しにたいから、書く

50代・男性


SNSに、フィットネスの先生とレッスン後に撮った写真をアップしたら、先輩格の人から、コロナで自粛中の人のことをもっと考えるべきではないか、と意見された。

明るく楽しい空気をみんなに届けたい、と思って投稿したのが、裏目に出た。
自分がよかれと思ってしたことでも、傷つく人がいることに気づかなかった。
先輩には誠意をもって説明をし、理解をしてもらえたが、とても動揺している。
今日はこのことばかり考えてしまう。

投稿を削除しようと思いつつも、いいね!をしてくれた好意的な人もそれなりにいるので、投稿自体はそのままにしておきたい。

こんなことで悩んでいる自分が情けない。
つい、しにたい、と思ってしまう。


最近、アルコール依存症を疑い、自助グループや医者に通っている。
自分は飲酒量をコントロールできない病気のようで、酒をやめる必要があるが、やめられない。
夕食後までは我慢できるが、寝る前に飲んでしまう。妻に隠れて飲んでしまう。
やめようと思っても、やめられない。そもそもやめる気がないのではないか?
ただの酒好きだと思ってきたが、調べれば調べるほど、そうではないらしいということがわかる。もう諦めはつきつつあるものの、飲酒の習慣から逃れられない。

罪悪感がつのる。どうしていいかわからない。

このまま転落の人生を歩んでいくのか?

もう、しにたい、と思ってしまう。

10年前から、うつを患っている。
会社も長期で何度か休んでいる。
復職できたが、出世コースからは外れた。
給料が上がることはもうないだろう。

一方で、仕事の負担が減った分、生活にゆとりができ、趣味に打ち込める時間が出来た。
先にも書いたフィットネスだ。スポーツに打ち込むと、うつを忘れられる。
でも、やり過ぎてしまう。とりつかれたように毎日やってしまう。
妻と一緒に過ごす時間が少なくなる。仕事以外の時間をフィットネスで埋めるようなスケジュールを立ててしまう。

そして好きな先生に依存してしまう。
恋愛だとは思わないが、いい関係を築きたくなる。
レッスンで名前を呼んでもらえないと、落ち込む。
SNSで連絡をして、反応がないと、気がふさぐ。
先生の都合で、この先レッスンが全てなくなるのではと、気をもむ。

趣味のことで、何故こんなに悩まなければならないのか?
また、しにたい、と思ってしまう。


SNS依存、
アルコール依存、
フィットネス依存。

何かに依存しやすい体質。
やっかいな体質ではある。

でも、しぬほどのことだろうか?
僕の「しにたい」は根拠が薄弱だと思う。
ここに述べた3点は、あえて具体的に挙げるなら、という観点から、捻り出して書いてみたもの。

こんなことで、しにたい、なんて思うのか?
と自分でも思う。

他の「しにたい」人たちに申し訳ない。

それでも毎日のように、「しにたい」という言葉は心に浮かんでくる。口をついて出る。気づくとパソコンやスマホに打ち込んでいる。

本当にしにたい理由は、ほかにあるに違いない。
もっと重大なものが、自分の中に隠れているような気がする。
精神的な何か。
どす黒い何か。
ゆがんだ何か。

それを今、探している。

でも探し方がわからない。
考える、という作業自体が不得意だ。
どういうことなのか、わからない。
思考にとらわれるくせに、よく考えるということができない。
だから、行動してみる。
とりあえず、なんでもいいから言葉にしてみる。
今書けることを書いてみる。
ここにもこうして書いている。

意味があるかどうか、わからない。
でも、書いている間は、しなない。
しぬのが怖いわけではない。
いや、怖いか。

結局、逃避なのだろうか?

ひどく疲れているような気がする。

感想1

経験談を投稿いただき、ありがとうございます。

詩のようで、読みやすい文章に感じています。その中で特に、「つい」「もう」「また」しにたいと思ってしまう、という表現が印象的でした。この表現から、「しにたい」気持ちが身近にずっとあり続けているような印象を受けました。

また、「情けない」「罪悪感」「何故こんなことで悩まなければならないのか」などのことばから、自責の念が強く、どこにも逃げ場がない感じがあるのだろうかと考えていました。

ただ、アルコール依存症のところでは、自助グループや医者に通われているとのことで、自分から状況を変えようと行動する力のある方なのだなと感じていました。だから、やめる気がないなんてことはなくて、ただ、簡単に抜け出せるものではないからこそギャップで苦しくなってしまうのだなと思っていました。

いろいろなことに思いを巡らせて、考えることにエネルギーが使われていて、行動するまで及ばないところがあるのだろうかとも考えてしまいました。

投稿者様が捻り出した3つの死にたい理由は、すべて依存行為との事でした。身を守るための手段として、たまたま依存というものがぴたっとはまったのだろうと推測しています(なにかに没頭できる、集中力のある人だからこそ、のめりこんでしまうところがあるのだろうか……とも考えてしまいました)。

