奴隷だった私


母と父が結婚した時父には連れ子(以下義姉)がいた。その後、姉(以下実姉)と私が生まれた。

自営業の末っ子だった私は物心ついた時から義姉から暴言、暴力を受けていた。

その頃からか自傷行為が始まった。髪の毛を抜く事で自分を守ってた。小学校6年間はハゲていた。母に意を決して義姉の事を伝えたがスルーされた。

私が中学3年の時に倒産した。父はDVまがいな事をしてきた、社長と言う肩書にあぐらをかいて働きもしなかった。その分母は1人で店を守ってたが限界がきた。

その後、高校生になった私は、家族で小さなアパートに引っ越し両親は外に働きに出た。が、自営業倒産の借金、週3日しか働かない父、生活苦で母は私達に黙って色々なところから借金して生活を回してた。その間ずっと義姉からの暴言暴力は続いてた。今度は胃が悲鳴をあげるようになった。私には夢があった。美大に進学してデザイナーになりたい。でも家にはお金がないから私は毎日バイトして休みの日は放課後デッサンしてた。受験料も育英会の無利子の奨学金も自分でやれることはやった。そして美術短大に入学した。

その頃から母はどんどん痩せてとうとう倒れた。そして雪だるま式に増えた借金の事を知った。その頃から義姉の暴言暴力が加速していった。義姉の貯金で借金を全部返済した。この事がきっかけで義姉から毎日暴力が続き、暴言もエスカレートしていった。私は短大を退学して死に物狂いで働いた。けど母がやってきた家事もやらなきゃいけなくなり、働けば「家事が疎かだ」と罵られ、家事をやれば「働け」と言われる日々だった。あげくのはてに父は借金の事を母の借金と言った。呆れた。父は変わらず、家事もしなければ週3日しか働かなかった。その後、母は倒れてから2年後亡くなった。亡くなる直前まで母は働いてた。強い母だった。母の死後義姉は益々凶暴化した、実姉と私は義姉の暴言暴力に耐え、毎日夜中まで続く行為の後に「後もう少しで解放されるから」と互いを励まし耐えた。義姉は一通り家を荒らして暴れた後私達に手紙を書かせた。

内容は義姉への感謝といかに自分が無能で義姉に迷惑をかけてるかという内容だった。それを書いては見せOKが出るまで眠れなかった。夜中3時位に終わって朝5時に姉を起こすという日々が続いた。よく言われたのが「今すぐ死んで」と「あんたは一生奴隷だ」だった。

私が高2の時、義姉の仕事始めに起きることが出来なかった義姉が発狂して「私が昼寝してる間に死んでこい」と言われたのはキツかった。泣きながら実姉に遺書を書いてパジャマのまま死に場所を探して四時間くらい色々考えた、だけど死ねなかった。小銭があったので友達に連絡して友達の家に行ったら義姉から電話が来て家に帰ったら何時間もボコボコにされた。「死ねって言ったのに何友達と遊んでんだよ」と。

義姉の暴力行為は義姉が結婚するまで続き、その後実姉はうつ病になった。住み込みのバイトを探して家を出た。私は父と二人で住んでたが帰りたくなくて仕事帰りはパチンコ屋で時間を潰し、家の明かりが消えるのを外で待って帰ってた。そしてある日眠れなくなった。精神科へ行くと不安障害とPTSDと診断された。27の時だ。その頃会社の上司の性格が義姉と同じでモラハラを受けていた。そして極めつけが手におえないパワハラ上司がやって来た事で私のメンタルはボロボロになってしまった。そして会社に行けなくなりクビになった29の時だ。私には居場所がなかった昔から。家にも会社にも…

今は前の会社で知り合った男性の家にいる。

実家を飛び出し彼の家へころがりこんで10年以上になる。相変わらず自傷行為はしてる。リスカにODに自殺未遂、過食で数年で60キロ太った。実姉は旦那を亡くしうつ病と向き合いながら自立してる。私は未だに引きこもり…だから実姉と電話しても責められる、彼には何も話せない。やっと抜け出せたはずなのにどんどん体調は悪くなっていくばかり。短大を辞め夢を諦めてからは母のまた元気な姿になる事を励みに頑張ってきた。でも夢も母も消えた…私は脱け殻になってしまった。

