埼玉県 古堂達也さん


こんにちは。
永野勇気さんからバトンをいただきました、古堂達也といいます。

ふだんはスクールソーシャルワーカーとして、おもに小学校で、子どもたちや保護者の方々、先生方の相談に乗っています。スクールソーシャルワーカーの説明は、山田詩織さんの記事(https://shinitori.net/docs/?p=1155)をぜひご覧ください。わたしが子どもたちに説明をするときは、「あなたがどうしたら毎日を少しでも楽しく安心して過ごせるにはどうしたらいいか、一緒に考える人だよ」と伝えています。

スクールソーシャルワーカーの仕事以外では、「にじーず」という団体で居場所づくりの活動をしています。今日はその「にじーず」の活動について紹介します。また、なぜわたしが「にじーず」の活動にかかわろうと思ったのかも、ついでにお話ししたいと思います。ちょっとしたお暇のおともにお読みいただけたら嬉しいです。

1.LGBTユースのための居場所「にじーず」

(1)「にじーず」とは

「にじーず」[1]は、10~23歳までのLGBT[2](かもしれない人)のための居場所として、2016年8月に池袋を拠点に活動を開始しました。月に一回開催しているオープンデーには、20人ほどのユースが参加してくれています。2019年からは埼玉、札幌、2020年には京都、釧路でも活動が始まり、現在は全国5拠点で活動をしています。

(2)オープンデーについて

オープンデーでは、土曜日や日曜日に場所を開放して、10~23歳までのLGBT(かもしれない人含む)が集まれるようにしています。参加費はかかりません。「いつ来ても、いつ帰ってもいい」をモットーに、安心して気軽に参加できる居場所を目指しています[3]。オープンデーでは、全員が参加しなければならない決まったコンテンツというのはありません。他の参加者やスタッフと雑談したり、カードゲームやテーブルゲームで遊んだり、本を読んだり……。もちろん、セクシュアリティについて話し合ったり、相談したりすることもできます。

(3)なぜ「LGBTユースのための居場所」が必要なのか

そもそも、なぜこうした居場所が必要なのでしょうか。
にじーずに参加してくれるユースたちの話を聞いていると、周囲の人みんなにカミングアウト[4]しているという人はほとんどおらず、友達には話しているけど家族には話していないとか、誰にも話したことはないという人が多いです。LGBTという言葉はメディア等でよく耳にするようになりましたが、安心してカミングアウトができる状況にはまだ至っていないということだと思います。また、LGBTや性の多様性については、義務教育の中でも必修の内容とはなっておらず、正しい知識や情報が得られないまま、周囲との違和感に悩むユースがたくさんいます。

そうした状況の中で、少しでも安心して自分のセクシュアリティについて話ができる場が必要と考え、にじーずの活動がスタートしました。

2.わたしの生い立ち

(1)教室での居場所をなくした中学生時代

では、なぜわたしがにじーずの活動にかかわるようになったのか。その原体験は、中学生時代にさかのぼります。

わたしは、日本海に面した川沿いの街で育ちました。子どもの頃から、セーラームーンが好きだったり、女の子の友達が多かったりと、大人たちから見るとあまり“男の子らしくない”子どもだったと思います。

自分が周囲の子たちとはどこか違うのかもしれないと感じたのは、中学1年生の頃でした。ある男の子のことを好きになったのです。当時のわたしは、そのことをあまり深刻には捉えていなかったこともあり、彼に自分の想いを伝えました。彼は「気持ちは嬉しいけど、ごめん」と(社交辞令的に)答えてくれたのですが、翌日から、気まずさからお互いに避け合うようになってしまいました。2年生に進級して彼と同じクラスになると、毎日のように避けられる現実に直面せざるをえず、教室にいることが苦しくなっていきました。また、当時、わたしが彼に告白したことがウワサになっていました。わたしは次第に教室での居場所をなくしていきました。

わたしの人生の中で、この中学2年生の一年間が一番重く苦しい時期だったと感じます。ときには、高いところから飛び降りたら楽になるだろうかと想像することや、布団に潜り込み “このまま目が覚めなければいいのに”と思いながら眠りに就くこともありました。教室に居場所をなくしたわたしは、生徒会役員になり、休み時間になると生徒会室で過ごすようになりました。逃げ場が必要だったのだと思います。

彼とは結局、気まずい関係のまま別々のクラスに進級し、高校も別の学校へ進学しました。

(2)仲間と出会った大学時代/居場所づくりの活動に参加

大学は、関東の大学へ進学しました。というのも、関東にはLGBTの学生のサークルがあったからです。

高校3年になったわたしは、自分がこの先も男性を好きになるだろうということを確信していました。そして、自分以外の当事者と会いたいと思ってネットで調べたところ、東京にLGBTの学生が集まるサークルがあることを知りました。自分もそういう“居場所”に参加してみたい――。そう思い、関東の大学へ進学を決めました。

進学後、LGBTの学生サークルに参加して、いろんな人と出会いました。さまざまなセクシュアリティの人と出会うなかで、ようやく“自分はこれでいいんだ”と思えるようになりました。

