自分という人間の存在について


埼玉県・24歳・女性


私は恵まれてると思います。小さい頃から助けてと言う前に誰かが必ず手を伸ばして私のできないことを全部やってくれていたおかげです。
それは小学校、中学校、高校、専門学校、現在の職場とずっと続いています。

中学校の時受験シーズンに入る3年生の4月親に進路を聞かれたとき私はわからないと答えました。だって中学で勉強をしなくてはならない意味もわからないのに高校に行ってまで同じようなことをやるのに意味なんてあるのかと思ってしまったからです。ここからが戦争でした。
理由なんてどうでもいいから高校には行ってほしい両親VSとにかく理由がほしい私。毎日行きたくもない塾に強制的に通わされ高校見学につれてかれそれでも尚理由がつかめない私が無理、助けてと言う前に両親は私立の学校を決めてくれていました。成績別クラスでは絶対に2年生になったら落ちるよと言ってもあなたのためと下から2番目のコースに決められました。まぁ案の定落ちたんですけどね。
そういえばこの話し合いをしている中で父親が一度だけ私に「お前もう精神科行け、おかしいよ。ただ精神科行ったら壁に名前が刻まれて家族もろともそういう目で見られるけどな」というのと「もうそういう頭のおかしいことばかり言うならこっから(我が家のベランダ、5階です)飛び降りて死ね」と言われたことがありました。もちろん怒りに任せた言葉であり本心でないことも母親が必死に父親を叱ってたことからそんな思いはないことも理解するけど私はこの時からいつでも死ぬ覚悟ができました。

そして高校3年生の受験シーズンでも同じことがおきました。私にとって高校に行く理由すらその時まだつかめていないのに大学や専門学校なんてぼんやりとしたイメージ図しかなくやっぱりわからないが答えなんです。
私なりに色々考えて何か一つを特化して勉強したければ専門学校。深く知識を吸収したいのであれば大学という結論にたどり着いたのでまず自分の好きなことを思い浮かべてみました。これがビックリ何もなかったんです。得意なことも好きな事もやってみたいことも見てみたい景色さえも何もないんです。もう手詰まりでした。
ちなみに私は忘れていたんですがその時期に久々に会った中学のときの担任はお前あの時と同じこと言ってるぞとため息をついてました。気づいたことはただ一つ。あっ自分の考えって変なんだ。おかしいんだということです。
やがて焦り始めた先生方が母親と私を交えて面談を執り行いました。一応私の考えも聞いてはくれていたんですがこんな調子なので進路指導の先生は呆れたようにあなたは幸せものですね。と言って教室から私を追い出しました。
その後大学等も先生達は勧めてくれたようですが母親が彼女には行く気がないと思われますと断りをいれ(理由がわからないだけで行きたくないとは一回も言ってないんですけどね)専門学校を受けさせることが決定していました。

専門学校は私の苦手な美術系。なんで母親はこの学校を私にと勧めたのかはわかりませんが学力試験のみだったので合格してしまい皆も喜んでるしまぁいいかと自分を納得させました。
学校は1年生でしたが授業は実習がほとんど。ものを想像しながら作ることが苦手な私は早々に授業についていけなくなりましたが先生方が全部の授業で隣に来てくれて最終的には私の代わりに作品を仕上げてなんとなくで成績に入れてくれていたので何も問題がありませんでした。
就職先を決めなくてはいけない時期になり先生にどうする?と聞かれたときは私何もできないからなんでもいいですと言ったら先生と社長さんが仲がいい会社を紹介していただき一応面接もしましたがほぼ先生の口利きで受かり今の職場にお世話になることになりました。

ここではじめて現実を突きつけられることになりました。技術系の仕事ばかりあるこの会社で何もできない私はお荷物当然で先生のおすすめで期待されていたのか最初はひどく冷たく扱われました。今思えばここが一番変わるチャンスだったのかもしれませんが精神的に辛くなってきたところで上司や幹部が変わり社内雰囲気が180度変わってしまったのです。
それからはできることだけやれば良くてできないことは誰かが補助してくれて何も不自由なく仕事ができています。

それだけを見れば順風満帆な私の人生ですが私は怖いです。今の職場を離れれば何もできない私なんてゴミと変わらないしニコニコ笑ってれば助けてくれた人達はもういない。親だってもう手を伸ばしてくれません。
今はとても少ないできることを奪われないように必死に守りながら早く自分の人生が幕引きを迎えることを望んでいます。逃げと言われたって年をとって必要とされなくなるよりはマシだから。今から色々経験して覚えればいいという人もいますが元々好きな事も得意なこともないんです。何から始めれば皆の言う経験になるのかもうわからないんです。

言うことをちゃんと聞くから黙ってみんなの意志に従うから私にも周りの人と同じように好きになれる何かをくださいとまだ人に頼る私を憎く思いながら体験談とも言えない文章を終わりにします。

