生殺し

20才(男)


私は20才の大学生です。高3の時に躁鬱病と診断されました。
私の現状を①に、鬱になる経緯を②に書きたいと思います。

①現状

今年大学に入学しましたが、 色々とどうにもならない問題が重なり、鬱が悪化しています。 最初は楽しかった大学の勉強も段々と無意味に思えてきました。留年すれば両親に学費を払う余裕はないのでプレッシャーを感じますが、課題が多いため乱視持ちで眼精疲労が続きます。体調を崩すことも多いです。

家事もしなくてはいけません。下宿ではなく一軒家なのでやることは多く、通学も往復3時間はかかります。

加えて猫を飼っているので世話をしてやらないといけないのですが、八歳の時に飼った後しばらくしてアレルギーが出てしまったので毛が危険物です、しかしこまめな掃除をする気力もありません。母と父(再婚相手)が住むアパートはペット不可でどうすることもできません。ペットは最後まで責任を見る覚悟が必要とは言いますが、本当にあんまりです。

最低限の家事と課題で時間がなく、気力もないので現在アルバイトをしていません。お金がなく、自炊する気力もないのでスーパーの半額弁当を食べる毎日です。美味しさなど感じられず更に気分が落ち込みます。

友達らしい相手はおらず、その場限りで当たり障りなく仲良くするだけです。そしてそんな行為に罪悪感と虚無感がわき起こります。本当はもっと仲良くしたいのにやり方がわからない。

心が揺れる瞬間がどんどん減っていて、趣味らしい趣味がありません。

友人もなく、趣味もなく、体も心も弱いのでまともに働くこともままならない。「これ以上悪くなる前に死んだ方がマシ」「なんのために生きているのだろう」そんなことばかり考えます。今の私は死ぬのが怖くて死ねないだけ、生殺しです。

私は大学にはギリギリ通えているので、精神障害の中では軽い方なのかもしれません。でもだからこそ障害年金や生活保護を受給できません。本当に無礼極まりないことを承知で申しますが、受給者が羨ましくて仕方ない自分がいます。こんな生殺しの辛い状態よりはいっそ気が狂ったとしても、働かないでも最低限の暮らしができるほうがいいんじゃないかと考えてしまうのです。

今も子供の頃も「大人びてる」と言われることがありますが、中身は全く大人じゃない。理性的な人間になんてちっともなりたくなかった。

②私のこれまでの人生について

私の母親は僕を産む以前から鬱病でした。父親の支えもあって社会生活は送れていたそうですが、育児ストレスで鬱が悪化。父親にも問題があって、ギャンブル癖がありました。母を慰めることへのストレスからかギャンブルはエスカレートし、母の貯金を使い込んだために私が2才の時離婚します。しかし高校からの付き合いだった父母は縁を切りきれず、離婚後しばらくすると再婚はしないまま同居し私と三人暮らしに戻りました。母父ともに私への愛情はあったため、幼少期の私はまだ健全で、保育園ではリーダ格でした。

転機は私が小学1年生のときでした。当時またしても父の浪費が発覚し母の実家に身を寄せていたのですが、父と母が再びヨリを戻し転校することになりました。田舎の小さな学校から市街地の学校に転校した僕は馴染むことができず、男なのに女の子のように(LGBTの方はすみません)髪を伸ばして顔を隠すようになりました。それでも当時の私は父母と再び暮らせることを幸福に思っていましたし、少ないながらも友人がいて、読書という趣味もありました。しかし平穏な日々は続かず、父のギャンブルと母の鬱は治らず、私の目の前で喧嘩をしては一ヶ月ほどの別居をする、という状態を繰り返しました。そして喧嘩の後で「死にたい」という母を慰めるのは決まって幼い私でした。そんな中で僕の人格は歪んでいったのでしょう、サッカーで反則の限りをつくしながらプレイして最後には皆に侮蔑の言葉を吐き去られる。という事がありました。最初は軽いラフプレーのつもりだったのに、いつのまにかエスカレートして止められませんでした。笑いながら走って突き飛ばして、周囲の罵倒と罪悪感で泣きそうになるのを覆い隠したのです。似たようなことは何度かしでかしましたが、この件は特に酷く、今でも覚えています。悪目立ちすることで自分を満そうという愚かな行為です。

