『理想』と『現実』と『現』

〈岡山県・40歳・女性〉


私は、小学校に入学するまで「外の世界」を知らず、家の中だけで育ってきました。
小学校に入学した途端、何もかも分からない事だらけ。。
横断歩道の渡り方すら、周りを見て覚えた。

そんな私は、社会常識を全く教えられず、育ったせいか、「現実」と自分の社会ってこうあるべきではないのか?という「理想論」のギャップが激しすぎて、現在社会に失望する事が多い。「醜い現実」だけが、やたらと目について、この世に生まれた事すら後悔を覚える。

鬼束ちひろさんの「月光」の歌詞にあるように、「私達は、この腐敗した世界に落とされた  こんなものの為に生まれてきたんじゃない」。。
私は、人間関係もうまく作る事すら出来ない。。
人が怖い。。
「建前」と「本音」の使い方すら分からない。。
仲良くなっても、「いつか、裏切られ、傷付けられるんじゃないか?」という疑惑から離れられず、裏切られる前に自分から関係を「精算」して断ち切ってしまう。。

知人から、「もっと、甘えてもいいんだよ?」と言われたけど、「甘える」という事が、どういう事なのか、虐待を受けて、「幽閉」のような生活を幼少期、送ってきた私には、「愛情」も「甘える」という事さえ、分からない。。
そもそも、こんな言葉を言ってくれた人は、過去に一度もいなかった。。
教師さえ、「すぐに、逃げるな!甘えるな!」と怒られてばかり。。
大体、この歳になって、甘えるという事に対しても、一切、人様に甘える事を禁じてきた私には、抵抗がある。。
人様から、甘えられる事はあっても、どう接していいのかすら分からない。。
知人に対して、申し訳ない。。

感想1

 まず私は、一つ一つは短い文章なのに、その行間に感情や葛藤や考えてきたことが沢山つまった経験談だと感じました。

 家族に関する細かな描写はありませんが、人への安心感や信頼感といった人間関係の土台ともなるものが得られないまま放り出されるように社会に出され、自分が見て聴いて学んだことを頼りに手探りで生きてきたように私には感じられました。

 期待して裏切られないように人に甘えることを禁じてきた投稿者さんが、「もっと、甘えてもいいんだよ?」と言われた時に、抵抗があることはとても自然な反応だと私は思いました。それでも投稿者さんの気持に揺れる何かがあって、とても戸惑いもあるように私は感じました。

私は、経験談を読んでいて、そういえば「甘える」って具体的にはどういうことなんだろうと考えたくなりました。考える機会となる経験談の投稿をありがとうございます。
私には、「甘え」と聞くと「無責任」とか「自分以外に期待してる」みたいなイメージがありますが、「甘える」と聞くと何か「甘え」とは違ったイメージがあります。上手く言葉にしずらいのですが、「甘える」には人に任せられるものは任せるとか、相手にお願いするみたいな、責任を分担するメージがあるのです。
そう考えていくと、そこには「期待」と「信頼」という違いがあるのかなと思いました。
違いがわかったところで、では「甘える」ってどうしたらいいの?「信頼」ってなんだっけ?と次の疑問も浮かび私の頭の中でも混乱しかけていますが、「期待」と「信頼」について調べたり、話をするハードルの低い匿名の電話相談やSNS相談などで誰かと一緒に考えることで、何か投稿者さんにとってのヒントが見つかるといいかもしれないと私は思いました。

感想2

送ってくれた経験談を読みました。
これまでの経験については、あまり詳しく書かれていませんでしたが、あまり思い出したくなかったのか、思い出せなかったのか、どうだったのだろう?と考えていました。

突然、「外の世界」に放り込まれたら、とても怖かったのではないかと想像します。その影響で、今も「外の世界は怖い」という気持ちがあるのでしょうか?

