書く理由

東京都・29歳


29歳になった名も無き狐と狼です。死にトリの体験談になっているかは分かりかねますが、今までの経験と前回の『正解について』という投稿からの事を書きます。

唐突ですが、皆様が書く理由や辛くなる前にしていた事の理由は何でしょうか。

素敵な物を作りたい。
人を喜ばせられる物を作りたい。
誰かに知ってもらいたい。
共感してくれる人に見てもらいたい。
自分がどこまで行けるのかみてみたい。

そんな思いで、きっとあなたはここまで来たと思う。
でも、辛くてやめたいと思った事は何度もある。
今もその最中かもしれない。
もう二度とここには戻らないと決めた事もあるかもしれない。
誰かの言葉に、誰かの行動に傷付いた日々があったかもしれない。
今までの事を全て放り出した事もあるかもしれない。

それでも自分はあなたにこの問いを掛けたい。

始めたばかりの、最初の気持ち、どこに忘れてきたのでしょうか。

今、あなたがやりたい事は最初の時と変わっていませんか。


自分は最初の気持ちを置き忘れてしまいました。
なので、取りに戻ろうと思い、取りに戻りました。

自分で作った108の詩、20近い歌詞、40近い小説をただ見つめる日々を送りました。
詩は投稿サイトで発表出来ても、小説や歌詞は発表出来なかったです。
恥ずかしさもありましたが、怖さもありました。誰かに評価されなくてはいけない怖さ。

でも、投稿していた108の詩は、誰かに何かが届いたら良いと思っていました。
けどその真相は違った。
ネットにもリアルにも友達は居なくて、家族にも無関心で、小学校から不登校で引き籠もりだった自分は、誰かに見て欲しかった。
居場所が欲しかったんだと思います。

幸い、作った詩のいくつかは誰かの心に届きました。
見て頂けた人も多かったです。頂いた感想は心から嬉しかったです。
素晴らしい。素敵。いつも見てます。次の作品も楽しみにしてます。
それらの感想を読んで、自分はこう思いました。
あ、自分はここに居ても良いんだ。

それから小説を書き始めて、それから歌詞を書き始めて、書く事が楽しくなっていました。
でも、結局投稿出来る日は来ませんでした。
劣等感や自己肯定感の低さという性格の問題もありました。
過去のいじめの事が想起する事もありました。
定かではないですが、社会的立場が低い事、人の目を気にしてしまう事もありました。
それらがずっとあり、結局自分は作っても世に出す事は出来ませんでした。


つい最近、どうしても死にたくなって、日がな一日今までの作品を無心になって読み返していました。700曲以上溜めたお気に入りの音楽をただ聞き流しながら。
そうして、過去の自分が作ったサイトに辿り着きました。
そこにあったコメントを読み返して、自作の詩を読み返して、考えました。

自分は一体どこに何を置き忘れてきたのか。
それを探して、ようやく自分はその答えを見つけました。
過去を割り切って、社会に出て、様々な人や感情や言葉に触れて、自分が置き忘れた物。

それは自分自身でした。

周りに合わせて、他人の顔を窺って、誰かの面倒を見て、誰かに付き合って、精神的にバランスを崩して、それでも“普通”で居続けようと、皆に合わせ続けようとした自分。

その結果、言われてしまいました。
あなたの中身って何? なんだか空っぽな気がするのだけど。
空っぽ。きっとどこかで気付いていたけれど、見なかった振りをしてきた、およそ一番言われたくなかった言葉。

そこから、本当に心の中が空っぽになりました。アレも、コレも、全部要らないと。
でも、それでも最後に一つだけ残った物がありました。

それは、遠い過去の日に誰かが言ってくれた言葉。

君の言葉が好きだよ。だから――。

その言葉だけは、どうしてか捨てられなかった。

誰かに誇れるような物はなくても、誰とでも付き合えても、なんでも出来なくても、なんでも知っていなくても良かった。誰かに合わせなくても、何にでも合わせなくても良かった。ただもう一度、その誰かに言って貰えたように、自分を好きになれればそれで良かったのだと思いました。

君の言葉が好きだよ。だから、生きてください。
生きて――。

だから、自分は最後に賭ける事にしました。それはサイコロのようなものでした。
無責任かもしれませんが、サイコロを振ってあとは誰かに委ねる事にしたのです。
その結果、自分はもう少しだけ生きる事になりました。
もう少しが、1年なのか、はたまた数十年なのかは分かりません。
でも、とりあえず、生きています。

なので、捨てられなかった言葉をくれた誰かのために、自分は今も何かを書き続けています。
今までもこれからもテーマや思想は違っても、何かを書き続けています。

君の言葉が好きだよ。だから、生きて。
生きて、書いて、君だけの世界を見せてよ。

その誰かの言葉。
誰かに届いた言葉。
思いを込めた言葉を書く。

それが、自分の書く理由です。

名も無き狐と狼より

感想1

名も無き狐と狼さんの今回の投稿を読んで僕はBUMP OF CHIKENのLampという曲を想わず思い出しました。もしかしてこの曲をテーマに文章を書かれたのかな、と感じるほど思い出して聞きなおしてみたりしました。(全く関係なかったらすみません)

