売れない自分?

千葉県・20代・女性


わたしは現在大学3年生で、もうすぐ4年生になる。世の大学3年生はそろそろ解禁になる「就活」に向け全力で動いている最中だと思うが、ビックリするほど身が入らない。というかこの2文字を見たくもない日々が続いている。

自分のセールスポイントが見当たらないのだ。

自覚している性格はネガティブなものばかりだ。同年代とのコミュニケーションが苦手で、新しい環境への適応が遅い。考えすぎる面があり、行動力に欠け、気疲れしやすい。そして自己肯定感がない。

加えて、自分の学生時代はとても誇れるものではない。

幼稚園・小・中学校では、クラスでなんとなく浮いていた。しかし先生となら話せた。学校ごとに仲の良い先生を見つけたので、その人に会うために学校へ行っていた。

しかし高校にうまくなじめなかった。入学式の翌日、漠然と「学校に行きたくない」と思った。知らない人だらけの教室がそわそわして落ち着かなかったのだ。(小→中学校はほとんど持ちあがりなのでこうはならなかった)

何とかその日をやり過ごしたが、不安な気持ちは変わらず、夜中に思いっきり泣いた。母に人生で初めて「明日学校休みたい」と言った。休みたいなら休んでいい、という答えを期待していたが、現実は違った。

母は全くこちらの話を聞かなかった。休むと癖がつく、行け。の一点張りだった。自分の気持ちを受け入れてくれないことが悔しくて更に泣き、過呼吸になったが母は助けようともしなかった。自分の娘が過呼吸なのに見向きもしないのはおかしいと思った。あまりに呆れたのか、休むことは渋々許されたが、母親への不信感は残った。

1日休んだ後は這うようにして学校へ行った。不安感は変わらず、ひどいときは授業中でも涙が出ていた。親にこれ以上見放されたくなかったので、多少無理して通学していたと思う。

少し経つと保健室や病院に行くことを覚えた。授業中つらくなったら保健室で休んだ。通院のため、時々の早退なら親も許した。

しかし、私はまだ情緒不安定だった。年の近い先生がいなかったからだと思う。20代くらいの先生が、お姉さんみたいで、一番話しやすかったのだ。なぜか高校には若い先生がいなかった。昔の環境が恋しくなり、また誰かに甘えたくなり、夜に寂しくなって泣いてしまう日が増えた。

また呆れられると思うと、親には寂しいと言えない。泣いてるときは決まって部屋から出なかった。ベッドで一人ぼっち泣き続けるのはとてもつらかった。

逃げ場を確保しつつも心からの安心はなく、1年の夏休み明けと2年の頭に再び、行きたくない→母親と衝突→過呼吸→ちょっと休む→復活を繰り返した。

休日も出かける気になれず、家にこもりがちになった。

父親とは母より安心して話せ、本当にまずいときは頼れる。しかし結局相談内容は母に共有されるので気軽に打ち明けることはできない。

母との関係は、不仲まではいかなくても、相性は悪いと感じる。

高3の1年間はとてもハッピーだった。たまたま若い先生が赴任してきて副担任になったのだ。おまけにとても気が合った。心を開ける人が近くにいる感覚は、とてもひさしぶりだった。

出かける余裕ができ、野球観戦が好きになった。人生で初めて趣味が見つかった。

中・高ともに部活には定着できなかった。うまく人間関係を築けず、中学では1年半、高校では半年持たずに辞めた。このこともコミュニケーションの苦手意識を高めた。

大学に入る前、病院の先生から、とにかく早く頼れる人を見つけるようにと言われた。先生の「外注」という言葉が面白くて印象に残っている。親に相談すると逆にストレスためるから、話し相手を外注するという意味だ。大学ではこれを忠実に行い1週間で外注先を見つけた。初日こそ少し泣いたがあとは大丈夫だった。

野球観戦を通し、年の離れた友人ができた。メンタルも以前より安定し、居場所があることの大切さを再認識した。

部活の経験から、続けられる気がせず、サークルには入らなかった。2年生から野球場でしたアルバイトは、楽しかったが、エントリーシートに書けるような素晴らしい経験はしていない。

