三重県 神部 紅さん



 「本名です」という言葉とセットにして自己紹介することが定番となっているのですが、私は神部 紅(じんぶ あかい)と申します。三重県を中心に活動している労働組合「ユニオンみえ」で働いています。

 突然ですが私は小学校の卒業文集「おとなになったら」のコーナーで、「ぼくは、将来のんきにくらしたい、仕事は、あんまりしたくない。」と書きました。後日、父親にめっちゃ怒られました…。

 しかし大人になった今でも「はたらきたくなーい!」という思いを抱えながら生きています。未だにこういうメンタリティを持ち続けている自分を褒めてあげたいです(笑)

労働組合(ユニオン)とは

 私がこの記事のバトンを受けた金田由希さんが、労働組合(ユニオン)と出会った経験のなかでも触れられていますが、労働組合とはおおざっぱに言えば誰もが安心して働くことが出来る職場をつくり、豊かな生活ができるよう活動する組織です。

 あ、冒頭の「はたらきたくなーい!」という話には続きがありますので、しばらく目をつぶってお付き合い下さい。(このパートは読み飛ばしてもOKです)

 突然ですが(2回目)、職場でセクハラ・パワハラ、解雇や労働条件切り下げなどの問題が生じた際、みなさんならどうされます?主な相談先として、労働基準監督署や弁護士・社労士などに相談することをイメージされる方も多いと思います。しかし、労働問題を解決する上での“最強”は労働組合の存在であるといえます。

 なぜなら働く者には(高校生や大学生のアルバイトでも!)2人から労働組合をつくれる「団結する権利(団結権)」。

 二つに雇い主に対して交渉を求め、これを応じさせ(労働組合法7条「不当労働行為」に接触するため交渉拒否や不誠実対応、不利益取り扱いは許されない!)、労働協約などを結ばせることができる「団体交渉をする権利(団体交渉権)」。

 三つに働く者の要求を実現するために宣伝行動やストライキなど労働の提供をストップさせることができる「団体行動・争議をする権利(団体行動権)」などが“強力”に保障されているからです。=「労働三権・労働基本権」(憲法28条)

 その力を実際に行使するかはさておき、労働組合は営業妨害・威力業務妨害・損害賠償などに問われず、刑事・民事免責されている存在です。正当な労働組合活動に対しては損害賠償請求禁止(労働組合法第8条)と刑事罰不適用(労働組合法第1条2項・刑法第35条)が規定され、法による積極的な保護を与えていることからみても特別な存在であるといえるでしょう。(※とはいえ、日本には大小さまざまな労働組合があり、問題解決に結びつける力や影響力にもグラデーションがありますが)

 あくまで労働組合に加入しなければこうした権利は発動できません。しかし、私は多くの方にこれらの労働組合に特別に認められた権利を知ってもらい、その力を一緒に使いたい!と思っています。

「はたらきたくなーい!」について

 さて、みなさんは私がよりよく働くことを追求し、労働者の権利擁護や生活向上のための仕事をしているのに「はたらきたくなーい!」って、どういうことよ?と思われるでしょう。

 私の領域である労働相談や生活相談の現場には、何日も食べていないとか寝られないとか、住まいを失ったなどの困難を抱えたケースも日々、寄せられます。また、相談に来られてご本人が「自分(だけ)で何とかしなきゃ」という気持ちを強く持っていて、まわりに頼れない。衣(医)食住の確保に優先させて仕事を探すことや職場に戻ることに躍起になっているといったケースは珍しくありません。

あきらかに追いつめられており、その人だけの力ではそこから逃れることは困難だろうと思われる状況であっても、とにかく自分で何とかしなきゃとか、働かなきゃと自分を追い込んでいる。とても心配になってしまいます。

 若者の自立支援といえば、「若いから働ける」「探せば仕事はある」という前提で、とくに自治体などでは真っ先に「就労第一」が押し付けられる傾向があることも、極めて有害だと思います。たとえば生活保護の申請窓口では「稼働年齢」を問われ、「働いてもらうことになっています」といった誘導は定番です。こうした就労第一主義的なアプローチや「労働は美徳」かのごとき邪悪な呪縛に、実に多くのみなさんが絡み取られていると、私は感じています。

 「食いぶちは自分で稼がにゃならん」という焦燥感に駆られることはよくわかるのですが、たとえば住まいがなければ、仕事探しや病気の治療もハードルが上がります。生活保護の申請さえも実質的に厳しいでしょう。慌てて次の仕事を見つけて働こうとしても、劣悪な就労先に飛びついてしまったり、貯金などの金銭的な余裕がなければ次の給料日までのタイムラグがあるため、必然的に日払いや週払いといった即金となるような就労先を求めがちです。さらには住み込みの就労先は、いわば住まいが「人質」に取られている状況であることも多いでしょう。こうした状況下では働く上での問題が生じても圧倒的に自分の立場が弱く、「文句あるなら出ていけば?」などと言われると、雇い主と交渉せずにあきらめてしまうことに慣れてしまいがちです。

 これは労働者に限らず毒親やDVなどの支配的な家族関係にさらされているが、そこから経済的な理由などで抜け出せないケースでもいえることです。

 たとえば誰にも脅かされない住まいがあったり、生活保護を受給して生活の基盤を得るなどすれば、雇用保険に加入できる仕事を探したり、「寮付き日払い」はイヤだと言いやすくなります。病気の治療もゆっくりできたり、自分の要求を下げずに次のステップを探すなどの道も開けます。つまり、「とりあえず・しかたなく」選択させられていた生活から抜けて、少しでも楽ができる余地が生まれれば、以前より良い意味で生活や仕事をする上での“えり好み”ができるし、イヤなものはイヤよと声を上げやすくなるわけです。

こうした声が出せる者が増えれば、ひどい環境で生活したり働かされるところには人が集まらなくなるでしょう。私はこうした積み重ね、困難を固定化・再生産させない領域を社会のなかに拡大することが多くの人の生きづらさや働きづらさを克服していくことにつながると考えます。

 私は生きづらさや働きづらさも甘受して無理して働くなんてまっぴらごめんです。自分を削って働きたくもないし、安売りしたくもありません。しかし、自分が“楽して生きる”(自分を生きる)ためには、先に述べたように多くの人が声を上げられる条件を無数につくり「イヤなものはイヤ」と言える他者とつながる世界をつくらなければ実現困難でしょう。それが、私が「生きる」選択肢をひろげるために必要なことであり、私はそういう「働き」をしたい。そんな生き方が確かであることを信じているのです。

これはなにも働く上での困難さに限られた話ではありません。「なんかおかしい」「イヤだ」といった違和感や気持ちを表出できない、それを他者と共有できず声を出せないことはあなたの責任ではないはずです。私は、まずはそうさせない困難さや社会へ目を向け、同様に感じる他者とつながること。こうした積み重ねこそが息がしやすく、声が出しやすい社会を形づくるのだろうと考えます。