価値の無い子供と、無関心な大人

東京都・18歳・女


小さい時から、否定されることが怖かった。常に褒められるいい子で居たかった。
昔、母親からの「行儀が悪いから辞めなさい」や教師からの「この問題は間違っている」という、別に何ともないただの「指摘」が、私にとっては苦痛でしかなくて、自分の生きている価値そのものを否定されているような気がして、お前は生きてはいけない人間だと言われている気がして、いつも顔を真っ赤にして1人で泣いていた。
それから中学生にあがる頃までひたすら1人で努力しつづけ、成績も人格も周りの人から感心して貰えるくらいには評価が高いものであり続けた。そうすれば誰も私を否定できないし、私を特別に見てくれる。そう信じていた。
でも私の周りの大人は皆違った。
「学年で2番か、まだまだだな」「部活が辛い?じゃあさっさと辞めなさい面倒くさい」「おじいさんを助けたんだ、だから何が言いたいんだ?」
違う違う違う。私が欲しかったのはそんな言葉じゃない。ただ「頑張ったね」「辛いね、でも頑張れ」「すごいね。えらかったね」そう言ってくれれば良かったんだよ、ママ。パパ。
ごめんなさい。私が頑張らなかったから、私が弱音を吐いたからそんな嫌そうな面倒くさそうな顔をするんだよね。
今まで家族以外の誰にも弱みを見せないように努力し続けてきた。でも、家族にすら弱みを見せちゃいけなかったんだ。じゃあ私は、どこで息をしたらいいの?ママは、何をすれば私をえらいねって褒めてくれるの?
教えてくれる人はこの世にだれもいなくて

私は中学1年生の夏の朝、頭から倒れて、それから不登校になった。
学校は自分の家の裏にあったから、ベランダから覗けばすぐ側に私を無かった人のように楽しそうに遊ぶ友達の姿がいつも見えていた。自分が居なくても世界は残酷な程にぴったり成立するんだなと感じて常に死にたかった。
そう言えば友達への無償の親切だって、若い彼らの膨大な情報量の生活の中に埋もれて気付かれもしないし、私が絶対必要な場面って今まで生きてきて1度もなかったな、そんなことを思った。ただ勉強ができてウザくない程度に仲良くて、当たり障りのない言葉で顔色ばかり伺ってくる気持ち悪いやつだったんだろうな。
もういやだ。カーテンを閉めてそのまま目を閉じて、放課後のチャイムで起きてそのまま夜明けまでただぼうっと音楽を最大音量で聞きながら体を傷つける。そんな日々が一年以上続いて、その後は精神病院に1年半くらい入っていた。保育園みたいな監視された楽園で、たくさんいけないことをおかした子や、色んな自分の人格に悩まされる子、力に怯える子に出会って、自分の頑張りはまだ足りなかったんだときづいた。私以上に苦しい思いをしている子はこんなにいる、この子達に並ぶくらい同じ精神状態になれたらきっと、もがいて苦しんでいる自分に気づいて抱きしめてくれるのかな。あの興味のなさそうな顔を辞めてくれるのかな。
病院でやった心理検査で、私は人より心の壁が3倍以上あって、3大欲求すらちゃんと持ち合わせてない人格だと言われた。私が今まで自分の長所だと思っていた人当たりが良くて好奇心旺盛な部分は、自分すら騙していた嘘なのか。もう自分すら信じられなくなっていた。

このまま死ねばいいのに、誰も私を求めない、認めてくれない、自分にどんな価値があるんだろう。誰にも、自分にすら信用されない癖になんで生きているんだろう。

それは退院したあとも、高校三年生の今も、ずっと毎日思っている。
私はこれからもきっと死ぬ勇気が無いから、親の顔色を常に見ながら、友達の輪を外れないようにしながら、怯えながら努力を一瞬たりとも辞めずに生きていくしかないのかな。

感想1

ほめられたい、認められたい、という気持ちは誰もが当たり前に持っているものなので、本来子供時代には存分に親や周りの大人によって満たされなくてはならない感情ですが、それに対し親が冷徹な反応を繰り返していて、とても傷ついたし、自分で自分をほめたり認めたりする気持ちが十分に育ってこなかったのではないでしょうか。そして自分で自分を認めてあげられないから、親や周りの人に認められるために最大限の努力をしてきたし、今もしていることかと思います。(自分で自分を認めてあげることが難しいのは、あなたのせいではありませんよ。)

自分の頑張りが足りなかったんだと気づいた、というくだりがとても気になりました。もっと病的になって人の気を引くことは「がんばり」ではないし、そのような気の引き方をしても自分が傷つくばかりで、より苦しんでいる方が価値がある・大切にされる、ということはありません。

親に認めてほしくて頑張ってきたのだと思いますが、親は認めてくれないし、かといって親は自分で選べないので、選べないがゆえに苦しんでいるのかなと思います。

とはいえ、他人は変えることはできず、認めてくれない親に求め続けるのは苦しいかと思いますし、興味なさそうな顔をする人たちには(この場合は親)認められなくてもいいのかな、と思います。自分を認めてくれない人、というのはどれだけやってもどこまで行っても認めないし、認めてくれる人というのはその人に貢献していなくても認めてくれるものだと思うのです。すなわち、あなたがどんなことをしたか、しなかったか、というのは、あなたが周りの人に存在価値を認めてもらえるかどうかには関係ないことだと思うのです。

