誰も本当の私を知らない


東京都 40代 女性


私が決定的に精神不安定に陥ったのは、高校の時だ。それ以来、通院や入院を繰り返し、なんとか30年生きて来たけれど、今だに不定期に襲う「死にたい」という気持ちと抑えきれない孤独感に苦しんでいる。そういう時はひたすら眠る。ただ眠り続ける。過眠の間は苦しみから逃れられる。私がそこまで苦しんでいるのを、周りの誰も知らない。長年、自我が崩壊したままだ。

私は小さい時から頭の回転が早かったようで、知能検査で個別に呼び出されるほどの数値だったと母はよく自慢げに私に話して聞かせた。確かに1教えられたら10を推測できる、周りの子達とはどこか感覚が違うと私自身、早くから自覚があった。でも、知能が高いばかりで自分をどうやって表現したら良いか、自分の意見は何なのか全くわからなかった。ピアノの発表会や幼稚園の舞台、人前での朗読など個が注目される場が大の苦手で、いつもこの上ない苦痛を感じた。母や父、身近な人にも本音を話すことができなかった。母は我が強い人で、私の意見が聞かれることはなく、母の思い通りにさせられていた。私は聞き分けがよく扱いやすい典型的な「いい子」だった。

4歳離れている姉の存在も大きかった。私とは反対に何をするにも飲み込みが遅く、手が掛かる子だったようで、姉が怒られているのを見て、私はそうならないように先回りして回避していた。母も、4歳も下なのに私の方がしっかりしていると良く嬉しそうに話した。ただ、私ができていない点についても母は抜かりなく指摘し、完璧を望まれていると圧力を感じた。今思えば、ここから私の強迫観念は始まったと思う。「しっかりしていなくてはいけない」「間違えてはいけない」と自分に言い聞かせるようになった。私は人が望んでいることを事前に察し、人から否定されるのを極端に嫌う繊細な子供だった。元々の性質も大きいだろうし、こういう家庭環境も一因だと思う。

だから、いざという時にも緊張して力を発揮できなかった。小学受験では、当日頭が真っ白になって失敗した。中学受験でも第一志望の試験前日に高熱を出し、補欠合格に留まった。先生に補欠の子、と見られるのが耐えられず、その中高一貫校ではとにかく勉強をした。自分を徹底的に押し殺して。トップの成績を維持し、中学は表彰を受けて卒業した。優等生となった反面、表面的なことだけで本音を話せる友達も作らず、笑顔で塗り固めた生活を送っていた。家でも学校でも、常に自分の殻に閉じこもるようになっていた。

小学校受験も中学受験も、私は希望していなかったし、補欠で入った学校も、学力が高いことだけで親が決めた学校で校風が私に合っているとは思えなかった。思春期を迎え、少しずつ自分が本心何を望んでいるのか見えるようになっていた。自分を見て欲しかった、中身を認められたかった、尊重されたかった大事にされたかったけれど、その表し方がわからないから、教えて欲しかったのだった。ただ自分の表し方を。親は私の学力しか見てくれていない、私の望みや本質など大切にしてくれていない、私が問題を起こさずいい子であればそれで良いのだと確信してから、どんどん自信がなくなっていった。鬱々とした気持ちをどこに表したらよいのか自力で見つけることすらできず、何のために生きているのかわからない苦悩を抱えていった。模試で偏差値は高くなる一方で、虚しさばかりが募るようになった。せめて大学は自分が選択したところに進学しようというわずかな望みで、なんとか状況を耐えることができていた。あと4年、あと3年・・大学進学までのカウントダウンが唯一の支えだった。

でも、とっくに心は限界を超えていた。高校のある日、文章が急に頭に入らなくなった。文字の羅列にしか見えなくて、全く意味がわからなくなった。英語も日本語も同じだった。自分を押し殺し続けたストレスによる失語症の一種だった。突然襲われた恐怖。これでは受験もできない…唯一の心の支えが無くなり、極度のパニックに陥った。当然、学校にも行けなくなって登校拒否になった。現実から目を背けてひたすら走り続けていたのだから、時間の問題だっただろう。大学に入るまではとなんとかもってほしい、と必死に頑張っていたのに。破綻してしまった事実を受け入れるまでに時間を要した。