振り返ると何かに熱中したり、長く継続したりという経験がない。面接でよく聞かれそうだが、答えが浮かばない。ガクチカなんて聞くと頭がフリーズする。高校での体験から人に頼ることの大切さを学んだが、学校に行きにくかったと面接で言うわけにいかない。

年の離れた人とは楽しく話せる。成績は中の上、大学では一個も単位を落とさなかった。自分のいい所といえばそれくらいだ。自分を売り込むなんて無理、自分の学生経験では社会から認められない。そう考えてしまう。タイトル「売れない自分?」はこうした気持ちを表している。

自己分析がこんな調子なので、やりたいこと、自分にできること、人より優れていることが何か、いまだにわからない。自己肯定感の低さも相まって、考えれば考えるほどマイナス思考になり就活を放棄したくなる。

就職するだけが人生でないことはわかっている。フリーター等、別の道を探そうと思うこともあるが、こんなことで諦めたらいけないという気持ちと板挟みになる。

3月が近づくにつれ、何もできていない自分に焦る。最近は胃が痛くて食欲がなく、寝転がっている時間が増えた。この調子の悪さは高校時代とよく似ている。

そして、親に相談できないのもまた悩みである。過呼吸の件以降、込み入った話はすべて外注しているからだ。コロナで連絡を取れる相手も限られ、一人で悩む時間が多いこともマイナス思考を加速していると思う。(だからこの場をお借りしました。)

理想の生活は、1人暮らしをして、自分ひとり生きていける程度のお金を稼ぎ、年に何回かは野球を見に行きたい。しかし、そのスタートラインにすら立てない気がしてきた。社会に出た人は皆この壁を乗り越えてきたのかと思うと、急に遠い存在のように感じられる。

学生時代に何かを成し遂げた人が、その経験を買われて企業に入るのはよいことだと思う。しかし、そうでなかった人、できなかった人にとって、この社会はあまりにも生きづらい。

就活のつらさを書いた、ほかの体験談も読んだ。同じようなことで悩む人がいることを知ったし、それなのに採用システムが変わっていないことに無力感を覚えた。

死にたいというより、生きたくないが近い。卒業まであと一年、私は社会人になれるのだろうか。

感想1

焦りと体調不良、そして無力感に苛まれる最中にもかかわらず経験談を送ってくださりありがとうございます。

これまでの人生を必死に生きてきたのに、そしてこれからひとり立ちするには越えられそうにない壁の存在が追い打ちをかける。つらい思いをさせている採用システムが変わらないことで無力感さえ感じる。そんな投稿者さんが望みを持てずにつらい思いをされている様子が伝わってきました。

これほどまでに投稿者さんを追い詰めているものを想像してみた時、「こうあらねばならない」という見えない圧力なのかなと思いました。学校ではこうしなくてはならない、大学では何かに力を入れなくてはならない、学校を出ると就職しなくてはならないなど。加えて投稿者さんは、家族や友人との関係も良くしておかなければならないと感じて、いつも周囲を気にかけ相当な努力を続けてこられたのではないかと想像しました。「考えすぎる」という表現からも、周囲を気にかける優しさと真面目さを持つ方なのだろうと想像しました。自己評価の低さも、責任感の強さからもっと自分が頑張らなければ、と追い詰めて考えた結果かも知れないとも思いました。間違っていたらごめんなさい。

でも投稿者さんは、ご自身がコミュニケーションの苦手さは感じていても「外注」するスキルを得たり、同年代は難しくても先生や年齢が違えば話ができたり野球観戦で友人を得たと書いておられます。これらを読んで、価値ある自分らしい生き方だと思いました。世間一般の物差しを当てれば「売れない自分」なのかも知れませんが、決してそんなことはないと思います。自分で気づかずにいるセールスポイントだってあるからです。冒頭ネガティブな性格とおっしゃっていますが、それを控え目と読むと長所だと思います。

