それでも『生きねば』。

島根県在住 30代 女性


私は30代の主婦です。
私は今までずっと生きづらかった。
新しい環境に馴染むのが苦手で何処へ行っても独りぼっち。
都合のいい時だけすり寄ってくる小賢しい同級生。
自分のことは棚に上げて誰も注意してこないのをいいことに好き放題の同僚。
私が何をしたと言うのかと思うくらい嫌な人間を見てきた。
『いつ死んでも構わない』と思っていた若かりし頃の私。
そんな私を丸ごと受け入れてくれる人が現れた。
主人です。
主人には本当に感謝しています。
主人が笑ってくれるだけで私も幸せになれる。
決して裕福ではないけど幸せな日々。
だけど時々無性に寂しくなります。
当たり前ですが、いつか別れの時がくる。
もし主人がいなくなった私には何が残るんだろうと考えてしまいます。
私達夫婦には子供はいません。
特にそのことに不便さは感じていません。
数十年後の私はちゃんと笑えているのかな。
人生という砂時計の降り積もった一粒一粒がキラキラしたものだったのかな。
最後には笑って死ねる人生でありたい。

感想1

「今までずっと生きづらかった」とのことで、どんな生きづらさなのだろうと想像力をフル回転させて考えてみました。私とあなたは別々の身体で、別々の時間・空間を生きてきたので、理解できることはほんの少しなのかもしれませんが、私なりに考えたことや気になったことを書かせてもらいました。

まず、「新しい環境に馴染むのが苦手」という部分が気になって、もう少し詳しく聞いてみたいと思いました。転居や転校・転職など、自分が新しいところへ移る機会が多かったのか、または自分は同じところにいるけれど周囲が勝手に変化していくことが多かったのか、気になりました。どちらにしても、あなたが積極的に環境を変えたくて変えたわけではなかったのかなぁと想像していました(もし違ったら教えてください)。いくつかの異なる環境での生活を経験しても、自分の過ごしやすいところではなかった、となれば、自分の側に要因があるような気がしてしまい、自信を失くしたり、塞ぎ込んだりしてしまわないか少し気がかりです。

また、この経験談を読んで、私は別れについて考えました。
別れの時期は、自分で「いついつにこの相手と別れよう」と意思決意すれば、自分で選べるのかもしれません。しかし、自分の意思決定が及ぶ範囲外の要因(相手から別れを告げられる、どちらかが不慮の事故や災害に遭うなど)による別れは、いつ訪れるか分かりません。あなたが想定している別れは後者の方なのかなぁと考えています。いつ訪れるか分からない別れを想像すると、今は一緒にいても寂しさを感じる、というのも不思議ではないと思いました。

もし仮にあなたがいつ別れるかの決断をした場合は、その別れはいつ起きるか分かるものになるので、現在感じている種類の寂しさは軽減されたり無くなったりする可能性はあるのかなと思いました。ただし、そこまでして、あなたが現状の寂しさを手放したいのかどうかは分からないのですが。

過去に、あなたの意思とは関係なく環境が変化してしまい、自分の過ごしやすいところはなかったとすると、今回も積極的に環境を変えたくはない気持ちなのかなと想像しています。そうであれば今の寂しさを感じつつ、「自分からは別れない」という選択をするもの、筋が通っていると思います。一方で、自分の積極的な意思で新しい環境に移る、という経験をしてみるのも悪くないことだと思います。もし、自信を失って、自分に自由な選択権なんて無い、そんなイメージはできないと感じているなら、尚更試してみる価値はあるのではないかと考えました。

経験談を通して、寂しさと生きづらさはあなたにとって近いものなのかなぁと想像したのですが、逆に寂しさと生きづらさはあなたにとってどのように違うのか、もしよければ聞いてみたいなと思いました。

感想2

経験談を投稿いただき、ありがとうございます。

これまで、人間の「嫌な部分」を見続けていて、あまり快適な状況ではなかったのかなと察します。きっと、まじめな目線を持っていらっしゃるからこそ、他者の嫌な面が見えてしまうのだろうし、周りの人も投稿者さんのまじめなところを見越して好き放題といった風にふるまっていることもあるのかなとも考えてしまいました。

夫さんが現れたことで、投稿者さん自身は救われたように感じているのかなと想像しました。ですが、これまでにはいなかった安心できる人が身近にできたことで、失う恐怖も生まれてきたのかなと考えます。

至極当たり前のことかもしれませんが、悩みって尽きないものなのかもしれないと、ふと思ってしまいました。

最後には笑って死ねる人生でありたいと、文章が結ばれていました。そういう人生もまたひとつだな、と思ったので、投稿者さん自身が無理のない程度に過ごしてもらえたらなと個人的に感じました。