届いた経験談に対して感想を書く、ということでしたが、僕は名も無き狐と狼さんの問いに真剣にこたえたいと思います。

「始めたばかりの、最初の気持ち、どこに忘れてきたのでしょうか。」

「今、あなたがやりたい事は最初の時と変わっていませんか。」

そうですね、そういわれてみると、僕の中では地続きだったはずなのに、いつの間にか僕は最初の目的を見失って、「普通」になること、「普通」の生活をすること、そのためにお金を稼ぐこと、人とうまくやること…そんなような、本来手段であるはずのことが目的になっていたかもしれません。

何故僕は今も生きながらえているのか…それを振り返るとそもそも僕は、当時のつらかった自分になんて声をかけるか、そのために生きてきたはずだったのに、いつのまにか「普通」になって世間一般に塗れることに集中しちゃっていました。

名も無き狐と狼さんはずっと文章を綴っていたのですね。
投稿した詩の数が108,と聞いて思わず「煩悩と同じ数だな」と、とんちんかんなことを想ってしまいました。でも、除夜の鐘をたたくかのように108の詩を投稿して、歌詞や小説を書き、それらは昇華されて居場所となっていたのだな…と考えると108という数字はとてもふさわしい感じもしました。

僕は、名も無き狐と狼さんの経験談を読むのがとても好きです。
文章から生きざまや本気度、そして言葉へのこだわりが伝わってくるような気がして。僕も言葉にはこだわるタイプなのでいつも多くの学びと、気付きを得ています。ありがとうございます。

「今にもマッチは芯に触れる」

感想2

これまでの経験談も読ませてもらっていましたが、感想を書く前にもう一度読みなおしました。今回の経験談も、読み手に考えることを促してくれるような文章だと思いました。

まず、私の書く理由を思いつくだけ挙げてみました。
・自分の表現を読んで満足感(納得感)を得るため
・思考を捗らせるため
・理解してくれる人を探すため
・誰かに影響を与えたいから
・自分がどう生きていたか証拠を残すため
・書くことが習慣になっているから
・時間を潰すため
・他の人が書いていると、自分も書いてみたくなるから

詩を、誰かに見て欲しかったのですね。
この経験談も、誰かに見て欲しいという思いがあって投稿してくれたのかもしれないなと思いました。
私も、書いたものや作ったものを、誰かに見て欲しいと思うことがあります。
そうした自分の中にある欲求が、邪魔だなぁと感じることもあります。
だって、見せるか見せないか選ばないといけないし、見せたらどう思われるか気になるし、見せなければ欲求不満が残るから。
じゃあ始めから書かなければいいのではないか、といっても、書かずにはいられない生きもののようです。書かなかったとしても、他の形で、何か作ったり表現したりすると思います。

あなたが自分自身を置き忘れていた、という経験を読み、自分自身以外の人々の影響力が相対的にとても大きかったのだろうと感じました。自分と他人の影響力が、たとえば2:8とかで、あなたが小さくなっているようなイメージが浮かびました。それはあなたにとってデメリットばかりではなく、そうすることで、集団の中で目立つことなく過ごせて、批判的なことを言われずに済むなど、自分自身を守りながら世渡りする術になっていた部分もあったのだろうかと推測していました。

「アレも、コレも、全部要らないと。」という表現からは、心の中にあった様々なものを捨てて、大掃除をしているみたいだと思ってしまいました。本当はまだ使おうと思っていたものまで失ってしまったのかもしれませんが、きれいになったんじゃないかと…(勝手に妄想しすぎていたらごめんなさい)。

それから、「自分を好きになれればそれで良かったのだと思いました。」との文章を見て、私は、自分が好きな環境で、自分が好きなことをしていたら、自分自身のことも好きな気持ちが出てくるのではないか、という仮説を思いつきました。
でも、好きっていう感情はどのようにして生まれるのか、いまひとつ分からないものです。
色々なものを取り入れたり、一旦掃除してみたり、といった繰り返しで、偶然何かを好きになったりするのでしょうか…?
またあなたの発見をぜひ聞かせていただけたら嬉しいです。

返信

>感想1を書いてくださった方へ

感想を書いてくださりありがとうございます。

まず、誠に申し訳ないのですが、BUMP OF CHICKENのLampという曲をテーマに書いてはいないです。申し訳ないです。でも、Youtubeの後で見るの中にLampは入っています。なので、もしかしたら無意識に彷彿とさせる経験談になったのかもしれません。

また、投稿した詩の数について、煩悩の数だなと自分でも思いました。当時は全く意識していなかったのですが、自然とそこで終えられたのは偶然です。

書いた経験談を読むのがとても好きだと仰って頂き大変嬉しく思っております。また機会があれば経験談を書こうと思っているので、良かったら読んで頂けると幸いです。

感想を書いてくださり重ねて御礼申し上げます。


>感想2を書いてくださった方へ

感想を書いてくださりありがとうございます。

書く理由を挙げて頂きありがとうございます。感想を拝読して思ったのが、【理解してくれる人を探すため】【書く事が習慣になっている】のが強い方なんだろうなと思わず思ってしまいました。
しかし、それもちゃんとした書く理由だと自分は思います。

全部要らないと掃除のような事をしてみて思ったのは、人間が本当に何かしたいと思う原動力は結局“核”のような物でしかないのだなと思いました。
自分にとってそれが、経験談に出てくる言葉だったのだと思います。

誰かに見て欲しい、誰かの心に届いてくれれば、そう思ったそれが自分にとっての“核”です。

感想を書いてくださり重ねて御礼申し上げます。