ですが、文章を書くことも、自分のつらさや気持ちをしょうか(消化、あるいは昇華)することにつながるのではないか、と個人的には思っています。

そして、「しにたい」の正体についてですが、正体はわからずとも「しにたい」気持ちがあることに変わりはなくて、悩まれていることは事実だと思います。

正体を突き止めるのはなかなか時間のかかるものかもしれませんし、もしかしたらこれだ!という明確なものはないかもしれません。
ただ、頭の中でぐるぐると思考を転がすのではなく、文章を書いて目に見える形にすると、得体のしれないものが少しずつ分かってきたりするものかもしれないと思います。
なので、今回このように表現していただけてうれしく思います。

だから、今後も、文章を書いたり発信してほしいなとひそかに願っています。

感想2

「しにたい」という根拠をずっと探し続けて、ここまでたどり着かれたのではと感じました。日々、それらを分析し、行動し、振り返り…考えることが不得意、とのことですが、自分自身と向き合うことは本来とてもしんどいことなので、逃げることなく今の自分ときちんと向き合いながら、ひとつひとつ、進んでいたり、自分について深まったりしているのではないでしょうか。

よく考えることができないから行動する、これは実際にはとても難しいことだと私は感じていて、人は頭の中で考えたり、自分を責めたり、こうしたらいいのではないか、と思ったとしても実際に行動に移せる人というのはかなり少ない気がします。頭の中でぐるぐる考えて、仮に何か結論的なものが見つかったとしても、それが行動に移らなければ何も変わらないし、逆を言えば、とにかくまとまっていなくても、動けば必ず何かが変わります(それが良かったのかどうかは、だいぶ後になってみないとわからないことの方が多いかもしれませんが…)

依存、投稿者さんは依存に対して、自分が依存している、ということに対して罪悪感を感じているように書かれていましたが、依存、とは、必ずしも克服しなければならないのだろうか…と私自身も考えてみました。

程度の差こそあれ、全く何にも依存せずに生きている人なんていないだろうし、「精神的な、どす黒い、ゆがんだ何か」と立ち向かうために、今はそのような手段でなんとかやっていっているのでは、と考えると、いずれなくなることを目指しているとしても、今は少なくとも、それが必要な時期なのでは、と思ったりもしました。

「しにたい」の正体、って、なんでしょうね…

そもそも、「しにたい」にもたくさんの種類があるように感じます。何も楽しいことがなく生きている意味を感じない「しにたい」もあるでしょうし、様々な問題を抱えていて頑張ってもがんばってもどうにもならなくてもう「しにたい」のかもしれないし、もっといろいろたくさんの「しにたい」形やあり方があるように感じます。

必ずしも擦り傷よりも骨折の方が痛いわけではないのと同じように投稿者さんの「しにたい」を他の人と比べる必要はなく、今、あなたの中での「しにたい」と感じているお気持ちを、今回のように形にしていく中で見えてくる部分もあるかと思うので、これからも行動したり、このように文章にしていく中で整理されたり、気持ちが落ち着くのであれば、行動してみてほしいと思いました。

どれだけ考え、行動しても「しにたい」の根拠はもしかしたら見つからないかもしれないし、時代や環境が変わればまた変わってくるものなのかもしれません。それでも投稿者さんのように日々模索し、行動し、自分について詳しくなったりしていく中で、少し息がしやすくなる方法、や行動、考え方の転換、等が見つけられるといいな、と思い、私も見習いたいと思います。

とはいえ、常に人は向上し続けなければいけないわけでもないので、私個人としては、ダメな自分に浸る時間、というのも多少は作っていたりもします。「しにたい」気持ちを抱えて生きるのもしんどいですが、ではそこから抜け出そうとしゃかりきになっているのもまた、「疲れてしまう」ので。
なので、たまには逃げることも、ご自分に赦してあげてほしいと、個人的には感じました。

お返事

「感想」を2本もいただき、ありがとうございます。

しにたいという気持ちの中で、「書く」という行為に救いを求めている姿に共感していただけたようで、とても嬉しいです。

気持ちがふさいで、どうにもしようがないとき、
僕は精神安定剤を飲むように、言葉を書き連ねて、その場をやり過ごしています。

考えるのが苦手で、とりあえず行動してみるという点にも応援の声をいただき、ありがたいです。

おかげさまで、この経験談をお送りして間もなく、お酒は止まりました。
既に断酒して1か月以上経ちます。このままやめ続けたいと思います。

ただ、しにたいという言葉は、相変わらず、毎日ココロの中に浮き上がってきます。
やがて口をついて出たり、パソコンやスマホに入力したりしています。
難儀です。

「しにたい」の根拠や正体は、なかなか見つからないかもしれません。
わかったとしても、「しにたい」は簡単にはなくならないかもしれません。

今はただ、しんどくなったときは、書いて言葉にすることで、自分の不安に具体的な形を与えて、自分の状態やいる場所を確認し、気持ちを落ち着けようと思います。