学校は長期で休み、図書館で精神科を調べて通った。母はこの時になっても、親身に助けてくれないどころか、精神科への同伴を頼んでもただ面倒くさそうな様子で、更に傷ついた。何の問題もおこさない優等生だった私がなぜ?と私を責めた。本当に、私自身には興味がもたれていなかったことを実感し、母に対する家族としての信用は完全に無くなった。姉も同じで私には一切、手を差し伸べることもなく、大学生らしく好き勝手、夜遊びに出歩いていた。本当に困っているとき、私を助けてくれる人はいないのだとこの時に強く自覚したが、父が時々、何気ない言葉をかけてくれたのがせめてもの救いだった。このままでは人生ダメになる、自力で這い上がらなければという気持ちでなんとか高校を卒業し、一浪して希望の大学に進学した。

それから自分を少しでも取り戻すように、経験できることはなんでもやった。勉強以外のこと。サークルも恋愛もバイトも。中には危ないことですら。世間でも一目置かれる職業にもついても何か満たされないまま、人との距離感にはいつも苦しめられていた。唯一私を責めなかった父も、あれから早く病で亡くなってしまった。恋愛もうまくいかず、本当に好きな人とはいつももめにもめてズタボロになって別れた。あれだけ努力を重ねて手に入れた職業も、精神的に続かず辞めてしまった。結局、可もなく不可もない人と結婚をして子供もできたが、人との関係や心の安定はいつも、長くは続かない。キャリアも無くし、今は夫と子供との関係にも苦しんでいる。だましだましその時をなんとか生きている人生。幸せになりたい、ただそれだけなのに、どうしたら手に入るのかがわからない。ただ生きるのが苦しく、断続的に全て壊したくなってしまう衝動は、何なのだろう。

人と接するとき、私は常に明るく振る舞うので、私が長年、こんな闇を抱えていることを、周りの誰も知らない。弱音を吐ける人がいないし、弱みを見せることもわからない。周りからみると、私は家族にも金銭にも学歴にも恵まれて悩みもない順風満帆、いわゆる勝ち組というものに見えるようだ。子供すらお母さんはなんでもできるから、と言う。でも、本心ではこんなに苦しみ、誰かに助けてもらいたくてたまらない。ダレカタスケテと常に叫んでいるのだ。真っ黒い闇を抱えて。こんな状態で生き続けて、この先、何が待ってるのだろう。

昨年末、もはや絶縁状態になっていた母が突然死んだ。少しは泣ける自分に驚いたけれど、本当の私を理解してくれる人は誰もいない、生きているのは恥ずかしいという焦燥感を抱えて、どうやったら生きるのが楽になるのだろうともがきながら、今日も死んだように生きている。しかも今日は誕生日、誕生日はいつも以上に苦しい。なぜ私は生きるのがこんなにも辛いのだろう。薬飲んだら少しは楽になるのは知っているけれど、もうここ数年は通院する元気もない。頑張っても頑張っても私のせい、私は大事にされたかっただけなのに。頭がおかしいだけなのか。もう頑張るのに疲れた。

感想1

誰も知らない自分を表現してくださったのですね。ここを初めての自己表現の場としてくださったことありがとうございます。

沢山のことが見えたり考えたりできてしまうがゆえの苦悩、社会の中で良いとされるステータスばかりを期待され課題にばかり目を向けられて、自分の意思や気持ちは期待の下敷きになって表現することもできなかったのではないかと想像しました。
同時に、期待に応えることが生きる術として身についてしまったことで、心のエネルギーが途切れるまで無理しすぎてしまうのかもしれないと私の頭に浮かびました。

自分の内面を表現する術を持たないまま、他者から見ると「できる」が当たり前に映り、中身はエネルギーがなくなり悲鳴をあげても期待に応えるために動がざるをえないような、自分からも他人からも大事にされていないように感じ、私は投稿者さんとその周りに何が起こっているのか考えたくなりました。

