私の人生ってなに

山形県・22歳・女


私は中学生の頃からずっと、何らかの理由で死にたかった。
そして今そのピークに達している。

まず、中学では部活が辛かった。歌が好きという理由だけで入った合唱部で私は落ちこぼれだった。顧問には逆贔屓(冷遇)されていて、みんなが名前で呼ばれる中で私だけは苗字だったのをよく覚えている。ここで好きの気持ちじゃどうにもならないと知った。

他に、広くめちゃくちゃ浅くだった交友関係+ある程度仲良くなると距離が近くなる、ことが原因で男女間の根も葉もない噂を立てられ、勝手に自分たちがつくった噂で勝手に嫌われた。私は何も関わってないのに、未だになんだったのかわからない。

次に高校生のとき。ここで私は交友関係を一新した。まず、知り合いがそんなにいない高校を選び、今度こそ失敗しないように男と関わることをやめた。中学では男と距離が近くて嫌われた、女に嫌われるほうが怖いから最初から関わらなきゃいいと思った。

そして私は自分が決めたことを守りすぎてしまう。本当にクラスの男子と一切話さなかったことに加え、なぜか普通に友達をつくることもできなくなった。あんなに表面上の関係を構築するのが上手かったはずなのに、全然できなかった。結果、めちゃくちゃ狭く浅い交友関係を保っていた。高校では何もしなくても(しなかったから?)嫌われた。

正直交友関係はどうでもいい。高校は本当に受験のためだけに生活していたのだ。私はずっと地元の国立大学を目指していた。推薦枠がほしかったから生徒会に入ったくらいだ。一般的に見れば難関大でもないし、普通に勉強していたら受かると思うのだが、私は1年のときから長期休みも関係なくほぼ毎日塾に通っていた。おかげで評価が厳しめだと言う模試ではずーっとA判定、悪くてもBしかとったことなかった。

3年間優秀な私はもちろん推薦枠も余裕で貰った。こんなに苦労したんだから、人より早めに合格もらったっていいよなぁと普通に推薦で受かるつもりだった。万が一のことも考えて、推薦の準備をしながら勉強も継続していた。周りには推薦のことしか考えてない奴もいたけど、私はちゃんと勉強もしてたんだよ。毎日授業受けて、推薦の提出書類を添削してもらって、塾に行って、夜遅く帰ってきて、ご飯食べてお風呂入ってから書類の書き直し。リポビタンDが友達で、いつも3時くらいに寝ていた。

提出書類は文字数ぴったり完璧に仕上げ、自信満々あとちょっとでこの苦しみから解放される!期待に胸を膨らませ迎えた推薦入試、私は大事なことを忘れていたのだ。私は人と関わるのが怖くなっていた。つまり、面接官と話すのが無理だった、頭真っ白。面接練習は当然めっちゃしたけど、それは知ってる先生だったからできた「大丈夫だから自信持って行ってきな!」と言われるくらいにはできた。それなのに当日はボロッボロ。号泣しながら大学から家まで歩いて帰ってきた。

でも、心のどこかでは努力が伝わるんじゃないかと思ってたんだよね、いろいろ成績とか加味して受かるんじゃないかなって。まぁ、落ちたんだけど。推薦にかまけて課題もやってこなかったような人間が受かって、私は落ちた。そりゃ泣いても泣いても足りないくらいだったけど、塾には行った。だって一般受けるしかないんだもの、まだ勉強続けなきゃいけないんだから。

周りは推薦に落ちたところで全然心配してなかった。「一般では受かるに決まってるんだから、大丈夫、あと少し頑張ればいい」みんな似たようなことを言った。私はその少しを頑張りたくなくて推薦で受かりたかったわけだけど、一般で落ちるはずないから我慢して勉強した。

3年になると教師どもはうるさく勉強勉強と言ってくる。私には今更すぎることだったけど、3年になるまで遊び呆けてたような子たちには言わないといけないだろう。「今がんばれば大学(将来)楽しいこと沢山待ってるんだから、今は我慢しなさい」「努力は裏切らない」と何回も同じような話をしていた。

