反芻する内容

大阪府 20代 男性


なんやかんやあってコロナの影響もあり大学を休学し、今は就活をしている。
あんまり上手くいってないし大変だ。
今感じているしんどさの直接的な原因はこれだろう。
でも気分が沈むと、今まであった嫌なことがフラッシュバック?する。
フラッシュバックする主な出来事を時系列順に並べて書く。

自分が5歳の時、大好きだった父が死んだ。二つ上の姉と母と自分の3人が遺された。
死んだ前後のことは、遊べないし話し相手もいなくて退屈だったことくらいしか覚えていない。
父は出張で家にいないことが多かったので、正直普段の生活で大きく変わったことはなかった。
幸い会社の保険?とかで金銭面での心配はしなくて済んだ。

自分はしゃべることが苦手だった。声を出すこと自体は問題ないけど、話す内容がどうも世間一般のものとずれてるらしい。
ある日家の掃除を手伝うという宿題で感想を書くときに「大掃除のようだった」と書いた。それについてなじられた。今思うと少しおかしいとはわかるけど、当時は自分なりに頑張って書いたのにという気持ちで反発した。すると余計怒られた。
喧嘩はいつも同じパターンだった。何かで母にからかわれたり怒られたりする⇒自分がかんしゃくを起こす⇒めちゃくちゃ罵られて叩かれたりして終わり。
こっちは怒っていても言葉がでてこない(口喧嘩できない)。いつも自分が怒るときは「うーるーさーい!」としか言葉が出なかった。
一度、こっちはそんなに怒っててもしゃべれないのにめちゃくちゃ言ってくるのをやめてというのを、喧嘩の最中に泣きながら話したことがある。結局鼻で笑われていつものようにこっちの負け?で終わった。
喧嘩の時に、「デブ」とか、「ばか」「あほ」「どじ」「まぬけ」と言われた(これは喧嘩の時じゃなくてもよく言われた)。
でも一番言われたのは「きちがい」という言葉だった。毎回喧嘩するたびに何度も言われた。
当時は理解できなかったので「基地の外」という意味なのかなんて考えていた。

小学校低学年のころ、仲良くなった友達が全員転校した。2年間で3人も転校した。今思うと呪われてたのではと思う。
小4の時は、姉の同級生や近所の年下にいじめられていた。同級生にも仲間外れにされていたのでこの時期はとてもつらかった。担任の先生は産休で変わり、新しい先生は支援学級の子をよくからかっていた。姉の同級生に顔をエアガンで至近距離から撃たれたり、通学路で年下のやつに襲われたり、さんざんだった。
親も担任も信頼できないのでひたすら耐えた。学年の最後の方はよく腹痛になって保健室で寝ていた。
小5になると新しい親友ができたのでこの時期からは比較的楽しく過ごせた。

なんやかんやで中学に上がった。
中1の時のクラスは学年で一番荒れていた。途中で担任の先生が2回変わった。クラスの友達がいじめられていた。先生に相談しても何も変わらなかった。
吹奏楽部に入部させられた。音楽がよくできる姉が吹奏楽部にいたのでしつこく勧誘された。
剣道部に入りたかったけど、母に勝手に入部届を書かれた。
小5の時からの親友(別クラス)が吹奏楽部に入ると聞いたので、そいつと一緒ならいいかと思って入部した。
部活は土日祝も休みなしで朝から晩まであった。
顧問の先生は年配の人でことあるごとに怒鳴る人だった。音楽の先生だったが、授業の時に震災の津波の映像を流すようなよくわからない人だった。
自分が怒鳴られることはあまりなかったけど、部活で毎日だれかが怒鳴られてるのを見るのはかなりきつかった。

塾もいかされた。体験授業に行った時に、おっさんの先生に狭い部屋につれこまれて塾に入るよう説得された。断っても何度もそんなことをされた。
成績は良かったので成績上位者向けの授業(数学)もいかされることになった。
これが一番嫌だった。先生がひどい人だった。
宿題は別にしなくていいとはじめの授業でいったのに、たまに宿題を確認してめちゃくちゃこき下ろす。
気に入らないことがあると急に怒って生徒に罵詈雑言を浴びせていた。
はじめは生徒が12人いたのが、2か月後に4人に減った。自分もやめたので最後は3人くらいしか残ってなかった。
数学は好きだったのに、この先生のせいで数学に触れることが嫌いになってしまった。