また小学生高学年の頃から、ふとした瞬間に「自分は何のために生きているのだろう」という虚無感を感じるようになりました。 
中学生は私の黄金期と言っても良いかもしれません。
家庭は落ち着いていて、私は健全な反抗期に入りました。運動部に入って凜々しくなったこと、破天荒ながら成績優秀だったことがウケたのか、クラスメートからチヤホヤされていました。
ですが調子に乗った結果、組織的なものこそありませんでしたが、何人かの同級生に小突かれるなどの嫌がらせを受けました。それに学校でこそ男女ともに友人は多かったですが、放課後に遊んだり悩みを相談できる友人はおらず、結局「ほんとうの友」は居なかったのかもしれません。

そして受験を目前に控えた中学三年の秋、決定的な出来事がありました。母が私の養育費を使い込んだ父を追い出しました。しかも母からは再婚相手がいると聞かされました。色々ありつつも、ずっと三人一緒だと考えていた私には衝撃でした。金癖こそ悪いものの優しかった父を嫌うことはできず、かといって母を責めることもできず、雰囲気の悪い家、母の再婚(不倫)という秘密と受験という三つのストレスを抱えることになりました。当然私は身も心もズタボロになっていきます。
不眠で顔は見る影もなく荒れやつれ、動悸は日常茶飯事。希死願望と戦う日々でした。
結局高校は第二志望に、母と父は別れました。

高校に入っても体の不調と心の傷は癒えず、成績も急激に落ちました。そして高3の春、受験ストレスへのトラウマからか、学校へ行こうとすると頭痛を感じ、通学電車で吐きかける等の症状が出、心療内科を受診した結果、うつ病と診断されました。

大学受験は浪人することになりました、私の高校卒業を機に母は再婚、しかし再婚相手が他県に転勤したため私1人を家に残して引っ越しました(これは鬱病の母といても悪影響を受けるだけと考えた私の意思でもあります)
一人暮らしをするにもお金がなく、アルバイトを始めますが人間関係が上手くいかず、すぐに体調を崩すので職を転々としました。→その後どうにか大学生に

感想1

これまでの躁鬱病に至るまでの経緯、その都度あなたが感じてきた感情が描かれていて、当時から今に至るまでのあなたの状況がイメージできるような描写に文章の美しさを感じました。

今日に至るまでにご両親の影響がとても強く、そこから離れる、というあなたの決断はじぶんを守るために必須だったのではと思いました。子供のうちは力もなく大人に身を任せるしか生きるすべはなく振り回されてきた中であなた自身の人生を生きることのできるようになった年齢になったからこその決断と感じます。

とはいえあなたのおっしゃるとおり、障害も経済も、その他さまざまなことも、「中間(ボーダー)」が一番苦しいのではないか、と個人的な意見ですが私は思います。

はっきりとわかるくらい精神障害が重かったり働くことや学校に行くことが難しいほど重ければ保護や支援を受けることができますが、そこまででもなく、日々苦しみながら何となくでも生きていけてしまうくらいの生きる力が残っていたら支援は受けられない、という、国の基準や社会の制度には本当に疑問に感じます。

「生きづらい」という言葉を昨今よく聞きます。私自身、正直に申し上げると、生きていたくないと思うことはたくさんありますがこれまで「生きづらい」という表現や言葉の意味がイマイチピンとこない部分がありました。しかし、あなたの投稿を読んで、まさに「生きづらさ」とはこういうことなのでは、と感じました。

確かに苦しんでいるのに、その苦しさが軽んじられ、保護や支援を受けることが出来ず、産まれた家からの後遺症による様々な症状や状態について理解されず、独りで頑張ることを強いられる…まさに、タイトルにあるように「生殺し」だと、私も感じます。

何のために生きているのか…きっとその答えはだれしもが死ぬまで探し続けるでしょうし、その時々で変わってきたり、見失ったり、絶望し、死にたくなったり…

今はただただ生殺しの状況の中、たったひとり何とか身を立てている状況かと思います。
保護を受けるほどでもない、とはいえ立っているのもやっとな状況で、あなた自身のことを理解し、少しでもあなたを支えてくれたり、サポートが受けられたり、と願ってやみません。仲良くする方法がわからない、と書いてくださっていましたが死にトリにも人と交流するコンテンツもありますので、そちらも活用していただければと思いますし、こちらはネットの居場所でもありますので、とにかく孤独にならず、誰かとつながっていてほしいと思います。

感想2

本当に「生殺し」というタイトル通りで、読んでいてこちらまで息苦しさや、行き場のないやり切れなさを感じるほどでした。淡々と描かれており読みやすい文章でしたが、言葉の端々からはあなたの苦しさが見えるようでした。