さあそんな話を1年間耳にタコができるほどされながら、勉強に費やした3年間を発揮する日、センター試験!何か調子が悪かったり、特別緊張したりしたわけでも(たぶん)ない。いつも通り、模試を受けるような感じだったと思う。でも、この2日で私の3年間は水の泡となったのだ。センター終了後、学校に行き全員で自己採点をする。愕然とした。本当に自分が解いたのか疑うほどだった。びっくりするほど悪かった、信じられない。

その後届いた判定結果はEだった。何も考えられなかったけど、志望校に受からないことだけはわかった。だから二次試験は受けたくないと担任に伝えた。それまでの1ヶ月また勉強するなんて嫌だったのに、学校としては実績がほしいから拒否された。仕方なく、受けるとは言ったもののたまに塾に行くくらいしか勉強はしなかった。二次で満点とろうが合格するか怪しかったし、当然落ちた。私が勉強してたときに遊んでた人、私がしてきた課題を写していた人が合格したのをいっぱい見た。

そんなわけで「今頑張れば楽しいことが待ってる」と信じた私は、一応受けていたすべり止めの大学に通うことになった。私は特別頭がいいわけじゃないけど、ずっと真面目に勉強して生きてきて、大学に入ったら同じようなレベルの友達ができるって信じてた。オリエンテーションで下ネタを強要してくるような大学に入りたかったわけじゃない。ここで努力は裏切り、報われないと知った。

と、これが死にたい1次ピークである。大学受験にちゃんと普通に成功してたら現在の2次ピークも来てなかったかもしれないから、これが根源。


 ようやく今最も死にたくなっていることについて書ける。文章をまとめられなくて、大学受験での後悔が大きすぎて長くなってしまった。

今、私は大学4年生、まだ就活中である。受験で、頑張っても無駄と感じた私は大学で勉強も何もしなかった。通学時間が長いのもあるが、サークルにもゼミにも入っていない。アルバイトは楽しくて、そのおかげで大学に通い続けられた。

就活で話せるのはバイトしかない、だって何の青春も送っていないんだから。自分のしたいことなんてない、だって今まで勉強しろって言われて勉強してただけで、私の気持ちなんてどこにもなかったんだから。

この人生になんの評価ももらえないと就活で痛感した。受験で努力が報われなかったからか、承認欲求が強まった。認めてもらいたいから仕事覚えは早いし働きぶりも良い、バイトで評価してもらっているからそこは自負している。でも、面接で話せないと誰も信じてくれない。やりたいことはないけど、働けば仕事はできるっていうのを薄っぺらな内容の履歴書と人見知り全開で話し過ぎてしまう面接じゃ誰もわかってくれない。誰も、私を認めてくれない、必要としてくれない。今まで誰にも逆らわないで、悪いことしないで、高校まではいっぱい努力して、ちゃんと生きてきたはずなのに。

自分でも特別できることはないってわかってるから、受けるのは人物重視と書かれた企業。それなのに、落ちる落ちる落ちる。人物重視で落とされたら、人格否定じゃないか、私は今までずっと善い人で生きてきたのに、どうして落とされるの。

就活には素晴らしい青春の経験が必要で、言語化が上手くないと社会には無能と判断されるらしい。ああ、今までの私の人生なんだったんだろう。面接で「今まで1番努力して結果が出たことはなんですか?」と聞かれて何も思い浮かばなかった。未だに考えてるけど何もない。努力が実を結んだことって1回もない。じゃあ何をして生きてたんだろう。

内定をもらえる未来なんて想像できない、私はこれからも何社も何社も自分を否定されるために受ける。落ちる度にただでさえない自信を失って、心も狭くなって、来年3月まで内定がもらえなかったとき、どうなるかは分からない。今度こそ勇気をだして死ぬかもしれないし、鬱になるかもしれない。それは分からないけど、とにかく私はあんなに受験勉強がんばったのに今なんにも楽しくない。