深夜アニメをみたかったが時間がないし親にばれたら何を言われるかわからない。
頑張って夜更かしして、親にばれないようにこっそりとリアルタイムでアニメをみていた。
もう限界だと思い中1の3学期に学校に行かないと言い張って、実行した。
部活だけは行ってと母に言われた。
親友に会いに行こうと思って部活にだけ顔を出したが、その時期親友も肺の病気で学校に来ていなかった。
親友とも会えないので部活もいかなくなって結局やめた。
そいつとはそれ以来会うことも少なくなったので疎遠になってしまった。

この時期から病院(心療内科)に通い始めた。(今も通っている。)
中学2年の時は楽しかった。担任の先生がよく家庭訪問に来てくれていろんなことを話した。今の自分が生きているのはこの時期の楽しい思い出があるからだ。
悪いこともあったがいいこともあった。新しい友達もできた。でも字数の都合で割愛する。
この時から母の干渉はほとんどなくなった。それはそれでいいのだが、今でもまだ自分が何かするときに何か言われるんじゃないかと頭をよぎる。

中3になったとき、2年の時の先生が別の学校に行ってしまって学校に頼れる人がひとりもいなくなってしまった。
アニメも楽しめなくなった。たまに頑張って学校に行ってみても、クラスは小4の時の苦手な子がいてダメだった。
勉強自体はできたので、高校ではなんとかなるやろと何にも考えず全日制の私立高校を選んだ。
やっぱり全日制という主流から逸れることが怖かった。でもこの判断はミスだった。
高校に合格したものの、行けずじまいだった。保健室登校で友達とかもできたけどしんどかった。
話すのも苦手で、自分の頭の中がぐちゃぐちゃだった。
学校に行ったらとってもつらいのに行かなきゃいけない。
この時期はじめてリスカした。
手首を切ってようやく、「なんで自分がこんな思いをしなきゃいけないんだ」という言葉が出てきた。
この時スクールカウンセラーの先生とよく話をしていた。今思い返してもちゃんと話ができていたかは微妙だけど。
そこで知能検査を受けた。でも結果とかはよく聞いてなかった。
紙だけもらって引き出しにしまっていた。

高1の10月くらいに通信制高校の説明会にいった。
進学実績のあるところを選んで、11月くらいに通信制に転校した。
やめた高校では先生が性犯罪をしたり隠ぺいしたり不祥事が沢山あったのでやめたのは正解だった。
変わった先の高校では、友達もできたし先生にも恵まれた。
最終的に、有名私立大学に合格できた。
大学入学後はかなり大変だった。慣れるのが大変だし授業も大変だし。
結局いくらかの授業をあきらめることでなんとかうまく切り抜けた。(ちゃんと後で単位の埋め合わせもできた)
3年の時に大学のカウンセラーの先生が任期の都合で新しい人に変わった。病院で働いた経験があるらしくいろんなことを話せた。
そこで昔受けた知能検査の話になって、その結果の見方を教えてもらった。
数値の差が30もあって、これは大きい方だというのを教えてもらった。
昔からまわりと違うというのはなんとなくわかっていたけど、かなりショックだった。
いわゆる発達障害という部類に自分があてはまるのかと考えると、昔に母親にいわれた「きちがい」という罵りは正しかったんだという気持ちだった。
それでしばらく落ち込んでいた。
今でも気分が落ち込んでるときは、やっぱり自分は「フツー」じゃないんだと思って恥ずかしくなったり悲しくなる。
論理立てて考えたり話したりというのが苦手なので、授業のレポートを書くときにそれを痛感する。
復学したら卒業論文を書かないといけない。かけるかどうかめちゃくちゃ不安だ。

以上のことが主にフラッシュバックする出来事
特に高校以前のことは鮮明に焼き付いている。
中学以前と高校以降とで自分の人生の感じ方が大きく変わってしまったように感じる。
昔はただ現在を生きるのに必死だった。でも今は過去を反芻してばっかりだ。
いろんなことが頭の中にあってぐちゃぐちゃなので、昔のことを忘れてしまえたら楽なのになと思う。
人は多かれ少なかれ嫌なことが人生であると思うけど、ほかの「フツー」な人がめちゃくちゃうらやましい。

