「生きていくエネルギーや、満足感を好きなことや趣味、音楽、自然の中での遊び、なんでもいいんですが、そういったことで自己供給できることです。そういう元気の源にアクセスできてる状態です」と返事があり、「元気の源が、他人に依存する形ではなく、自分で見つけられている、って感じで理解しました」とやりとりしていました。

*「健康」について疑問に感じること
これには以下のような答えがあがりました。

  • 心身ともに健康であることの難しさ
  • 健康を目指すために無理するのってなんかへんだな
  • 健康は年齢や性別によって違うの?
  • 健康じゃなかったら病院に行くべき?
  • 健康になりたくないのはおかしい?
  • こころが不安定でもからだが健康なら、それは健康と言えるのか
  • 健康であれば嬉しいけど、病んでちゃいけない、健康であれと言われるのは嫌だ

体の調整機能について

参加者の一人が次のような書き込みをしました。

「ここ数日、久しぶりに都会に来ているのですが、街中の情報量が多すぎて、すごく疲れてしまい、久しぶりにかなりの過眠状態になっています。『体は私が意識するまえから調整をしようとしているんだなぁ』と、びっくりしました」

それを聞いて、「生きものに備わっている調整機能ってすごい…と思います。体温調節とか、意識しなくても色々やっていますね。」と話す人もいました。

さらに、別の参加者からは「よく身体は怠けるから管理しないといけないっていう言い方を聞くけど、寧ろ頭より身体の声を聴く方が健康に近づく気がするなというイメージがあります」という話がありました。

また、「自分の体が『勝手なことをする(うまく制御できない)からこまる』という感覚はずっと持っていました。でも今になると私の方が、体よりも全然私のことわかってないだけだな…て思います。」という声もあがりました。

自分をわかるには?

「『自分のことは自分の体に聞くべき』と思っても、今度は『でもそれはどうやって?』と途方に暮れちゃったりします…」と言う人がいたことから、「自分のことだけど、自分を理解するのは簡単ではない」という意見や「自分のことはどうしたらわかるんだろう?」と疑問が出てきました。

これについて、「誰にも見せない前提でなんでも思ったこと書いていい日記を書いてるんですが、周りへの配慮とかその空間では必要ないので、素直な気持ちを出しやすくて、自分をしるのに役立ってます」と返す人がいて、周りへの配慮をしない前提を作ることについては「たしかに、自分の中にあるものを覆い隠した状態で、適切な見立てをするのはかなり難しい、というか一種の賭けみたいな状態ですね…」という意見が出ました。

「ほんとうであれば、自分を知ろうとすることを一人でやるだけでなく、いろんな人と安全に話したり、フィードバックをもらいながらとかだったら、もっと自分のことがわかるかもしれないのになぁ、と思います」という考えや「都会やネットのような情報過多なところだと、身体の声が聴こえづらい…」という考えも出ました。

「もっと人の性質や状態をしっかりわかるためには、いまの医学とか社会ではそんなに重要視されていない見方がもっといろいろ必要なんだろうな」と考える人もいました。

健康の基準?

健康について、「ちょうどいいとされている基準も所詮は誰かが決めたものですから、苦しい思いをしてまで、そこに合わせないといけないのか時々疑問に思います。でも自分にとってちょうどいい基準も分からないから悩みます。」と話す人がいました。

これを聞いて、「健康は数字だけでは測れないと思います。でもなんか、病院では検査結果の数字ばっかり見てる気がします…。」という意見があがりました。

これについて、「検査結果の数字は分かりやすくその人の状態を分かった気になれるかなと思います、ただ、数値以外のところも見てほしいけど、そこを評価されることの危うさも感じます」と話す人もいました。

自覚と社会の中での視線

また、自己理解についての話題の中で「特にメンタルに関しては、限界が来るまで病院に行かない、病んでいることに気付かない人が多そうです」という意見を話す人もいました。