経験談を読ませていただいているうちに、この世の中が年齢や学齢だけで人生の選択や決定を強いることは、投稿者さんだけでなく人が持っている持ち味・才能を発掘してプロデュースする意思が無いのではないかとも思えてきました。だから投稿者さんご自身の感覚や進め方を大切にして欲しいと思いました。また、相性が悪いとおっしゃっているお母さんとの関係も、投稿者さんが責任を持つ必要はないと思いました。

押しつけがましい感想になってしまい申し訳ありません。でも、投稿者さんのような人材を生かせられない社会の側に問題があると思えてなりません。

感想2

人間は商品ではないのに、自分を売らなければいけない社会の仕組みっておかしいなと思います。

これまでの環境は、どちらかと言うとあなたの持ち味があまり活かせるところではなかったのかなと想像しました。それは環境の側や、組み合わせに問題があっただけで、あなた自身の問題ではないように思いました。

話しやすい先生を見つけてお話したり、大学で頼れる人を見つけられたとあり、相性の良い相手であれば人と関わることは好きな方で、自分から繋がりを作っていける方なのだなという印象を受けました。

人は面接で他人に評価されるために生まれ育ったわけでもないと思うのです。しかし、それを強いてくる環境があるとしたら、やはり環境の側に、人が本来の人らしく生きるのを妨げてしまうような歪みがあるのだろうと思います。

社会って、目に見えないし、実体のないものなのに、存在するように見えて、しかも強大な権力を持っているように見えます。実際のところは、社会って何なのか、社会は存在するのか、は私には分からないのですが。

ネットの居場所「死にトリ」はささやかな社会参加の場として設置されていて、こうして経験をどこかの誰かに伝えてもらっていますが、このような参加の場は、参加しようとする一人一人の行動と、それらの相互的な関わりがあって、成り立っているのだろうと思います。だから、一人一人が望むような方向に、生き方や働き方を変えていくことで、参加の場である社会も動くのだと、まだまだ道半ばですが信じています。

私は、あなたの理想の暮らしは、当たり前に実現されてしかるべきものだと思いました。それが実現されるような新しいやり方を、そのために社会が何かの役割を果たすべきならそれを果たせる社会の仕組みを、一緒に考えて創っていけたらと思いました。もしよければ今後もご協力よろしくお願いします。

返信コメント

感想ありがとうございます。不調のピークは越えたものの、低空飛行です。

「ねばならない」思考の癖は、過去に人から指摘されたことがあります。つらチェックでも⑤、①の順に点数が高く、普通でいることへのプレッシャーがあるかもしれません。

また、普通でいることを他人や社会から圧として感じることもあります。社会のレールから外れないのが何より大事、という価値観です。
(余談ですがこの社会のレールという言葉、外れた人に厳しいので嫌いです…)

だからこそ、普通にできない、普通の就活生になれない現状が苦しいのだと思います。

先生と話したり、プライベートを楽しむのは、自分が生きるための工夫だと思います。居ていい場所は教室だけとは限らないと、この年になってから知れました。高校入りたての自分に教えてやりたいくらいです。

ただ、最近は不安が強すぎて楽しいことを考えられなくなっているかもしれません。以前ほどワクワクできていないことに危機感があります。

これからどうするべきなのか、社会に出られるのか、とても不安です。

今は病院の先生の助言もあり、進学など別の進路も模索しようとしています。自分を売り込むのがきついなら、資格を取りそれを武器とするのもいいと思う、と言われました。  

焦らず考えたいですが、スケジュール的にはすでにエントリーが始まっておりノンビリできない、という気持ちで板挟みです。  

最後に、このやり取りを通して、私は社会が「幅広い価値観」を持てれば生きづらさは減ると思いました。

今の社会は、先ほど私が嫌いだといった言葉「社会のレール」や、「○○しなければならない」のように、人々の価値観を狭める言動が多いと感じます。そうではなく、人生の選択肢がたくさんあり、ある世界ではうまくいかなくても別のところでやり直せるような…
そんな寛容さが欲しいと思います。

私個人も、視点を広げ世界を広く見られたら楽なのかな、と思います。