感想1

経験談を送ってくださり、ありがとうございます。

最初に「私は恵まれていると思います」と書かれていますが、文章からは恵まれているという実感は得られず、言いようのない虚無感というのか、罪悪感というのか、自己否定を感じました。そう思うと、周囲に恵まれていると言われてきたのかな?など、そう思う何か背景があったのだろうかといろいろと想像していました。あなたがご自身のことを「恵まれている」と思うのはどうしてなのか、もっと詳しく聞いてみたいと思いました。また、できないことへの強い恐怖心も感じました。

あなたの文章を読んで、好きなことや得意なことがないことへの後ろめたさが強く感じられたので、私はこれを機に好きなことや得意なことについて改めて考えてみました。すると、今までとは違う視点の考えが思いつきました。それは、好きなことなんて実は個人の思い込みに過ぎないのではないかということです。おそらく誰しも最初から好きなことや得意なことが授かっているのではなく、何かのきっかけや出来事でそう思い込むだけなのではないかと思うのです。得意なことは周囲との比較ができるので、思い込みにも限界はありますが、好きなことは自分が主観として「好きだ」と思い込むこと以外に理由がありません。ですから、好きなことが多い人は自分の感覚に素直で思い込みが強い人なのではないかと思いました。それに対して、あなたはひょっとしたら慎重で疑い深い人なのかもしれません。特に自分自身に対して慎重で疑い深いのではないかと。私は思い込みが強い人もそれはそれで個性だと思いますが、慎重で疑い深いのも一つの特徴だと思います。きっと、その特徴がこれまでの生活の中で自然と役立っていることもあると思います。

ただ、そうはいってもあなたがこれまで感じてきた恐怖や虚無は確かだと思いますし、今もそれに苦しんでいるのだろうと思います。周囲に理解してもらう機会は少なかったと思いますが、あなたのその気持ちを否定できる人はいないと思います。言わないだけで、似たようなことで悩んでいる人はいるかもしれません。もう少し詳しくあなたの悩みについて議論してみたいと思いました。きっと、生きていくことについて理解が深まると思います。

感想2

経験談を投稿してくれてありがとうございます。

勉強は教えてもらったけど、勉強する意義や方法は、教わる機会がなかったのだろうと思いました。勉強の内容だけでなく、それを習得する意義や方法もセットで教えてくれないと困るよなぁ…って思いました。

高校で勉強する意味、大学や専門学校で勉強する意味って何なんだろう…?
あなたのこの問いは、とても大切な疑問だと思います。人は疑問を持ち続けることからしか、それについて考えることを始められないように思うからです。
このような疑問をずっと持ち続けてもらいたいですし、できれば疑問を共有してもらい、一緒に考えていけたらなぁと個人的に思いました。

10代半ば頃は、どこまでを自分で決めて、どこまで親が干渉するか、とても難しい問題だと感じています。ただ、母親さんに進路を(勝手に)決められたというのは、干渉の度合いが過ぎているように思いました。父親さんが、それを見ていて「そこまで干渉するのはおかしいんじゃないか」と指摘するなら納得できそうなものですが、あなたの存在を否定するような言葉を言われたのは、とても残念です…。

これまで、わけもわからず母親が敷いたレールの上を歩かされる人生だったのだろうなぁと思っています。だから、「得意なことも好きな事もやってみたいことも見てみたい景色さえも何もないんです。」ということになるのも自然なことのように思いました。これまで、ちょっと気になることに手を突っ込んでみたり、やっぱり違った、と思って方針を変更したりと、うろうろ彷徨いながら自分の生き方を探すチャンスが与えられてこなかっただけではないかなと…。

経験談を最後まで読んで、タイトルの意味がより深く感じられました。
「自分という人間の存在について」
私には、あなたという人間が存在して、こういうふうに感じてきたのか、と限られた文字数のなかからも伝わってくるものがありました。でも、本当はもっともっと感じていることや、まだ誰も気づいていない可能性みたいなものが、隠れているような気がしていました。

お返事

まず、私が恵まれていると感じる点ですがやはり両親なのだと思います。両親はニュースを見て小さな子が虐待や不幸な事故、事件などで亡くなるのを見る度に可愛そうと言うのですが私は虐待なら親、事件なら犯人、事故なら運転手などの事も考えてしまい一概に子供だけを可愛そうとは言えなくなってしまうのです。もちろんこの世の中に理由なきこともあるのもかもしれませんがそういう考えをもつ私に対して両親は心のない人と思うようで「おまえは感受性が薄すぎる、家があって少しでも遊べるお金があって学校も通わせてもらえて幸せなのを噛み締めなくちゃいけないよ」と言ってくるんです(笑)だからどんな時でも新しい服を買ってもらえて美味しいご飯を食べさせてもらえて私が望みさえすれば大学だって行かせてもらえたんだろうとこれ以上の幸せを望むことなんておこがましいと思うようになりました。
次にできないことへの恐怖の点ですがこれもおそらく両親が関わってるいる気がします。ただ全てを両親のせいにするのは間違っているとも思うので自分にも悪いところがないかもう一回探してみます。

進路のことはもう過去なので何も言うつもりはありません。あれは他の人と同じように疑問なんて持たずにいかなかった私が悪いので…。でももし同じ考えの人がいるならじっくり話してみたいです。