私には「大事にされたい」がキーワードのように感じられて、「大事にされる」がどういうことか考えたところ、
・心と身体を心配したり気にかけてくれる。
・疲れている時や動けない時に休ませてくれたり代わってくれたり手伝ってくれる。
がまず浮かんできました(まだまだ出てきますがとりあえず)。

私は、世の中には、発信がないと気づかない人が多く、発信があっても自分を優先させる人も少なくないと思っているので、上記の2つだけで考えても弱音を吐ける人がいなかったり弱みを見せられない投稿者さんが、他者から気にかけてもらう頻度はかなり少ない(倒れてからとか)のではないかと想像し、それは、今もなお自分は大事にされていないと感じるのも無理はないと私は思いました。

他者が何を望んでいるのか見えてしまうし、期待に応えることで否定を回避せざるえなかった投稿者さんにとっては、たとえ期待されることが、自分の責任の範疇ではなく相手の責任の範疇であったとしても、断ったり逃げたりすることは死活問題のように難しいことになっていて、自分の気持ちや疲労を殺して応えざるをえず、それが生きている限り続くと考えると、「死にたい」と思ったり「全てを壊したい」と思うことにもつながってくるように思いました。

そして私は、普段明るく元気なように見える人でも、死にたいくらいの悲鳴を抑えながら生きている人がいることを社会全体がもっと知っておく必要があるように思いました。
それは、「明るく元気に見える人は大丈夫」という観念が社会にあり、それも人を苦しませているように感じたからです。

私は、投稿者さんの初めての自己表現に対し、自分が何を感じ何を考えるのか耳をすませながら自分なりに感想を書かせていただきました。どれも私の想像と解釈なので、ズレていたり間違っていたら申し訳ありません。投稿者さんが経験談を投稿してくださったことで、普段明るく元気そうに見える人の心の悲鳴やその背景に触れて考える機会をいただきました。ありがとうございます。

感想2

経験談を読ませていただきました。

母の思い通りにさせられて子ども時代を過ごしたら、自我をうまく作っていくのは難しく、自分の意見や表現の仕方も分からなくて当然だろうなと思いました。
「しっかりしている」などの母の言葉は、褒めているつもりでも全くあなたのためにはならず、逆にプレッシャーをかけて追い込む言葉だったのだと思いました。
私は、他人を安易に褒める言葉は相手を傷つけるものだと考えていますが、あなたの話を聞いて、特に子どもに対して褒めるような言葉を掛けるのは、人生に重くのしかかってしまうのだなと思いました。学習させられてしまった強迫観念はなかなか取り除くこともできず長年あなたを苦しめているだろうと想像し、心が痛みました。

中学時代には、外から見られるあなたと内側のあなたが徹底的に離れていったのだろうと理解しました。その中で、「本当の自分は表に出せない、分かってもらえない」という思いが底の方に積もっていったのかもしれないと想像しました。
親が決めた「いい子」に当てはまるための演技(?)を強いられる状況では、なんのために生きているのか分からず、虚しさを感じるのも尤もだと思います。
長い間一緒に過ごしてきた家族が、自分を尊重せず、全く信用するに足りない相手だということが段階的に確信される場面では、絶望感が伝わってきました。
そこから、「自力で這い上がらなければという気持ちでなんとか高校を卒業し、一浪して希望の大学に進学した」という文章からは、家族ではなく自分自身の人生にしがみつこうとする気概(?)が感じられて、私には尊く感じました。でも同時に、当時あなたが自分自身を信じるしかなかったような孤独感も想像しています。

好きな人とは揉めに揉めて…とありますが、それはあなたが自分の意見を持ち、表現することができるようになってきたということなのかな?と私は思いました。
全て壊してしまう前に、まずはあなたのやめたいこと(本当はやりたくないのに頑張ってしまうこと)を一つだけやめてみるのはどうだろうか、と考えました。長い間習慣にしてきたことを手放すのは、自分の行動を否定するような苦しさが伴うのかもしれません。それでも、全て壊すよりは、ちょっと違う自分になって生きてみる可能性があるのではないかなと、考えてみました。