感想1

経験談を投稿いただき、ありがとうございます。

これまであった嫌なことというのが多く並べてあって、これらのことが鮮明に頭に浮かんでしまうことが気分の沈むたびに起こるのならしんどそうだなと感じました。

幼少期には母親から一方的に言葉を浴びせられて、それをやめてほしいと発信しても聞き入れてくれるような状況ではなかったのだなとも思いました。また、小4の時には新しい先生が支援学級の子をよくからかうという話もあり、そんな状況を見ていれば親も担任も信頼できず頼れなくなるのも無理はないと思いました(先生が支援学級の子をからかっているなんてひどい状況だなと思い悲しくもなっています)。毎日腹痛になってしまうのも致し方ないというか、体はつらいというシグナルを発していたのだろうと解釈しました。

母親が勝手に入部届を書いたという話もあり、投稿者さんが自分の思うとおりに行動することは制限されていた部分はあったのかなと思いました。塾も「いかされた」とあり、自分の意思で行動できていたというより、親に決められて、それ通りに動かなければならない状況が多くあったのだろうと感じました。それってとっても窮屈そうで、その後、母の干渉がなくなろうと過去の出来事から今も行動しづらくなっている部分がありそうだと思いました。

ただ、中2の時は楽しかった、この時期の思い出があるから生きているといったようなことも書かれてありました。ほかにも、小5の時にも親友ができて比較的楽しかった、転校先の高校では友達もでき先生にも恵まれたとあり、嫌なことの羅列の中にも楽しかった部分、プラスの記述をしている部分があるのが印象的でした。もしかすると、反芻する過去のすべてがつらいこと、というわけでもないのかなと感じました。

投稿者さんの中の嫌なことの物語が大きく膨らんでいて、それに押しつぶされそうになっているイメージを持ちました。実はちょっと楽しかったこととか、悪くなかったことの物語についても一緒に話してみたいなと個人的には感じました。

主流から離れることが怖いというお話がありましたが、主流にいなければならないようなプレッシャーが社会の中にあるのからこそ、そういう風に感じるのかなと思っています。

最後に、「『フツー』な人がめちゃくちゃうらやましい」とありましたが、投稿者さんが思うそれは具体的にどんなものなのだろうかと気になり、普通って何だろうということも一緒に考えてみたくなりました。

感想2

宿題の感想に「大掃除のようだった」と書いたのですね。私はその文章に心がトキメキました。ちょっとだけ他人ごとのようで、観察しているようで。加えて、感想文をなじるというのは、なんだか変な感じがしました。感想はひとそれぞれが感じたことなので、読んだ人が評価する必要はないだろうな、と考えるからです。

インパクトがあったのは、「きちがい」を「基地の外」と考えていたことがあるという部分です。「基地の外」という変換は、本質をついているように感じました。人は自分の基地内にいていい人、基地の外にいてほしい人、というような区別をしている面があるかもしれないと思ったからです。最悪な場合としては、自分の基地の外にいると感じる人を否定したり攻撃したりする傾向にあるのかもしれません。もしくは、自分の基地に巻き込もうと、やり方や考え方などを押し付けようとするのかもしれません。投稿者さんにも、基地の外にいてほしい人、基地の内にいてほしい人がいるだろうなと想像しました。どんな人が基地の内にいてほしい人か聞いてみたくなりました。

「フツー」な人がめちゃくちゃうらやましいという文末の言葉も心に留まりました。私の仮説ですが、フツーの人は「個性的だね」「変わっているね」と言われると喜ぶ気がします。反対に、社会の中で生きにくさのようなものを感じている方は、フツーになろうとしたり、フツーに憧れたりする気がします。あくまでも仮説ではありますが。「フツーなんて実はない」という声も聞こえてきそうだけれど、やはり人をフツーは存在している気がしてならないのです。「フツー」→「普通」→「不通」という変換が浮かびました。フツーって人とのつながりを分断する危険な言葉かもしれません。

経験談の感想を読んで思ったこと

過去の出来事から行動しづらくなっている部分はたしかにありそうだと思いました。

よく思い出すことの中に楽しいことも確かにあります。最近は家族でいった遊園地のことをよく思い出してます。
今度はコロナが落ち着いた時に友人と行けたら、最悪一人で行けたらなんて考えて過ごしています。

嫌なことが膨らんで押しつぶされそうというのも納得できる部分があります。
過去の出来事が頭の中の多くを占めていて、新しい出来事の入る余地が少ないような気がします

小学校の宿題の感想文のことは自分的にはとても嫌な思い出なので、その時の自分の感想への否定的じゃないフィードバックに驚きました。

過去の出来事について他の人から感想をいただけるのはとても新鮮な体験でした。
感想をくださりありがとうございました。