30代ですが、まだ未熟者です。

大阪府 34歳 女性


生後2、3ヶ月の時、母が統合失調症感情障害になりました。私の中には、母に愛された記憶も、子どもとして大切にされた記憶もありません。記憶を探しても探しても見つかりません。というか、子どもの時の記憶が曖昧で、特に小学生の頃までの記憶がはっきりしないのです。周りの友達や家族が話す子どもの時はどうだった、こんな事をした思い出がある、学校の時はこんな事が好きだったと言う話になんとなくの雰囲気で話を合わせて今まで乗り越えてきたように感じます。

今までの人生で生きづらさを感じなかったことはなかったのですが、母の代わりに大切にしてくれてた祖父母や曾祖母を裏切りたくない気持ちの一心でグレることも出来ず、なんとか私だけでも社会から認めてもらえる人間にならなくてはと思って生きてきたように思います。

高校在学中には特技で全国大会に出場したり、生徒会活動、クラブ活動と並行して社会福祉協議会のボランティアに参加したりと、少しでも誰かの役に立ちたい思いで何かに参加していました。

大学にもAO入試で合格し(途中退学しましたが)、生活費を稼ぐために高齢者グループホームの夜勤バイトをしたり、音楽慰問のボランティア活動をしていました。

でも、頑張っても頑張っても苦しくて、時にはODに逃げたり、成人してからはお酒やタバコに逃げたりして、いつも自分は二重人格なのかと悩み、明暗を常に抱えた気持ちでいました。

19歳から21歳頃が1番苦しくて、心療内科に通いながらカウンセリングを受けて、少しづつ自分を受け入れられるようになりました。

今は、2度の結婚を経験し(離婚は離婚で辛かったですが)、可愛い娘にも恵まれ、「普通の問題」に悩んでいて、逆に人間らしいななんて思う時もあります。

「普通の問題」とは、嫁姑問題、家事育児の悩み、夫婦の些細な悩み、仕事の悩みなどなどです。誰でも経験していて、相談なんて大袈裟ではなく、世間話がてら話せる内容の問題ですが、その問題があるおかげで人間らしい自分を認識できる気がするのです。

でも、「母」という存在は私の生活、人生にいつも影を与え続けています。大きくなる時もあるし、小さくなる時もあります。影が大きくなると、私の生活が出来なくなることも多々あります。

私は高齢者介護に携わり、介護福祉士を取得して、パートで仕事をしていたのですが、最近その大好きな生きがいのある仕事も出来なくなりました。母の他害行動がひどくなり、ないことを周りに言いふらされた結果、児童相談所が訪問に来たからです。時代ということもあり、通報があればどんなケースでも訪問しているとのことでしたが、私の生育歴に自信がなく、それでも頑張っていた育児だったので、訪問されたということだけで表面上は冷静に対応していても足元が崩れる気持ちで、手が震えるを通り越して身体の芯から震える気持ちでした。

なんでこんなに苦しい事ばかりおきるのか、なんの為に生きているのか、なんで頑張ってるのか、わからなくなる時があります。生きづらくない人なんて居るのかな?みんなそれぞれ違うけど、色んな問題抱えている。だから、誰かと比べることをしたくないと思うようになったのに、比べられることが多い世の中で苦しくなります。

でも、今は涙でぐしゃぐしゃな顔でも、子どもが学校から帰ってきたらギュッて抱きしめてあげれるように笑っていたい。いい母親、いい妻じゃないけど、少しでも笑っていられるように、些細な日常をいきていきたい。私の問題は何も解決してないけど、誰かの問題にはそっと支えになりたい。私の苦しみが誰かの心に寄り添えるなら、そんな素敵なことはないから、そう思って今を生きています。

感想1

経験談を投稿してくださり、ありがとうございます。
まず、タイトルに興味を持ちました。人間としてもっと成熟したい、というような思いが込められているように感じました。

学校では周りに話を合わせていた、とのことで、自分から意見や気持ちを主張することは少なかったのかなと想像しています。そもそも、ありのままの自分を尊重していい、という感覚を大人に育ててもらう経験が少なかったのかもしれないなぁと思っています。もしそのような意味で「未熟」さを感じているなら、これからどんなふうに自分を尊重する感覚を育てていけるのか、一緒に悩んだり、できそうなことに一緒に取り組んだりしてみたいと思いました。

世間話に出せるような悩みを持っていることは、世間に馴染んでいる感じがして、ちょっと安心するのでしょうか…?

また、母親さんの存在による影響を「影」と表現されていたので、もしかすると、まだ正体がよくわからないのかなと思いました。機会があれば、どんなふうに影響を受けていて、苦しさの正体が何なのか、一緒に考えていけたらいいのかなと思いました。

そして、経験談を通して、いろんな人と関わることが好きな方なのかなぁと思いました。自分と他者、自分と社会の繋がり方に対する繊細さを持っているから、「比べられることが多い世の中」だと察してしまうのかなと…。

日々の生活を一人で背負わされてどうしようもなくなってから、繋がり創りをしようとしても、すでに疲れが溜まってしまっていそうです。それよりも、普段から繋がり創りのできる社会の方が安心できるなと思います。そうした繋がりのなかで、あなたが正直に泣いたり笑ったりしながら、気持ちを交流できるところが見つかるといいな…と勝手に考えていました。ネットの居場所もその一つになれば嬉しいです。

感想2

経験談を投稿いただき、ありがとうございます。
子どもの頃の記憶があいまいなのは、その時のことは思い出したくないほどつらいものだったのかもしれないと考えていました。つらい気持ちを記憶から切り離すことも自分を守る術なのだろうかと思うこともあります。

祖父母や曾祖母のためにグレることもできず、とありました。この表現から、自分の感情などを素直に外に出しにくかったのだろうかと思いました。社会に認められるちゃんとした人になることを第一目的にしているから、自分を抑えたり、必要以上に頑張れてしまって自身の容量を超えてしまうことがあったのだなと感じていました。

比べられることが多い世の中について、確かにその風潮はあると感じていて、社会に根付き自分たちの中にもしみ込んでいるように思います。比較することで安心を得られることもあるからなかなかなくならないのかもしれないな、と思ったりします。ほんとうのところを言えば、つらいことはつらい、と思います。あなたもつらいことがあるかもしれないけど、私もつらいのです、と比較せずフラットに会話できればいいなあと思う瞬間が個人的にはあったりします。

「30代ですが、まだ未熟者です」とタイトルにありました。
私は20歳を迎えたときに、「20歳とはもっと大人だと思っていた……」とショックを受けた記憶があります。でも、今30歳に差し掛かろうとしている人に聞けば「もう30歳になるのに……」と、同じようなことを言っていたりします。だから、もしかして年を重ねるたびに己の未熟さと向き合うものなのではないかな、なんてタイトルを見て考えさせられました。

お返事

2つのご感想を読ませていただき、私の文章を読んで下さったことにとても嬉しく思いました。
あまり意識していなかったのですが、タイトルの中に無意識に願いを込めていたのかもしれないと思いました。

私は人間力という言い方をしますが、人は悩みや問題に直面することによって人間力を向上させていると思っています。

私は誰かの力になることは率先してしたいのですが、誰かに助けてもらうことがとても苦手で、助けて欲しいと思っていても助けてって言えずにいます。
悩んでることを打ち明けることも苦手で、気づかない間にためこんでいることも多々あります。

でも、今回投稿して感想をいただいて、誰かにちょっと助けてもらうことは悪いことではないし、助けてもらうことでより生きやすくなるかもしれないんだなと思いました。

貴重な機会をいただき、嬉しく思います。
ありがとうございました。