自業自得ってマジ?

北海道・17歳・女


 高校2年生の夏。最近まで、私の家庭環境は普通なのだと、当たり前だと思っていた。幼い頃からの親友、高校で出来た親友、母や祖母…身近な人に聞く「家庭」のお話は、私よりずっと重たく、大変に思えた。私の苦しさなんて屁でもないんだと思った。でも苦しいものは苦しい。どうすればいいんだろう。つい最近私の家庭環境もおかしいんだと気づいたけど、未だにわかっていない。

 そもそも、私の苦しさは自業自得な部分が大きいと思っている。2人いる兄とどちらも良好な関係とは言えないことは、私が小3から中3まで何度バレようと常習的に家族全員のお金を盗っていたからだということと、はっきりと伝えてはいないけど小学生の頃に万引きをして1度警察のお世話になったからだと思う。薄々気づかれてるんだろうなと思いながら財布を物色していた頃の精神は確実におかしかった。よく殺されなかったな。今でも生きるのを許容されてるのが不思議だ。

 中1の後半には学校にどうしても行きたくないといった漠然とした理由から不登校になり、毎日母に問い詰められていた。素直に行きたくない。理由は自分でも分からない。と言うと、「それはただのサボりだし、学校は行かないという選択肢は元々ない。這いつくばってでも行け。お母さんははいじめられても行ってた。行かないのはお前がおかしいんだ。」等といった主張をされ、髪を掴まれ前を向かされていた。痛かったので泣いてしゃくり上げながら痛いからやめてと言うと、「痛くない。嫌だったらちゃんと前向いて喋れ。質問に答えな。」と言われるので涙やら鼻水やらでぐちゃぐちゃの顔を母に向けたら全く面白くないのに口が勝手に笑った。すると「何笑ってんの?何が面白いの?馬鹿にしてんのか?」顔を叩かれ、下を向くと蹴られた。痛かった。なんで笑っちゃうんだろう、そう思った。

1年後、スクールカウンセラーの方にこの事を話したら「それは人間の防衛本能であって、面白くなくても場を和ませてどうにか切り抜けようと勝手ににこにこしてしまう事もある。あなたのせいじゃないよ。」と言われて納得した。その頃は母に対して殺意を持っていたけど冷静になるほどな、と思えたのでいくら母でも納得するだろう。ちょっと考えれば自分でも気づけるようなことでも、当時は大切な武器になった。
 また怒られることがあった。やはり勝手に笑顔になってしまう。「何が面白いの?本当に頭おかしいんじゃない?病院行ったら?」わかってくれるチャンスだと思った。あのね、面白くなくても、人間って防衛本能で勝手に笑っちゃうんだって。だから馬鹿にしてないんだよ。教えてくれたことを必死に伝えた。不満げな表情だったけど一応は聞いてくれたみたいでほっとした。今怒られていることに対しての話題に変わった。その間ずっとぐちゃぐちゃの顔のまま笑顔がやめられなかった。口が震えていても口角は上がったまま。それを見ていた母が言う。「だから何笑ってるの?何がおかしいの?話聞いてんの?なんで怒られてるかわかってる?」絶望した。力では敵わないし、どうしても母を傷つけられなかったから必死に伝えるしか無かったのに。さっき言ったことを聞いてなかったのか?なんでループしてるんだろう。それこそ怒られるのに私の笑顔は関係ないのでは?全部言えずに腕で顔を守り、俯くことしか出来なかった。

それから、本当に言いたいことは言おうとすると涙が出て言葉に詰まり、母の顔を見れなくなった。そもそも言う前から諦めていることが多い。私が完璧にやれていている訳じゃないから、文句を言える立場ではないし、日常会話でも重要なことでも普段から話を聞いてないこともあるから。

 あれ?打ってて思ったけどこれ普通に虐待レベルでは?待って本当に私おかしいんじゃない?多分これだけ見たらクソ親に見えるけど今というかずっと前から普段はわかりにくいけど優しいし大好きな母親なの。必死に庇ってるようにしか聞こえないな。でも大好き。私も軽口を言うし、一緒に寝てるし、素で巫山戯たりしてる。一緒に出かけることも多いし、身内他人関係なく仲良いねって言われることも多い。
 当時は父親がいた(私が中3の時離婚した)けど定職についたことが無いほぼニートで大黒柱が母だった。夜遅くまでずっと働いてて色々限界だったし元々母親の家庭もボディランゲージ強めで所謂普通の家庭ではなかったからというのもある。だから一概に母が悪いと糾弾は出来ないし。
 自業自得って沢山言われてきて、自分でも本当にそう思う気持ちがベースにある。

