自分の価値と狭い世界

【東京・10代・女】

1.死

死のうとしていてハッとした。マンションのベランダから下を見ていたり、階段から落ちれないかとバランスを崩そうとしたり、息を吸わないようにしてみたり。なんか今日は空を駆けて死ねる気がするって思ったり。結局怖いから、自殺を選ぶことができずに今もこうして生きているけどそうやって無意識に死を選ぼうとしている自分が怖い。気づいた時はもう死ぬことへの強迫観念のようなものが過ぎ去っているけれど、死への恐怖心がなかったら今頃死んでいたのかなと我に帰った時どんなものよりも大きな不安に飲み込まれそうになる。

死ぬって気持ちがいつのまにか現れて、いつのまにか消えるけど、現れた時は理性とか正常な思考とか全部吹っ飛んでただ死ぬことだけを考えてる。でも死ぬことを行動に移そうとしていない時だって死にたいって思ってる。ただ急に自分が死へ進んでいこうとするからすっごく怖い。もう死んでいいのかなって思うのに、考えるのに自分が実行しようとすると怖いなんて矛盾してる。

今ギリギリの精神で生きれてるのはその恐怖心のおかげ。もうすぐこのまま死んでしまう気がする。今はそれでもいいかなって思う。早く消えてしまいたい。

2.自分のこと(部活)

中学生からバスケを始めた。素敵な仲間、友達、チームメイト?

狭いコミュニティの中、まるで空気のような存在。みんなで切磋琢磨するとか強い絆とか、そんなものは結局想像だった。仲良くみえると言われた。悩みなんてなさそうなのに、って。そんなふうに言われたらそうだよね仲良いよって、苦しい気持ち心の隅っこに隠して頷くしかないじゃないか。ああ相談する相手、間違えた。辛いってこぼした子にそう?そんなふうには見えないよっていう人を頼ってしまった。完全に間違えた。相談する相手を間違えるって相当心にくる。こういうことが辛くて…って心の内をこの子なら、って話したのにそれを否定されるのがいちばん怖い。

なんかあった?って、大丈夫?って心配してくれる大人のひとがいてすごく嬉しくてありがたくて。相談、頑張ろうとして苦しい理由の半分くらい話したけど、その人も結局私じゃない子の方が大切で、私が苦しんでる理由の女の子たちの方が好きみたいだった。そりゃそうだよね。こんな何もないやつ。価値がなくて悩んでるのにそれを助長されてしまったような気がした。

いつも、この人ならきっと理解して寄り添ってくれるんじゃないかって勝手に期待して勝手に苦しくなってる。そんな自分が馬鹿だと思うし、何度期待してあーやっぱり違ったって思えば学ぶんだろう。人を信じるのって簡単じゃないのに、信じたいって思いすぎ?

逆に誰なら、ちゃんと私を見て、相談に乗ってくれた?結局大人に頼るしかないのかな。でもさっき書いたみたいな大人もいるし。結局、大人だからってちゃんと真ん中、中立に立ってくれるような人だとは限らない。逆に向こう側の人になっちゃうなんて苦しい以外の表現ができないよ。少なくとも私の周りには寄り添ってくれる人がいない。私はもし生きてたら苦しんでる人の力にになりたいと思うし、その人のことを支えてあげたいと思うけど。誰かにわかってもらいたかった。吐き出したかった。言葉に詰まってもすっごく泣いてても言葉を待っててくれる人が、どこかにいて欲しかった。私のことをちゃんと見てくれる人がいて欲しかっただけ。高望みしてるって、結局自分がもうキャパオーバーで救われたいと思ってるって、わかってる。

死にたいっていうことで同情してもらおうとしてるとか、そうやって脅してコントロールしようとしてるとか、世の中みんな怖い考えばかり。そんなわけないじゃん、ただ話を聞いて救って欲しいだけだよ。誰にも話せずに1日が終わっていく。友達ってなんだろう。この定義はすごく難しい。私が勝手に友達って思ってるだけだったらすごく悲しいけど、私たち友達?友達だよね?とか聞くのって重たい。どこからが友達で、どこからが相談していい相手なのか明確に教えてくれる人いないのかな?

高校2年にあがるタイミングで全治10ヶ月の怪我をした私。もともと運動神経がいいわけでもないのにこんなに長いリハビリ期間があるなんて。10ヶ月って本当に長い。みんなの試合をベンチから泣きそうになりながら見た。いや実は少し泣いた。普段の練習からみんなが走ってる姿や楽しそうにしている姿、見てると苦しい。試合前だからってみんなピリピリし始めた。特練がどうこうとか色々あるみたい。顧問の先生はいつも怒ってる気がする。怒鳴ってる声と大きなブザーの音を聞くのが怖いなんて小学生みたい?怒ってる声聞くだけで苦しくなって、ブザーの音がうるさくて耳に残る違和感。最近耳が聞こえなくなってきた気がする部活限定だけど。そんなことないのかな、調べてもよくわかんなくて、ただ部活してる人達の中で話を聞くのすごく難しい全部が雑音に聞こえて聞き取りにくい。