これから先、家族、学校という狭い世界を出て自分の世界を作っていくことかと思います。
自分がやりたいこと、挑戦したいことにエネルギーを使っていただけたらと思いますが、興味のあることや好きなことはありますか?
努力のベクトルを親に、誰かに褒めてもらうためでなく、自分で自分を肯定できるような営み、自分のための努力であってほしいと思いました。

人は、誰か他の人にとって、絶対必要かどうか、信用されているかどうか、価値があるかないか、ということに関係なく、生きているし、存在が認められるはずだと、私は思います。今こうしてお話を聞かせてくれたことで、私はあなたの存在に気づいて、気持ちを想像したり、一緒に考えるきっかけをもらいました。ありがとうございました。

感想2

経験談を送ってくださりありがとうございます。
文章には独特の臨場感があり、あなたの生々しい感情が伝わってくるようで迫力を感じました。
それはあなたの正直な文章の力でもあるし、あなたが今もなお傷ついた感情を持っているということの現れでもあるのかなと思いました。

「否定されることが怖い」ということは、とても大事で、ひとりひとりの人が当然持っているべき感覚だと私は思います。私たちはたとえなにもしなくても、なにもできなくても、ここにいていい存在であるはずです。少なくとも、私はそう信じていますし、そういう風に思う人が増えたらいいと思っています。私たちは否定されるべきではないし、自分を否定されるというのは、怖くていやだと思って当たり前のことだと思います。

でも、この社会には、いま書いたような無条件の肯定を幼いときから教えてくれる大人がまわりにいない場合が少なくないように思います。それどころか、条件付きで居場所を与えたり、そもそも存在自体を否定したりすることもあります。
それは大人の責任であると同時に、社会の責任でもあるのですが、そういうメッセージを向けられた子どものほうは、自分のせいだと思い込んでしまいます。
言葉のとらえ方は子どもであってもひとりひとりの感受性によって異なる場合があります。あなたはもしかすると言葉を鋭くとらえるアンテナを持っていたからこそ、その複雑な意味をしっかり受け取ってしまい、苦しい思いをしてきたのかもしれないと感じました。

「私が絶対必要な場面って今まで生きてきて1度もなかったな」
そう思う苦しさは、私自身が感じたことのある無力感や孤独感にも近いように感じました。私は今もときにはそう思ってしまうのですが、でも、「ほかの可能性もあったかもしれないのにほかでもない自分がここにいる」という事実に奇妙なおもしろさと、安心感を覚えることがあります。私の視点で、だれか人間ひとりの視点で必要かどうか判断することは、本当はとてもむずかしいような気もします。もし世界のすべてを同時に見渡せる人がいたとしたらその人にはあなたの必要性が、私の必要性が、すべての人の必要性がありのままにわかるだろうという気がします。

私たちは小さいので、自分が知っていること、自分がわかる範囲で物事を考えてしまいます。そしてその中で一生懸命に計算をして、「やっぱりだめなんだ」と思ってしまいもします。でも、こうして経験談という形であなたと関わったことで、私はあなたのことや私自身のこと、人のことや社会のことを考える時間を得ることができました。あなたのことを知ることができて、私はうれしいと思っています。それが無意味なわけがないと思っています。

あなたがいちばん心地よいと感じる時間は、なにをしている時間でしょうか。あなたがいちばん好きな手触りは、どういう手触りでしょうか。あなたがいちばん安心する音は、文字は、色は、味は、歌は、においは、季節は。
よかったら、その音を鳴らしてみてください、文字を書いてみてください、発音してみてください、色を描いてください、味わって、歌って、においをかいで、季節を感じてみてください。

それは私がつらいときにしてきたやり方ですが、そういうものをすこしずつ拾い上げて、集めていけたらいいのかなと思いました。それはやがて両手におさまらないくらいになって、あなたを守るやわらかい盾になると思います。それは心理検査の「心の壁」とはちがって、あなたの体の力みをやわらげ、あなたの内側と外側を調整する役割になってくれるのではないかと思います。
あなたの日々に、すこしだけでも心地よい瞬間がおとずれることを願っています。

お返事

自分で自分を認めてあげることが出来なかったから、周りの大人に依存してしまっていたんだと、初めて自覚して納得しました。私がする事といえば、いつも自分で自分を責めて、傷つける事だけでした。
大人にたくさん言いたいことがある。反論したい。でも、怖いから言えない。「私は本当はこれが好きなの」。こんな言葉すら口から出てこない自分が嫌いだって今でも毎日自分を責めています。

でも、本当に私が私にしてあげられることはなんだろう。好きなことを見つけて、自分で自分に安心できる場所を作ってあげて、死にたくなったら今までの自分を認めてあげる。周りの環境なんて大人になったら目まぐるしい程変わるし、他人に存在意義を求めるのはやめてみよう。そう思えました。

私は不登校だった時に、人生で初めて好きになったアーティストのライブに行って、ライブが終わったら自殺しようと思っていました。カレンダーを見なくても覚えています、4年前の7月16日。でも、それは私の人生を大きく変えてくれました。
「死にたい」「ここじゃないどこかへ行こう」 そのアーティストは私の本当の心の声を拾ってくれたように、大声で歌っていました。彼は私と同じように今ここに生きて、苦しんでいる、彼は私達に寄り添って悲しみをさらけ出してくれている。生きてて良かったと、神経が広がる感覚でした。
私も誰かの心の声に共鳴するようなステージを作って、音楽に恩返しをしたいと願うようになり、来年からコンサート制作の勉強の為に進学します。
音楽という、生きがいも見つけられました。
これからもっと自分の大好きなことを見つけて、大人の存在には縛られすぎずに、自分を愛してあげられる人生を歩んで行きたいです。本当にありがとうございました。