現実と理想論のギャップが激しい、とありましたが、例えばどんなギャップがありますか?もう少し具体的に教えてもらえたら、理解が深まりそうです。

あなたの「社会ってこうあるべきではないのか?」という考えを、他の人たちに伝える機会が、どのくらいあるのかも気になりました。もしかしたら、「自分の理想論を伝えても意味がない」と諦めてしまっているのかなぁと思いました。

私は、皆が皆、人間関係をうまく作れる必要はないと思っています。(私も人間関係を作るのは苦手なほうだと思います。)
あなたは、人と関わったら、一定のところで自分から関係を断つという方法で、これまで社会を歩いてこられたのでは、と思いました。それも一つの人間関係のこなし方ではないかと思います。

おそらく、幼少期の経験から、「家の中の世界と、外の世界は全然違う」というイメージが強くなってしまったのではないかと想像します。ただ、実際には、今のあなた自身がイメージしているほどのギャップはないかもしれない、と考えました。

世間には、もっともらしい仮面を被っている部分があると思います。でもその裏には、意外と分かり合えるものがあるはずなのではないか、と思うのです。あなたがご自身の考えを人に伝えることで、分かり合える何かを探し当てることもできるかもしれない、と思いました。

お返事

〈感想 1について〉

幼少期、私の父親は、アルコール依存で、母親は、過干渉でした。
そして、少しでも言う事を聞かない、ベランダにすら出ただけで、布団叩きで叩かれたり、コンセントでムチのように叩かれ、傘で殴られたりしました。。

そんな私が、周囲を見て学んだ「常識」や「マナー」は、その時は、「それ」が私にとっての「全て」でしたが、子供ながに、「ちがうのではないか?」と「違和感」を感じたものもあってのも、事実です。

私も、「甘え」というと、「無責任」等と同じような気持ちを持ってしまいます。。私は、人に対する「期待感」や「信頼感」等というものは、全て捨てました。「甘える」という事は、「その人」に対して「報酬」がいるということも最近、学びました。

私に、「甘えてもいいんだよ?」と言った方の場合、「身体」。。私は、そんな「援助交際」のような事は、望んでいません。。ましてや、性的被害に二度、あった私にとって、「身体を求められる事」は、耐えられません。。

おぞましさすら感じてしまって、甘えるくらいなら、いっそう、死んだ方がマシだと思います。。

〈感想 2について〉

ご多忙の中、読んで下さって、ありがとうございます。。
私にとっては、幼少期の事は、「パンドラの箱」に閉じ込めておきたい経験でした。。
初めて、「外の世界」を見た時々は、「戸惑い」の中に、「キラキラしたもの」も感じたのを覚えています。
けれども、年齢を重ねるごとに、「醜い世界」だと知り、絶望感を感じました。。今、怖いのは、「私以外の人間全て」です。。
人の心は、季節のように、移ろい、そして、簡単に、人を切り捨て、傷付ける。。季節の移り変わりは、キレイだけど、人間は、私を含めて、醜すぎる。。
それが私には、耐えられない。。

私は、去年、前職でパワハラにあい、精神的ダメージを受けて退職をしましたが、自分が言った「言葉」を「言葉のあや」等とごまかさず、自分の「非」は潔く、認めるべきだと思っています。しかし、自分の「非」を認めるのは、かなりの勇気がいります。それが、事が大きければ、大きいほど。。
私もそうして頂けたら、こんなに「深い傷」を受けずに済んだ。。

私も、今の職場では、自分が間違った事を指摘されたら、素直に認め、謝罪するように心掛けています。それが、出来ない人間が蔓延っている限り、傷付き、絶望し、自ら、命を絶つ方は減らないと思います。

「現実」というのは、「弱肉強食の世界」。。私の理想像は、星野仙一さんのような「強きを挫き、弱きを助ける」。。そんな世の中。。
私は、自分の考えを知人にお話した事がありますが、「社会とは、そんな甘いものじゃない。私の意見は、あくまで、『理想』に過ぎない」と言われました。。
こんな「世の中」生きていく意味等あるのでしょうか??

私は、今、宗教ではないですが、「ブッタの言葉」という本を愛読しています。
これに、書かれている内容こそ、私達が、一人一人、自分自身を見つめ直し、内容を理解する事で、「相手の気持ち」を汲める寛大な人間になれるのではないかと思いました。しかし、私自身も、実践出来ていないのが、現状なので、偉そうな事は言えないのですが。。生意気を言って、申し訳ありません。。