感想1

経験談を投稿いただき、ありがとうございます。文章の最後にある「抜け殻になってしまった」という言葉から、無気力になっている印象を受けました。でも、そう感じるのも無理のない状況だったのではないかと思います。

子供のころから義姉さんや父親さんからの暴力があり、まったくもって安心できる環境ではないように感じます。そんな中、母親さんに義姉さんからの暴力について伝えてもスルーされたとあり、意を決した行動でも何も変わらず、私が投稿者さんと同じ立場なら絶望感がありそうだなと思いました。でも、母親さんもそれをどうすることもできなくて、スルーせざるを得ない状況だったのかもしれないとも考えてしまうと、難しい気持ちになってしまいます。どこにも居場所がないとありましたが、まさにそのとおりの状況だったのではないかと想像しています。

努力して入学した短大も退学せざるを得なくなり、まさに奴隷のごとく動かされていたと思うと胸が痛くなりました。

義姉さんは、自信が抱えているものをあてる場所が実姉さんや投稿者さんしかいなかったのかなと思いました。自分より弱い設定の人に、しわ寄せがいく構造なのかなと……。義姉さんにも何らかのサポートがあれば投稿者さんが傷つくことが減らせたかもしれないと思うと、いたたまれない気持ちになりました。

今は義姉さんや父親さんから離れて生活しているということですが、今もつらさが自分の中で膨らんでいっているところなのかなと感じました。同居している彼さんや実姉さんなど、リアルでは気持ちが吐き出しにくさがあるかもしれませんが、少しでも気持ちが軽くなりそうなら、ネットの場所でお話ししてほしいなと感じました。

感想2

今の時代、この国には奴隷制度はありません、というように学校で習ったような気がします。でも私は、それは絶対に嘘だろうと思っています。あなたの経験談を読んで、その考えはより強くなっています。

今この国では、誰から見てもはっきりと分かるような形式の奴隷制度はたしかに見当たらないかもしれません。しかし、実質的には家族や親族内における奴隷制度と言ってよい権力構造がかなり広く存在しているのではないかと考えます。そうした「隠蔽された奴隷制度」は、もしかすると明示的な奴隷制度よりも過激化し、下に置かれた立場の人々を孤立化させ、結果として人生をひどく傷つけるのかもしれない、とも思うのです。

ただ、「私は奴隷だった」と主張することのできるあなたは強いと感じます。

それから、親がお金をどれくらい持っているかによって、就学の機会が左右されてしまうことは、とても理不尽で腹立たしいことだと思います。今からでも、あなたの学びたかったデザインやそれに近い分野に触れられる機会をどうにか得られないのだろうかと思いました。(私自身はデザインに詳しくないので良いアイデアが思い浮かばないのですが…もっと詳しい人に相談してみるのは一つかなと思いました。)

あなたと母親さんのことを聞いていると、強くて努力する人ほど家庭の中では奴隷化されて倒されてしまうものなのか…という考えすら浮かびました。そんな状況が悲しすぎて、生命を削っても懸命に生きてこられたあなたと母親さんの痛みも伝わり、この経験談を読んだとき気づいたら私の心は泣いていました。
死ねなんて言われなくても既に生きた心地はしなかっただろうし、生きた心地ではないのに死ねと言われるのは矛盾しているので、ただの暴言以上につらい言葉だったのではないかと考えています。

今住んでいらっしゃるところも、何も話せないとあったので、あまり居場所と感じられるところではなさそうだなと想像しました。
私は頑張ってきた、とありのままをお話されている姿は、私にはただの抜け殻には見えませんでした。たしかにそこで強く生きていらっしゃるのだと思いました。(あなたが抜け殻のように感じてしまうのも想像できて、その感覚を否定するわけではありません。)
感想がやや長くなりましたが、経験談を投稿していただき本当にありがとうございます。