これに対して、「私は病院に行かなくても、絶対病気だなーと自覚していました(笑)」という経験を語る人もいました。

この流れの中で「私は病気だらけで薬飲んで保っている。周りは知らないかな」と話す人がいた他、周囲からの理解について「『つらさ』を分かってくれる人って、そんなにいないような気がします」「自分の経験上、我慢が美徳の人が多かったです」、「『なんでそんなことで悩むの?病院に行こうとするの?』と言われました」というような経験が語られました。

また、「昔の自分は病んでいたけど、今の自分は病的だとは思っていなくて、そして今も昔も健康かはわからなくて(どっちでもいい気もする)、でも困ることや人に迷惑をかけること、できないことはいっぱいあります」と書く人がいました。

この流れで「健康じゃないということより、自分が社会で生きていくのに困ってるということのほうが重大な感じがします」「社会で生きていけないと死んじゃう(殺されちゃう?)…っていうイメージがあるからかもしれません」という意見があり、それを受けて「なるほど、健康でないことと、困っていることは必ずしもセットではないんですね」と考える人もいました。

健康への同調圧力

「私は健康という基準も他の価値観も人それぞれ違うのに、どこかで合わせなければならないと同調圧力を感じて苦しく思うことはあります」という意見があがりました。

また、他の参加者からも、「健康であらねばならないと無言の圧力を感じることがあります」「健康でないと人に迷惑をかけたり、負担かけるからリカバリーしなきゃみたいな感覚あります。そうやってると他人のしんどさにも不寛容になってしまいます」「1日でも長く生きようと思えば、健康的な生活を送るに越したことはないですが、それが強いられるものなのか疑問です。」などの同調圧力に関する発言もありました。

これを受けて「同調圧力は、自分の身体の声を聴こえなくさせる」という意見や、「最初は自分の声が聞こえていたとしても、それを同調圧力で他者に否定され続けると、それに争い続けるのはつらいと思いました」と考える声もありました。

「迷惑をかけるのがいけない」という価値観について「本当は、その考えが一番不健康なのかもしれない(そう思う人自身が不健康というより、それが広がることで人を不健康にしていく価値観、というか?)」と考えもあがりました。

また、自分自身の経験を振り返り、「僕は周りでよく人に迷惑かけてはいけませんって学校でも親戚でも散々聞いてきました。そういうこと学校の先生が子供が小さいうちから刷り込まないでほしい」と語る人もいました。

参加者の感想

いろいろな思いや考えを聞けて嬉しかった。自分の考えに固執していることも気付けたと思う。
健康という言葉が色んな人を圧迫していることを垣間見ました。それっておかしい、うーむ、と考えていたら時間が来ました。2時間でも短いような、もっとがっつり話してみる場もあるといいなと感じました。
「健康になりたい」という気持ちには、病気などの不調のつらさから逃れたい気持ちとは別に「不健康=迷惑をかける存在」と見做されたくないという気持ちがあるのかもしれないと思いました。そして、「迷惑をかけてはいけない」「迷惑をかける者は存在しないほうがいい」という価値観が不健康を増幅させたり、伝染させたりするモトなのかもしれないと思いました。「相手を困らせたらいけない」と闇雲に思うのではなく、お互いになるべくいい方法を探すにはどうしたらいいのか?と思うと、その道のりは長そうに思いました。
健康であるという基準も人によって違うし、健康的であることがどれぐらい重要かも人によるということを改めて知らされた。
健康であることを良いこととして求めてくる社会、健康でなければ迷惑だから生きていても仕方ないと思わせてしまうような社会、それなのに生きるエネルギー源に手が届かないことが当たり前になっているような社会、という現状があるのだろうなと感じました。人工的な情報が多すぎる環境や、価値観を合わせるべきという同調圧力などは、自分の身体の声を聴こえなくさせてしまう、という話が印象に残っています。意識しなくても身体は勝手に調整機能を働かせているので、社会的につくられた健康のイメージに流されず、自分の身体が何にどう反応しているのか、など観察してみようと思いました。