そんなあなたの文章を読んで、私が感じたことを少し書かせてもらおうと思います。ここは違うなと思ったところや、ここはそう思うなどと感じたところがあれば、また教えてもらえると嬉しいです。

まず印象に残ったのは、途中の「今の私は死ぬのが怖くて死ねないだけ」という言葉でした。自身の今の状態は、「生きている」よりも「死んでいない」という言葉のほうがふさわしいと感じられているのかなあと、思いました。今の状況を変えるためにはどうしたらいいかも見えず、かといって今のままでは徐々に悪化していく。そんな苦しさがその言葉から感じられました。というのも、僕も大学生のころ自分は「生きている」んじゃなく「死んでいない」だけだなあと感じた時期があって、もしかしたら似たような感覚なのかもしれないと思いました。ちなみに僕は当時、もがけどもがけど沈んでいく「底なし沼」にいると感じていました。

そして障害年金や生活保護が羨ましいという気持ちを抱えていることは不自然なことではありませんし、きっとそう思っている人は他にもたくさんいるんじゃないかなあと思います。そういった制度にはどうしても条件があって、それには当てはまらないけれど苦しくてたまらない生活を送っている人も多くいらっしゃると思います。そういった人が多いからと言ってあなたにとって何になるかと言われてしまえばそれまでですが…。ただそういった狭間で苦しんでいる人たちが集まるのがここ死にトリなのかなあとも思います。そしてギリギリ大学に行けてしまうからこその苦しみがありながらも、そこで踏ん張っているあなたのことを心が弱いとは僕は思いません。

 両親とのこともたくさん書かれていましたね。あなたは家庭の中で身を削って両親を気遣ってきたのかなとも想像しました。もし僕があなたなら、現在の苦しさは両親のせいだと言ってしまいそうですが、あなたは「両親のせい」という言葉を一度も使っていないですよね。その理由は両親への愛や優しさなのか、人としての気高さなのか、もしくは自分を保つためのものなのか、一体どういったものなんでしょうか。自分を責めすぎるわけでもなく、誰かのせいにするわけでもなく、苦しさの中でもバランスを保っておられるような気がします。また、過去のラフプレーのことを愚かな行為とおっしゃっていたり、自分の中のドロドロした部分を何とか抑えようとされているのかもしれません。それが「大人びている」と思われているのかもしれません。正面から見ると大人びたあなたの姿があるけれど、背中は傷だらけで立っているのもやっと。そんな苦しさがあるのかもしれないと感じました。

 最後に、「心が揺れる瞬間」がどんどん減っていってしまうということですが、私は「心が揺れる」という表現が好きです。嬉しい、楽しいという感情だけじゃなく、悲しいなどのネガティブな感情も含めて、「心が揺れる」瞬間はとても尊いものだなあと感じます。実際、あなたの経験談を読んで私の心は揺れました。うまく言葉には表せないのですが、それは同情や心配といったものではないのです。あなたの人生を感じてただ心が揺さぶられる感覚がしました。ほかの方の経験談を読むときもそういったことは起こるので、もしかしたら人の人生に触れるということが、心を揺らすのに大事なことなのかもしれません。もちろんあなたにとって「心が揺れる」のがどういう時かは違うかもしれませんが、もし誰かの人生に触れたり、人生から生まれた言葉などに触れる機会があれば大切にしてみて欲しいなあと思いました。

〈感想への返信〉

感想1
「支援のボーダーにある人間が一番苦しい」と書いて頂きました、少なくとも重い障害の人と同じくらいボーダー障害者が辛いということを世間は認識してほしいと私も思います。特に私のような経済的に裕福でない層は貧困と鬱のWパンチ。お金があれば大学も休み休み留年して卒業できますし、節約でストレスを感じることもないはず。
とは言っても精神を病んで体も弱い私は生物学的には自然淘汰で生き倒れるのが定めか、なんて考えてもしまいます。

感想2
「両親のせい」という言葉を使っていないと書いて頂きましたが、「両親のせいだ」と思うことだって全然あります。「誰かのせいにする人間だと思われたくない」と匿名ですら見栄をはってしまっただけでしょう。我ながら面倒な人間だと再認識します。
印象に残ったのは「大人びて立っているが背中は傷だらけ」という表現で、凄くしっくり心に入ってきて自分の苦しみや頑張りを的確にねぎらって貰えた気がしました。