早くプレーがしたいはずなのに復帰した時のことを考えて怖くなる。どれくらい怒られちゃうのかな。もう失望されてる?みんな当たり前のようにしているバスケができないことがすごく悲しくて辛くてもう言葉に表せないくらい辛い。出来なくて辛いし一緒にいるみんなとも上手くいかないし、復帰したらしたできっとみんなの足を引っ張ってしまうだけ。そんな存在ならもう(消えて)いいんじゃないかな、って思う自分がいる。

10ヶ月待てばいいだけ?本当にそう?まあ10ヶ月(くらい)ならまだ…って言われたの一生忘れないし私は絶対そんなふうに思わない。治ればできるのが不幸中の幸いだよねって、確かにそうだけど、その10ヶ月間ずっと、もどかしい悔しい思いして見学してるんだよ。こういう想いを誰にもわかってもらえなかった。遅れることの焦り、みんなの日々の成長、全部全身で感じてるよ。苦しい。こんなに苦しいなら怪我したタイミングでバスケ、辞めればよかった。そんなふうに思いながら週のほとんどある部活にただドリブルだけをしにいくのもすごくしんどい。もう手術して半年経ったのにドリブルしかできないって本当無価値だなあ自分。消えたい消えたい、もうここにいたくないって心が悲鳴をあげてる気がするのに、行きたくなくても行くしかない逃げられない。行くのが怖い。あーやっぱり無価値だってもう知ってるのにさらに念押しされるの、耐えられるメンタルどこにも無いよ。自分が帰り道に泣けると本当にほっとする。まだ感情があるんだって確認できるから。もう泣けなくなったら休もう、辞めようって決めてるけどそれは本当に実行できるかな。休んだらきっとみんなの会話に今よりもっとついていけなくなる。

いつもみんなでプレーの話してるとき絶対に入れないし、私以外のみんなで通じ合ってる何かについて話してる。なに?その話。わたし知らないや、知らないことにも気づいてないよね。本当に笑っちゃう。いつから空気みたいな存在であることを受け入れ始めた?ああここにいる意味は、価値は、なんだろう。ってこの数ヶ月そればかり探している気がする。真っ暗なトンネルみたいなところで出口を必死に目を凝らして見ようとするけど見えない、みたいな。自分の存在意義、価値、どこにあるのって必死に探してる。たくさん目を凝らして空間の隅々まで見たような感覚。でもね、どこにもなかったんだよ私の価値。

3.最近

ある女優さんが自殺した報道を見た母親が、なんで自殺なんて…って言った言葉が忘れられない。あなたの娘はあと少しでその自殺を選ぼうとしてるのにって心の中がざわついた。自殺願望に気づかれてないことを喜ぶべき?自殺に対してなんでって思うような死にたいって思ったこともなさそうな人間が親であることに落胆した。なんだ親もただの人間じゃん、と気づいたのはいつだったか。

お金がある。普通に会話ができる。世間的に見れば恵まれている。でもいつもどこか噛み合わない。そういうことじゃない!って心の中で思って、でも言わない。言ったところでどうせ話聞いてないし、ただこっちの感情がすり減るだけ。親に諦めを感じてから楽しいことや好きなものを考える時間が減ったように思う。幼少期、自分の人格の基盤となる部分を作った親がなーんだこんな人間かって思ってしまった日から、じゃあ自分も「こんな人間」なんだろうかって考えてしまう。親のようになるのが怖い。大人になる前に、消えちゃおうかなってそんなことばかり考えるようになった頃からずっと考えが後ろ向き。

4.疑問

死ぬってなに?生きるって?死にたいって思うことはダメなことなの?みんな抱えてる、みんなどこかに持ってる感情だよ。そうでしょう?どうして死にたいって言わせてくれないの。心が爆発しそうなのに。

世間てなんで誰かが死ぬとその原因を探し当てようとするの?衝動なのかなんなのかわかんないけどもう死んでしまおうと思うくらい辛いことがあった、それだけ。トリガーはなんだったのかとか遺書があるないとかそれを知ることって本当に必要?探すだけ探して出てこなかったらそれで終わり?そうやってなんでなんでってする人ほど誰かの死をすぐに忘れていくこと、私は知ってる。死にたいって思って死んでも世界は変わらずに回り続けることを最近強く感じる。芸能人という部類のすごく影響力を持った人の死もすぐに話題から消えるのに、私みたいなちっぽけで価値のない奴が死んでもなんも変わんないよね。生きてたらきっと何かいいことがあるよ!とか周りのみんなが悲しむよ!とか言ってくる人ってほんとにいるんだ。それが正しいと信じて正論言った気持ちはどう?私はその言葉に追い詰められてるけど。周りにいる人間みんな信用出来ない。だからもう死にたいって誰にも言わないし、そぶりも見せないからその気持ちずっと持ってることを忘れないでいてほしいの。

