前に進む途中

28歳 女性


高1の5月にうつ病と診断され、それ以来精神科に通院し続けています。
診断名は、うつ病から双極性障害、身体表現性障害、転換性障害、解離性障害…いろいろな名前がつきました。
私の実家は結構厳しい家庭で、2歳下の妹はよく叩かれ、蹴られというのがありました。
私は勉強で成果を上げることで、それを回避してきました。
大学生の頃、「親のレールじゃなくて、私は自分の人生を歩みたい」と思い、中退して他県で一人暮らしを始めました。
その先で出会った人と結婚し、来月で5年になります。
これまで主人にたくさん甘えてしまいました。
寂しさから酷い言葉を言ってしまったこともあります。
依存してるともよく言われてたのと、最近主人に「これからも一緒にいたいからこそ、自立してほしいんだ」と言われたこともあり、「ちゃんと自立しよう」と心に決めました。
ずっと一緒にいてくれた主人に、これから少しでも恩返しが出来たら…その一心です。
去年自分の夢だった塾も開いたのですが、自分の自信のなさや自己否定が強く出て、なかなか思うように目標へ進めれていません。
それでも「私はやるんだ」、「私はできる」と自分を励ましてきてたのですが、見える世界がだんだん辛いものになってきました。
体調や食欲、睡眠、感情の起伏などにも影響が出てきました。
またメンタル不調が体調不良として出てきたのが、とても悔しいのです。
理想とする姿と現実とのギャップが開く一方で、空回りし続けています。
もう精神科から卒業したい、心穏やかに過ごしたい、休まずちゃんと仕事が出来るようになりたい、自分の目標を達成できる人になりたい…そんな思いがなかなか実らず、苦戦してます。
過去に自傷したこともあったけど、「それは自分を更に傷つけることだから絶対やめるんだ」って、衝動と闘う日々です。
今は立ち上がれてなくても、いつか立ち上がった時に見える世界を「案外私にも出来るじゃん!」って思いながら見てるって信じて、自分と闘ってます。
主人と2人で楽しく過ごすためにも、自分のためにも、私は強くなって自立したいです。

感想1

目に見えない様々なものと闘っておられる厳しい状況にもかかわらず、経験談を投稿してくださりありがとうございます。
これまでのご実家での理不尽な養育や心の病は、投稿者さんが負う必要のないものだったろうと傍目に思いました。
きっと投稿者さんはそれらに自分の責任を感じ成果を上げてこられたのだろうと想像しました。そして多くの子どもたちが無意識に選択する「反抗」や「攻撃」をせずに自分を責め、いつも追い詰められるようなストレスを抱えておられたのではないでしょうか。

診断名の数の多さは、投稿者さんの身に降りかかった問題が複雑で、本人にも他人にも捉えにくい状況だったのだろうと想像しています。
でも大学生の頃に「親のレールじゃなくて、自分の人生」を選ばれたのは、英断だったと思いますし、実行に移せたことは勇気ある行動だったと思います。既にここで自立への試みがなされていると思いました。あっぱれと叫びたい衝動すら覚えました。
結果的に理解し支えてくれる方に出会い、家庭を持ち目標を持って暮らせるようになったことを読みホッとしました。
ところが中盤から後半にかけて、心配な言葉が並んでいました。
…その一心です、思うように目標に進めれていません、だんだん辛いものになってきました、影響が出てきました、メンタル不調・体調不良、苦戦して、衝動と闘う、想像する姿と現実とのギャップが開く一方、空回りし続けている、等。人一倍頑張れる投稿者さんのことですから、徐々に目標が引き上げられていって辛くなってしまうのではないかと想像しました。私の勘違いかも知れません。違っていたらごめんなさい。

「私はできる」「私はやるんだ」の宣言と同じだけ弱音を吐いても誰も責めませんし、誰かの力を借りることもしなやかな強さだと思います。「主人」という主従関係でなく「夫」と「妻」の対等な関係でねぎらい合い、弱さを支え合い、いつの日か強くなって自立していると良いなあと、押しつけがましいのですが願っています。

最後に、「案外私にも出来るじゃん!」の言葉はいつか立ち上がった時ではなくて、自立への思いを抱く自分に、まさに「今の自分」にかけてあげてほしいと思いました。

自立には完成形とか標準形があるものではないですし、失敗が当たり前の挑戦をしているのですから、十分に頑張っている今こそねぎらいが必要なのではないかと思うからです。この後もよろしければ途中経過を教えて欲しいと思いました。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。

自分の人生を送りたいと願ったあなたの意思や、「心穏やかに過ごしたい」というあなたの願いはもっともだと思いました。

私も自分の生活が心穏やかに続くことを願いますし、他のすべての人にもそうであってほしいと思っています。
でも社会には「こうでなければいけない」「これが普通でそれ以外はダメ」というような押し付けがたくさんあって、その中で暮らしているだけで、合格と不合格のラインが本当にあるかのように錯覚してしまいやすいなぁと思います。
これは「だれか悪い人やダメな人がいるから起きる問題」ではなくて、あなたのせいでもなくて、「未熟な社会の問題」だと言えるのではないでしょうか。

たとえば、「もう精神科から卒業したい」と書かれていましたが、もしかしたら、精神科に通うことを悪いことだと評価する声がなければ、あなたは「卒業したい」と思う必要もないのではないかと想像しました。(違っていたらすみません)
でも社会には「普通じゃないとダメ」という無言の圧力が強く存在しています。それは社会が正しいからではなく、むしろ社会が未熟で不適切だからだと思います。
個人的には、「自分の心穏やかな生活のため」という前提に立ちながらであれば、病院や薬を使うことも手段のひとつになりそうだと感じました。

あなたが心穏やかに過ごせるときがあるとしたら、それはどんな時間でしょうか?
自分を傷つけることなく(そして他のだれも傷つけることなく)落ち着いて過ごせる時間は、生きていく上での大きな支えになると私は感じています。
その時間を増やしていくには、社会や他のだれかの理想やイメージではなく「あなた自身がどう感じているか」ということから考えてみたいなぁと想像しました。

たとえば、私はぼんやりと床に寝転がって、窓の外の空を見ているときに穏やかな感覚になります。
経験談を読ませてもらうときにも、きっと会ったことはないだれかの真剣な言葉に触れられて、穏やかな気分になることが多いです。(同じくらい、悩んだり考え込んだりすることも多いですが、それらは両立します)
もしよければ、あなたの穏やかな時間のこと(どんなときか、そのときあなたの中にはどんな感覚があるのか……など)教えてください。