自己否定を肯定して

18歳・女性

「死にたいな」
わたしが最近1番言っているであろう言葉。すこし吐き出したくなってしまったので拙いけれど文にしてみました。

わたしは別に不幸ではない、はず。家族は優しいし、友達も普通にいるし、バイトもしてないけど特に不自由なく暮らしているし。
通っている病院でも「あなたは大事にされてるね」、友達にも「家族仲良くてうらやましいな〜」、とか。十分幸せなはずなのだ。なのにわたしは死にたい。

いつからかわからないが、まわりの人から向けられる言葉が酷く薄っぺらに感じるようになった。褒めてくれたり、好意を伝えてくれたり……ほとんどは本音だと思う(だといいな)
でも全部が嘘に聞こえる。裏があるように聞こえる。
そして、マイナスな言葉は全部胸に突き刺さるようになった。冗談だよ、ノリじゃん、気にしすぎでしょ、って。「そっちの方が本音でしょ?」と思う。

ちなみにわたしはまわりの人に本音で接してほしいと思っています。裏があるよりは最初から本音で喋ってほしいので。

結局今のわたしは悪意の言葉しか信じられなくなっている。マイナスな言葉を言ってくる人しか信じられなくなった。
ペラペラな褒め言葉を連ねる人よりもわたしのことを否定する人の方がちゃんとわたしのことを見て、接してくれてる気がするから。そうとしか思えなくなっている。それは多分、自己評価が低いからなのかな。「わたしはダメな人間です!」って自分自身思っているから「お前はダメ!」って言われた方が信じられるのかな。

最近は毎日SNSでわざと叩かれるような発言をしている。そしたらちゃんとわたしのことを否定してくれるから。わたしの自己否定を肯定してくれるから。
これからも否定され続けたい。顔の見えない人からの暴言はとても苦しくて、死にたくなるけれど。それでも否定されないと、わたしのことをちゃんと見てくれる人はいなくなってしまう気がするから。

あぁ、死にたいなぁ

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。あなたの心の中にある思いがストレートに文章で表現されていて、読んでいてとても心を揺さぶられました。

文章の中で表現されている「褒めてくれたり、好意を伝えてくれたり…全部が嘘に聞こえる」という部分と「周りの人に本音で接してほしいと思っている。」という部分について、私自身共感するとともに、「本音と建前を使い分けて生きてかなければならない社会、その背景」について、一緒に考えたいと思いました。
同じ社会を生きる一員として、学校、会社、家庭で、一定基準を求められることを強く感じます。ほとんどの人は、大多数が求め、認める「有能モデル」を目指し、生きているような気がします。例えば、学校の例を挙げると、成績がいい人=将来有能な存在、努力をしている存在というように、表面的に出てくる結果だけを評価し、成績が低い人が努力していたとしても、それが結果に出なければ認めてくれないというような感じです。勉強ができることが全てではないし、それ以外の評価基準は沢山あるのに…と思います。(評価基準と使いましたが、私はそもそも評価というものは、いらないと思ってます…)。気づかないうちに「有能モデル」を目指すために年齢を重ねれば重ねるほど、ほとんどの人が本音を隠し、建前で人と接し、生き抜いていこうとします。年齢を重ねていくなかで、駄々をこねたり、ワガママを言ったりすると「大人になりなさい。」という言葉がよく遣われますが、それも果たして必要なのか…?と思ったりします。「大人になりなさい。」という言葉は本音を隠し、我慢しなさいと言われているような気がして、私自身嫌いです。長々と話をしてしまったのですが、そんな風に本音と建前が混乱している社会への思いが今回、あなたの文章で訴えられていたのかなぁと想像しました。
自己否定ということが、自分を見てくれているような感じがする(本音で接してもらえている)という安心感につながっているのかなぁと思いました。だけど、傷ついている気持ちもとても伝わります。またわざと叩かれるような発言をし、その先相手がどう関わってくるのか試しているのかぁとも勝手に想像しました。ほんとは自己否定される先を求めているのかなぁと思いました。建前ではなく本音で否定も肯定と同じように誰もが言える社会になればいいなぁと思います。今の社会では本音を言いづらい世の中ですが、これからも死にトリを利用して、本音で意見交換ができたらいいのかなぁと思いました。

感想2

経験談を送ってくださりありがとうございます。死にたいと思ってしまう気持ち、そしてあなたが日頃感じている違和感が文章を読んでいて伝わってきました。いつの頃からか、周りの好意的なもの(プラスの意味合いがあるもの)に対して裏があるように感じてしまうようになったようですが、それはそういったことを向けられていたのに、それが嘘だったとか裏切られたといった経験が過去にあったのかな?と気になりました。別に不幸でもなく不自由な暮らしもしていないとありましたが、もしかすると家族といる時もどことなく自分の居場所がないと感じてしまっていたりあなたの表現をお借りするとどこか、“薄っぺらい”と感じていたりもするのではないかなと想像していました。(あくまで私の想像なので間違っていたり気分を害されたらすみません。)

少し感覚的に違うかもしれませんが、私も安定していたり安心できるような状況(自分にとってプラスなできごと)におかれると落ち着かなくなってしまう傾向にあります。決して不幸になりたいとか、そういうわけではないと思っていますが、ちょっと傷ついたり不安で常にいないと安心できなく自らそういう方向にいくように動いてしまうこともあります。そこにはあなたと同じように自己否定感が強く自己評価が低いところからきているのかもしれません。だからあなたの「それでも否定されないとわたしのことをちゃんと見てくれる人はいなくなってしまう気がする」という言葉に思わずウンウンとうなずいてしまいました。

あなたが今の感覚や考えをこのままでいいと思っているのかそれとも少し変えていきたいと感じているのかは分かり兼ねますが、あなたはあなたのままで良いと私は感じていますし、この先、嘘ではなく本音で関わってくれる人が少しずつあなたの周りに増えていってほしいなとも思いました。個人的にはあなたの「これからも否定され続けたい」という部分についてもう少し知りたいなと感じているのでもしよければ死にトリのとりコミュやここチャットなどであなたの想いをまた伝えてほしいなと思います。

お返事

自分でも自分が何を求めているのか、何を言ってほしいのか、わからなくなっていたので感想をいただけてすこし楽に(?)なった気がします

叩かれたその先を試している、という言葉にハッとしました。もしかしたらわたしは否定しても、本当のわたしを見ても、そばにいてくれる人がほしいのかもしれません。わかりませんけど……むずかしいですね

不幸でありたい(?)というか、こういうかんじはわたしだけじゃないのかー、と安心しました。幸せにはなりたいですけどね。いつかまわりの人とある程度本音で話せて、いい事も悪いことも受け入れられるようになりたいです。これもむずかしそうですね    うーーん…人生はむずかしい……

キリがないですね、経験談もお返事も下手っぴな文章で申し訳ないです……やさしい感想、ありがとうございました。しっかり読んでくださったことが伝わってうれしかったです。