家のこととか他にも死にたい理由はあるけど全然3000字に収まらなかった、これを誰かが読んでくれるのかなぁと思ったら沢山書いてしまいました。読み返してもいません、ごめんなさい。これからまた落ちるための履歴書を書きます。

感想1

今大学4年生で就職活動の最中にいるのだな、とついつい考えながら読んでいました。というのも、私自身が、大学生の就職活動について色々と思うことがあるからです。

本来の就職活動は企業と自分とのマッチングなのではないかなと思ってはいるのですが、世の中では「企業側が選ぶもの」「不採用は自分がだめな証」というような考えが強くあるようにも思っています。それに、たった何時間、数回の試験や面接でその人についてどれだけ知ることができるかと考えると、それはとてもごく一部でしかないのだと思います。どんなにアピールが上手な人でも伝わるのはほんの一部なのかなと。でも、不採用が続くと就活を応援している人たちからのプレッシャーもあって、どんどん追い詰められていくようにも思います。あなたもそういった中で今とても苦しんでいるんじゃないかと私は想像をしていました。加えて、「今頑張れば楽しいことが待っている」と信じていたからこそ、今の死にたいのピークにつながっているように私は思いました。

私は特に、「就活で話せるのはバイトしかない、だって何の青春も送っていないんだから。自分のしたいことなんてない、だって今まで勉強しろって言われて勉強してただけで、私の気持ちなんてどこにもなかったんだから。」「就活には素晴らしい青春の経験が必要で、言語化が上手くないと社会には無能と判断されるらしい。」という部分がとても印象に残っています。この文章に全てが詰まっているように感じたからです。今の就職活動を的確に表現しているように思いましたし、「私の気持ちなんてどこにもなかったんだから」という部分はこれまでのあなたの生き方(積極的にそういう生き方をしたかったかどうかは別として)を表現しているように感じました。そして、今あなたの気持ちを表現できる場などはあるのかなと気になりました。今までずっと家族や親など周囲の大人に言われたことを忠実に守ってきた(守らざるを得なかった)のかなと経験談を読んで感じていました。高校生の時から受験勉強のためだけに生活していたこと以外にも、あなたの中で自分の気持ちはないけれどやってきたことがあるのではないかと思っています。

3000字に収まらなかったとのことでしたが、経験談の募集を再開した時に他の死にたい理由も気が向いたらでよいので書いてみてほしいなと思いました。経験談の投稿ありがとうございます。

感想2

経験談を送っていただき、ありがとうございます。とても論理的に整理された文章だと思いました。

中学時代から現在まで、たくさんの理不尽に耐えて、勉強などを頑張ったのに、生きていても楽しくないから死にたい、というメッセージが私には聞こえました。楽しみたいんだなぁと思いました。楽しみたい、と思えるのはすてきだなと思いました。

勉強は、新しいことを知れて、楽しいことだと、私は感じています。しかし、勉強を“受験で認められるための手段”として叩き込む学校の態度が書かれていて、とても残念になりました。また、勉強の成果は、理解できることが増えたり、知識を使って考えることの楽しさを覚えたり、それを人にも伝えられるようになることなのでは…?と考えてみました。しかし、学校から“進学実績が、勉強の成果”というメッセージを浴びていたのだなと思い、悲しくなりました。勉強をしたくなくなるというのも、頷けました。

学校では、人権を尊重し合うことを学ぶべきだと私は思います。しかし、先生は生徒の人権を大切にしてくれなかったのだなぁと思いました。人権を大切にしているとしたら、受験勉強をしろと叩き込むのではなく、受験勉強以外にも多様な選択肢を用意すると思うからです。