そして、自分もそうした居場所をつくりたいと思い、居場所づくりの活動に携わるようになりました。2017年からは、にじーずのスタッフとして活動を始め、2019年4月からは埼玉にじーずの世話人として居場所を運営しています。

3.みんなが生きやすい社会とは

(1)生きづらさの原因は社会にある

大学では、社会学を専攻しました。そのなかでも、社会的マイノリティや差別の問題について研究をするようになります。当事者としてセクシュアルマイノリティの問題を中心に、被差別部落やハンセン病、在日コリアンの問題について学びました。

さまざまなマイノリティを取り巻く問題について学ぶなかで、知ったことがありました。それは、マイノリティをめぐる生きづらさというのは、その個人に原因があるのではなく、その個人を取り巻く社会に原因がある[5]、ということです。このことを教えてくれたソーシャルワーカーの先輩は、これを「社会的な生きづらさ」と呼びました。

たとえば、セクシュアルマイノリティの問題について考えてみると、同性を好きであることで経験するさまざまな生きづらさ――異性愛者であると決めつけて接されること(同性愛者はいないものとして扱われること)、同性愛を笑いのネタとして消費されること、同性愛者であるということでいじめやからかいにあうこと、同性のパートナーと法的な保障を受けられないことなど、挙げればキリがない生活上の不利益――は、そもそも、わたしたちの社会が異性愛を前提としてつくられていることに原因があります。異性愛が“ふつう”とされている社会においては、同性愛(者)はいないものとされ、さまざまな制度やサービス、機会から排除されていきます。そうした扱いが、同性愛者に対する差別や偏見を温存し、同性愛者の生きづらさをより深刻なものにしています。

(2)“ふつう”じゃなくてもいい世の中がいい

わたしたちの生きる社会には、さまざまな“ふつう”や“あたりまえ”が存在しています。しかし、それが誰にとって“ふつう”なのか問い直してみると、多くの場合は、マジョリティであることが“ふつう”と呼ばれているだけです。それは、その方がマジョリティにとって都合がいいからです。でも、実際には “ふつう”と“ふつうじゃない”の境界はひじょうに曖昧です。

わたしたちは、さまざまな要素をもっています。セクシュアリティ、家庭の状況、国籍や民族性、信仰、健康状態などなど。それらすべてにおいて、つねに“ふつう”でいられる人など存在するのでしょうか。わたしは、そうは思いません。いわゆる“ふつう”に当てはまらない生き方であっても、多様な生き方が平等に扱われる社会のほうが、みんなが生きやすくなるのではと思います。

4.あなたへのメッセージ

これを読んでくれているあなたに、伝えたいことがあります。
わたしは、中学生のころ、少しだけ死に近いところにいたと思います。それでもここまで生きてこられたのは、拙いカミングアウトを受け止めてくれた友人や、セクシュアリティの悩みを共有できる仲間と出会えたからです。そして、社会学やソーシャルワークといった学びを通じて、社会を構造的にまなざす視点を得たことで、少しだけ生きやすくなったように感じます。

もしあなたが、いままさに死にたい気持ちを抱えているとして、「あなたもきっと仲間と出会えるはず」「だから大丈夫」と言いたいのではありません。わたしとあなたが置かれている状況は違うし、誰かの死にたいほどつらい気持ちが、そんな陳腐な言葉で癒されるとは思えません(かつてのわたしが聞いてもそう思うでしょう)。

でも、こうしてこのページにたどり着いたあなたには、生きる力が備わっているのだと思います。そして、“生きづらさ”を知っているからこそ、他者の痛みに気付ける可能性ももっているのではないでしょうか。わたしは、あなたの力を、その可能性を信じたいです。いつか、その力を発揮してもらえるよう、わたしはわたしの手が届くところから、社会を少しずつ変えていこうと思います。それが、巡り巡って、あなたの生きやすさにつながることを願って。


[1] 「にじーす」の詳細はHP(https://24zzz.jimdofree.com/)をご覧ください。

[2]  LGBTとは、女性として女性を好きになる「レズビアン」、男性として男性を好きになる「ゲイ」、男性も女性も恋愛対象になりうる「バイセクシュアル」、出生時に割り当てられた性別と自認する性が一致しない「トランスジェンダー」の頭文字をとったものです。LGBT以外にも、恋愛感情や性的欲求をもたないアセクシュアルや、自分のセクシュアリティ(性の在り方)が分からない・決めたくないクエスチョニングなど、さまざまなセクシュアリティがあります。一般的に“ふつう”とされている異性愛も、ヘテロセクシュアルというセクシュアリティの一種です。

[3] 現在は、新型コロナウイルスの感染拡大予防のため、事前予約制(定員制)としています(2021年2月28日時点)。

[4] “coming out of the closet”の略。クローゼットの中から外に出ること、つまり、これまで表明していなかった自身のセクシュアリティを他者に伝えることを指します。逆に、セクシュアリティを他者に明らかにしない状態を「クローゼット(クローズド)」と呼ぶこともあります。

[5] こうした物事のとらえ方を「社会モデル」といいます。一方、個人に着目し、個人のなかに原因を置くとらえ方を「医学モデル」と呼びます。