普通に生きたかったです

東京都 20代 女


とてもマイペースな子供でした。
兄弟がおらず、共働きの家庭だったので躾で殴られることは度々ありましたが比較的自由に生活させてもらっていました。
マイペースとはややオブラートに包んだ書き方であって、実際は非常に空気のよめない子供だったと言っていいでしょう。
それでも小学生の頃は音楽が出来て人より絵が描けるという付加価値でギリギリ存在を許容されていました。

状況が一転したのは中学校に上がるころです。
やや人口が多い地域だったため、中学では他学区の小学校から上がってきた生徒たちと合流することになっていました。
当たり前ですが初対面の人間の印象を左右するのは内面的な「何ができるか」ではなく外から見た全てです。
私はお世辞にも容姿が良いとは言えなかったため、他校の生徒からキモいやつ、だから攻撃してもいいのだという判断をされました。

学校にもよるのでしょうが私の通っていた中学はスクールカーストの存在感が非常に強く陰湿ないじめが横行するタイプの学校でした。
「あいつは強いから、主張は間違っているが従う」がまかり通る世界です。今思うと大人の社会と大差ありませんが。
力の強い、いわゆる「カースト上位」に「キモい、攻撃してもいい迫害対象」というレッテルを張られた私は少しずつ味方を失いました。
普段会話をし、休日遊びに出かけるような友達が全く友達がいなかったわけではないのですが、彼女たちも保身があるので表立って戦えるはずもなく。
わたしは行動を逐一観察され、あげつらわれるので自分の一挙一動が怖くなりました。

ブスなので何をしてもキモいと言われ否定され嘲笑されるのです。

受験生になるころには元友人からも攻撃されるようになりました。あとで聞いたところによると「(私の名前)はひとりっこだから家族にちやほやされてずるい」と漏らしていたそうで、これを聞いて「こいつは攻撃してもいい人間」という共通認識を広められてしまった上に、訳の分からない理由でストレスのはけ口にされるのかと愕然としました。

まだ幼く純粋だったので助けてくれるかもという一縷の望みをかけ(躾で殴る人間が助けてくれるわけないですよね、本当に愚かな子供でした。)家族に相談しましたが、こちらの話は聞かずにお前が悪いの一点張りだったため以降親への相談はしないことにしました。

高校は同じ中学の人間が通えないような学校に進学しました。
ここはとてもいい学校で、目標に向かって邁進する人が多く非常に励みになりました。

そこでも容姿の問題は降りかかります。
ほぼ初対面なので特に異性からは容姿の良し悪しでジャッジされました。
始めに仲良くなっても「でもブス」から次第に「ブスだから」「ブスのくせに」が枕詞として付きまとうのです。
もうなんか本当に見下せる相手を探し当てて嬉々としてディスりまくっていたんでしょうが、今でも異性と知り合うと「この人もどうせ外見で私の価値を勝手にジャッジするんだろう」という疑念がぬぐえません。

行動を逐一観察されていた時のことをフラッシュバックします。笑い声が全部自分を笑っているように感じます。ブス発見、と笑うために盗撮されたせいで未だにカメラのシャッター音は苦手です。
人を信用することが非常に困難になりました。
周りの人間を見ていると、無神経でもイケメンなら見逃されるとかそういう事象がたびたびあって。心底人並みの容姿で、「需要」があれば攻撃されることもなく、今フラッシュバックでしんどくなって泣きながら夜を明かすこともなかったんだと思います。

誰が・何が悪いって聞かれたら、生まれてきたことかなあ。そんな風に思っています。
人並みになりたかったです。
何をしようにも昔の記憶がよみがえってきて、どうせお前には無理だ、存在価値がないんだと思わされる。
とりあえず今は早く楽になりたい。差別とか迫害と無縁の存在になりたかった。
皆迫害に合わないよううまく立ち回るか、それを克服して懸命に生きている。
だけど私は弱かったのでそのどちらもできなかった。本当に情けない。

根性焼きされたり突き落とされたり、命にかかわるようなことは直接されてなくて、皆と比べたら大したことじゃないけど。これが私のつらい理由です。

感想1

容姿について評価したり、容姿によって態度を変えることは人の人生に多大な影響を与えるものだと思っていましたが、あなたの経験談を読んで、その気持ちがさらに強くなりました。容姿も一人っ子であることも本来は「攻撃してもいい人間」と認識される理由には全くならないと思います。あなたが書いてくれていたように、訳の分からない理由でストレスのはけ口にされるのはただただ理不尽でしかないことで、憤りを感じます。一方で、自分も容姿について無意識のうちに評価してしまっていないかと考える時間にもなっていました。思想の自由はあるけれど、それを周囲の人や本人に伝える必要性はあるのだろうか…いや、ないなとぐるぐる考えていました。

根性焼きや突き落とされることは目に見てわかりやすい暴力だと思います。でも、あなたの身に起きたことは心を壊すようなそんな暴力だと私は思いました。人間は体と心の両方の健康が大事なのかなと私は思うので、私は「大したことではない」と思えませんでした。ちょうど最近、なぜ差別や迫害が起きるのかを突き詰めてみたいという話を身近な人としていました。まだ行動に移せていませんが、あなたの経験談を読んで、早く行動に移したいと思いました。

感想2

経験談を投稿いただき、ありがとうございます。
「人並みになりたかったです」という言葉がありました。人並みであれば、普通であればこんなに苦しまなかったのにと感じている、悲痛な叫びに聞こえました。

学校という狭い世界の中で、でも社会の縮図のようななかでいじめにあっていたということでした。学校では勝手に攻撃のはけ口にされ、容姿に対する周りの態度に振り回されて消耗しているように思い、率直にひどいなと思いました。周囲の、ほんとうに勝手な基準で、傷つけてもいいと判断されるのってほんとうに許せないなと思います。
個人的な考えですが、普通というのはみんなが勝手に作って、ある一定の集団が満足できるものを示していると思っています。勝手に枠を決めて、それに当てはまらないと排除しようとするって、実に愚かなことだなあと感じています。
キモいから攻撃していい、といったことは道理が通らないと感じています。でも、それが日常的に、さも当たり前かのように行われている状況があるのですよね……心底辟易します。
なんだか、攻撃されても仕方がないと受け入れるわけではないけれど、投稿者さんは飲み込まざるを得なかったのだろうと考えると胸のあたりがもやもやしました。

「存在価値がないんだと思わされる」状況があれば、生まれてきたことが悪いと感じてしまうのも無理がないのだろうとも思いました。
でも、存在価値なんて誰かが決めるものでもなく、投稿者さん自身が決めるものではないかなと個人的に感じています。

家族に学校であったことを相談しても「お前が悪い」の一点張りだったとあり、味方がいないと感じてしまいそうだなと思いました。
もしかしたらネットの居場所なら、投稿者さんと似たような経験をしたり、互いに話ができる人もいるかもしれないと感じたので、もしよかったらそういう場所を利用していただくこともできるかなと感じました。