また、面接で質問の答えが浮かばなかったことで、自信を失っている様子でした。しかし、生きていて「結果」を出す人なんてごく一部だと思います。まして、20代に「結果」を求めるのはおかしいと思います。そんな質問をしても、相手のことを知ることはできないし、生産的でないなぁと思います。

自分のことを知ろうとしていない、それどころか人格を否定してくるような、おかしな会社のために、あなたの貴重な時間やエネルギーを費やすのはもったいないなと思いました。なにより、楽しくなさそうです…。

これまで、理不尽な大人たちに、自分の感情を抑えつけられてこられたのだろうと思います。なので、自分はどんなことを楽しいと感じるか、あまり分からないかもしれない、と想像しています。あなたが心から楽しいと感じることを、安心して模索できるような環境が見つかればなと思いました。

そして、自分の感情を持つことが許されなかった経験は、“存在を承認してもらえていない感覚”に直結すると思います。だから、存在を承認してほしいという欲求が高まるのは、自然なことだと思いました。わたしたちが、“存在を承認されている”と感じられるためには、他にも色々と条件がありそうなので、一緒に考えてみたいです。

社会で存在を認められることに、これまで何をして、どう生きてきたかは、正直、まったく関係ないと思います。善悪の判断は曖昧だし、仮に哲学を極めたとしても、何が善で何が悪か、分からないんだろうと思います。だから、ある人から見て「悪い行い」でも、他の人から見ると善い面があるのかもしれません。そのような、曖昧なこの世界で、「悪いことをした人」や「結果を出していない人」を排除するとか、認めない、というのは、友殺しみたいなものではないかなと思います。
だからこそ、どんな感情も持っていいし、死にトリなども活用して、発信してもらえたらなと思いました。

私は、人が一緒に活動する場所は、“会社”だけではないし、もっと人それぞれに合った場所やコミュニティを見つけやすくなるように、世の中の仕掛けを作っていけたらなぁと思っています。ネットの居場所「死にトリ」も、そういった機能はまだまだ足りないかもしれませんが、どういうことができるか考えていきたいです。アイデアがあれば聞かせてもらえたら嬉しいです。

お返事

私の死にたいを書き殴った文章を読んで頂きありがとうございました。

経験談を書いた頃からご感想を頂くまでに就活期間で1番選考を受けていましたが、全滅です。
ついに、頼りたくなかったエージェントに勇気を出して相談を始めました。
誰かに助けてもらった上で駄目だったら申し訳なくて辛くなるのは分かりきっているので、今まで1人で就活してきました。
エントリーする企業も見つからなくなったため助けを求めましたが、紹介されるのは少しも興味のない仕事ばかりで希望は見えません。

「たった何時間、数回の試験や面接でその人についてどれだけ知ることができるのか」本当にそう思います。受験もそうですが、その場その場で上手くやれる人が評価されるなんておかしいです。これまで大した努力もしてこないで、挫折も経験したことのない人間でも口が上手ければ内定が出るのです。ベラベラ話せる人間は仕事ができるとでも考えているのかもしれませんが、そんなことないとアルバイトを通して知っています。
他の死にたい理由も書いてみてほしいと言って頂けたことがとても嬉しかったです。私の想いに興味を持ってもらえたんだなぁ、と感じました。就活が終わって気持ちが落ち着くことがあればぜひ書かせていただきたいです。

20代に「結果」を求めるのはおかしいとの言葉に安堵いたしました。少なくともその企業を受けた人は聞かれていることだし、皆答えられているんだと悩んでいました。
「楽しみたい、と思えるのはすてきだ」と考えてくださる方もいるのだなとわかり、嬉しいです。私は私の住みたいところで生活したいし、楽しく生きられるなら生きたい。そのために好きなところに住めて、たまに美味しいもの食べられるくらいには稼ぎたいし、休みはほしい。そしてこれは当然叶えられるべき「当たり前」の人生だと考えています。働く意思があるのに雇ってもらえないのなら、何もできません。

様々な部分にご理解をいただき、共感してくださったこと心より感謝申し上げます。