 でも、つい最近私にとってはちょっとした小言だった母からの注意を、通話越しに聞いてた高校の親友(この子は本当に私より家庭環境が酷い)から「申し訳ないけどあの言い方ヤバくない?注意したいんならあんな嫌味言わなくていいでしょ…次から気をつけてね、で済む話なのに何であんなにお前を否定する言葉出てくるの?私ですら引いてるのになんでそんな、いつも通りって平然と言えるの?ちょっと母親がおかしい自覚持った方がいいよ…」と真面目に言われた時、少し前に私のバイト先の店長からちょっとした注意を受けた時ボロ泣きして、何で殴られても逆上された訳でもないのに涙が出たんだろうと思っていたことと辻褄が合ってしまった。店長から言われたことはただの注意。問題点を指摘して、次から気をつけよう。という話。母から言われるのは私を否定する言葉。なんでこんなことお母さんがしなきゃいけないわけ?あんたの後始末だからねこれ。あんたがああしなかったからこうなってんの。わかる?etc…
 思い返せばこの差。だから無意識に、店長に対して身構えたものの、その身構えた先の行き場が無くなって拍子抜けしたのだろう。もしかしたらずっとずっと前から心の奥ではおかしいのだと気づいてたのかもしれない。じゃあ、なんで今も我慢してるんだろう。なんで誰かと比較してるんだろう。私の苦しさって何の為?若いうちの苦労ってこと?乗り越えられてないけど。

 ああ、文章が文章になってないな。勢いのまま書いたから主張がわかりにくいかもしれない。どうしたらいいのかな。まだ私の家庭環境は普通だしもっと日常的な暴力振るわれてる人がいるし、苦しい人が沢山いるからまだ大丈夫。恵まれてるかは微妙でも美味しい物食べれてるし五体満足。幸せ。って思えてた頃のが良かった。
 気づきたくなかった。なんで心の底から大好きな人を少しでも憎まなきゃいけないわけ?誰か大人に助けて欲しい。でももう正直死にたい。将来のこととか夢とか話すより自殺したいって話す方が楽しい。文にして客観的に吐き出せてスッキリしたけど希死念慮は消えない。

 これが自業自得ってマジですか?

感想1

母親とバイト先の店長の言葉の比較、冷静かつ正直で、そして的を射た自己分析だと感じました。

私自身、他者との関係のなかで身構えてしまうことがあり、それは小さいころの養育環境によるものだと考えていますが、知人に指摘されるまで、その特異性に気づきませんでした。

母親からのことばを冷静に考える友人がいることも、すてきだと思います。

母親のことが好きだけど憎い。
不思議なようですが、このふたつは両立する感情なのだと思います。

世の中には「相手を変えるのがむずかしいからじぶんが変わるしかない」という考えがあります。それは一理あるのですが、その意味は自分を折り曲げて合わせるということではなく、じぶんの位置を変えるのがいいと私は思います。じぶんがのびのびできる環境に近づくよう、物理的に、あるいは精神的に、位置を調整することができたらいいのかもしれないと感じました。

また、あなたが苦しみを感じることはあなたの権利ではありますが、あなたの責任ではないです。ではなんの責任かというと、社会の責任だと思います。この社会はとても生きづらいです。ひとを生きづらくさせる制度や、生きづらくさせる教育、生きづらくさせる価値観があると思います。それを変えていかないといけないと、強く思います。

生きづらくさせる価値観のひとつが、自己責任論だと思います。
私たちは平等ではないし、ほとんどの場合、不適切な制度・教育・価値観を身に浴びて不当に苦しみながら生きているように思います。
それを浴び続けると、他の人にもそれを浴びせてしまうことがあります。
母親のことばは、そういう性質のもののように思いました。

でも、しあわせもつらさも苦しみも、みな個々人のもので、比較できるようなものではありません。だから、あなたには苦しみを苦しみだと感じ、苦しいと叫ぶ権利が当然あります。
自業自得はけっしてマジではないです。

文章をお寄せくださってありがとうございます。あなたの文章はテンポがよくて、しゃべっているのを聞いているように読みました。あなたの冷静で正直な目でじぶんのことを見つめ、分析しながら、また文章を書いてほしいと思いました。