感想1

経験談を投稿いただき、ありがとうございます。

死にたいことと、死ぬのが怖いという気持ちのどちらも感じるのは、それほど不思議には思いませんでした。死ぬのが怖いと感じるのも生物として自然だし、生きるのがつらくて死にたくなることもあるなあと思っています。

頑張って相談したのに、自分のことをわかってくれない感じがすると傷つくなあと思っています。あなたの身近には、つらさや苦しさに真剣に寄り添ってくれる人があまりいなかったのかなと感じました。話を聞いてくれる人に余裕がない、そういったつらい経験がない、はたまた想像力がない場合などは、寄り添うことが難しいのだろうか……とも思います。

そういう人が身近にいなさそうであれば、死にトリなどネットの居場所で話を共有できる人と関われればいいのかな、とも思っています。

部活限定で耳が聞こえづらいというのも、それだけ部活が苦痛なのかな、と思いました。すべてが雑音に聞こえるというのも、体がその環境を拒否しているように私には感じられました。

母親さんについて書かれていましたが、親は親で自分は自分かな、と私は思っています。幼少期から関わっていれば影響は受けるものだとも思いますが、感じ方も考え方もあなたのものなのではないかな、と考えています。

お話を聞いていて、もっと自由に死にたいと言えれば、罪悪感なく言えるような環境なら、たとえ目の前の問題がすぐに解決しなくてもやはり少しは心が楽になることもあるだろうと思いました。死についてまともに向き合うことが怖かったり、面倒だったりするのかもしれませんが、そういう機会や環境は必要で、死について語ることが当たり前になればいいのにと思いました。きれいごとを並べるより、本人たちがどう思ったか語れればいいのになと考えています。

最後の疑問のところについて、たしかに今の社会はすぐに原因を探して納得したいように見えます。でも、原因が分かったところで何にもならないこともあるし、むしろそれを見つける過程で傷つくこともあるのになあと思います。人間の感情なんて複雑で、誰かが勝手に決めつけて納得されることには違和感を感じるなあと、お話を聞いていて思いました。

感想2

経験談の感想を送ってくださりありがとうございます。あなたの今の心境や日々考えていること、おかれている状況が分かりやすく書かれているなと思いました。身近に本当の意味であなたのことを理解してくれる人が少ない(いない)と感じる中で、毎日を過ごすのはしんどいことだなと私自身もそう思うことがあるので勝手ではありますが、共感しながら読んでいました。周りのお友だちも大人も言い方は悪いですが、自分のことではないのでいくらでも簡単なことが言えてしまうのだろうなと私は思います。こうして感想を書いている私も、あなたの気持ちをあくまで想像しながらで書いているので見当違いなところもあると思います。けれど私はあなたの“死にたい”と思う気持ちも部活での不安や焦りの気持ちも日々感じていることも、ちゃんと存在しているものとして受け止めていきたいなと思っていますし、本来であればあなたの気持ちを無視したりなかったものとして扱ったり、考え方を変えさせようとすることなど誰にもできないはずだとも思っています。

誰も信用できない環境の中で、本当に思っていることを話したり相談したりすることは難しいことですし、諦めの気持ちも少なからず抱いてしまっているのではないでしょうか?

あなたは自分の考えや思いをちゃんと言語化できる方なのだなと感じました。なので、どこにもそれを表出できないのはもったいないなとも思います。あなたの言葉で、この経験談を読んだ他の人たちが“自分だけではないんだ”と思えたり、“自分もこういうところあるな”と思えたり、何らかの気づきのきっかけになるとも思います。そして死にトリでは、あなたのように「思っていることを忘れないでいてほしい」という気持ちを抱いている人たちの思いを無駄にはしたくないなと思いましたし、どうすれば自分らしく過ごせるかを今後も社会全体の課題として考えていけたらと同時にあなたにも一緒に考えていってもらえたらなと思いました。

お返事

感想、ありがとうございました。
誰かへの配慮や誰かの気持ちを気にせずにばーっと自分の気持ちだけを書くことが出来た、すごく良い機会になりました。私の死にたいという気持ちも、部活での不安や焦りも受け止めたいと言ってくださったことがすごく嬉しかったです。また、死というトピックを偽善やきれいごとを抜きにして本人の考えを語れればいいのにという考えにはすごく賛同します。

何度も推敲して言葉を変え伝わるようにしていくという作業は自分の考えをまとめることにも繋がりましたし、漠然とした不安よりも少しでも苦しみを具体化できることが大事なのではないかとも思うことが出来ました。ありがとうございます。

最後に一つだけ文章に載せ忘れたことがあるので付け足させてください。
私は苦しくて消えたくて部活がある度に消えたくなっても部活を辞めないのは、ただただバスケが大好きだからです。バスケは、本当に好きです。部活も周りの人と一緒にいる空間も好きとは程遠く苦しいだけですが、シュートを決めた瞬間や、苦しい中やりきった今までの練習を思うと私はやっぱり辞めることが出来ないのです。苦しみながらも自分がやりたいことをやれる、それは私にとってギリギリの精神で生きることでもありますが1番大切なことだと思っています。