感想2

自業自得ってマジ?という率直な疑問をこれまでの経験とともに書いてくださり、ありがとうございます。

母親さんに「お前がおかしいんだよ」と頭から否定されて、叩かれたりすれば、母親さんの目を見れず、言いたいことも言えなくなる(言う前からあきらめている)のは、とても自然な反応だよなと、私は思いました。

「私の苦しさは自業自得な部分が大きいと思う」とのことでした。また、これまで、しんどいことや嫌なことの理由が自分でもわからないことが多かったように見えました。

もしかすると、家や学校で嫌なことがあっても、嫌だなぁと感じる前から、嫌だと感じることをあきらめていることが多かったのかな…?そのため、自分の苦しさの理由が分からなかったのかな…?と想像しました。
苦しさの理由が自分でも分からない場合は、母親の言う「自業自得」を受け入れてしまう方が、抵抗がなかったのかもしれない、と思いました。

家族が色々と限界で、一概に母親を糾弾できないとも書かれていました。ここから、ものごとをいろんな視点から考えられる人なのだろうなと思いました。

店長からの言葉と母親からの言葉を比べて、注意する言葉と、否定する言葉の違いに気づいた(気づいてしまった)のですね。自分を否定されることは、誰にされてもつらいことだと思いますが、相手が大好きな母親さんだったから余計につらいところもあるだろうなと思いました。

大人に助けを求めるのは間違っていません。死にトリでは、掲示板(とりコミュ)もあるので、文章を書くことで考えを整理できたりするなら、活用してもらえたらと思います。これからもあなたの率直な疑問や話したいことを、たくさん主張していただけると嬉しいです。

お返事

感想1の方へ。

まず、私の文をお読みくださりありがとうございました。それと、自業自得はマジではないと否定して頂き、ありがとうございます。言葉遣い悪いかなぁと思いつつ、混乱しつつ書きなぐった文だったので、さぞ読みにくいだろうと思っていました。ですが、この乱文の中から正直さと冷静さを見いだして、テンポまで褒めてもらえたのでとっても嬉しくなりました。また、私以外の人も対人関係で身構えることがあると知り少し安心しました。

感想を受けて、私は母にどうしてもらいたいのかと考えた時、多分、私は母に肯定して、認めて、受け入れて欲しいのだと思いました。だから、憎む部分はあれど憎悪はしない。随分甘い拒絶だと思います。案の所これは友達には賛同してもらえませんでした。

それと、「自分が変わるしかない。」は何度も言われた言葉でしたが、「自分の位置を変える」という解釈にはならなかったので、目から鱗です。おそらく、「折り曲げて意地でもそこにいろ」の意味で言ってそうですね。母は傍目から見ても優秀なのに、仕事では理不尽な扱いというか、貧乏くじを引かされてばかりされていると思います。まだまだ未熟だから仕方ない。と母は言っていますが、その理不尽に、気づいていないだけでもう溺れているのではないでしょうか。私も溺れている?溺れかけている?ので、身内意識が強まっているのではないかと思いました。

その他にも色々考えさせられることが多くあるので、1度ノートなどに書いて自分の状況を俯瞰してみようと思います。今度は冷静に見れそうです。感想、本当にありがとうございました。

感想2の方へ。

まず、私の文をお読みくださりありがとうございました。まず、死にトリを利用してから最近は自殺に逃げていた自分を知る。という行為を少し深くまでするようになりました。主張してもいい、と言われたことが心に響いたのは初めてです。これからは大人に助けを求めるのは間違ってない。私は想像よりも間違ってないと思いながら活用していきます。ありがとうございます。

嫌だと思う前から嫌だと思うことをあきらめていたのでは?との事でしたが、不思議なほど腑に落ちました。元々私は典型的なわがままな末っ子で、自分の感情を躊躇いなく全力で表現していました。それをやめてしまったんだと思います。どうにもならないのに、印象は悪くなる一方なので。受け入れた方が楽だと思って、無意識に蓋をしたけど元々の声が大きいので早々にキャパオーバーしてお金を盗んだり物を盗ったり、暴走してしまったのかな、と思いました。だから今は負い目もあって、身内に対して異常なほど優しいのに、他人に対しては容赦なく切り捨てるのだと思います。(これは最近気づいた私の対応の差です)

友達の言葉がきっかけとはいえ、考えもしなかった色々な事に自分で気付いてしまったので、死ぬより前に、そこからどう生きていきたいか、いけるのか。満足できるまで細々と考えようと思います。感想、本当にありがとうございました。