親に縛られ続ける人生

福岡県・30代・女性


私はアルコール依存症の母と、借金癖のある父との間に産まれた。今となっては、両親がアディクションがあることは明らかだが、24歳頃まで、自分の家族が機能不全家族であることは分からなかった。

私が幼い頃は、父はたまに借金をしていたようだが、母は依存症ではなかったようだ。幼い頃から大学までの記憶はぼんやりしており、あまり覚えていないのだが、母は異常にしつけに厳しく、事あるごとに大声で怒鳴り、叩き、あざになるまで頬をつねるようなこともあった。

小学校に上がると、私はよく嘘をつくようになった。なぜだろうか。きっとまた怒られたくない、という一心で嘘をついたのだろう。初めは両親にだけであったが、学校の先生や、友達にまで嘘をつくようになった。そして私は、異様に勉強が苦手だった。授業で話させている内容が、とにかくちんぷんかんぷんで、ついていけない。当然テストは散々な点数ばかり。おっとりしていたのか、鈍臭いのか運動も苦手だった。母は「なんで私の子なのに、頭が悪いしトロいんだろう。お母さんは数学も得意だし、運動も出来た。きっとお父さんにあんたは似たんだろう」そうボヤいていた。私は当然いい気はしなかった。そんな子どもだったからか、友達はいなかった。クラスの中ですみの方にいるような、暗い子。いつも絵ばかり描いていた。テストが分からなさすぎて、裏に大きな絵を描いて叱られたことがあった。

勉強も運動もできない私に、母はたくさんの習い事をさせた。月曜日から土曜日まで、夜までみっちり様々な習い事をした。私には遊ぶ暇はなかった。ストレスからだろうか?食べてばかりいて、丸々太っていった。クラスメイトや、習い事の仲間にはからかわれた。小学校時代は常にこんな感じで良い思い出がない。

中学校にあがって、母親がお酒を飲む機会が増えた。専業主婦だった母はこの頃から働きに出ていた。家の中で両親は昔からよく怒鳴り合う程の喧嘩をしていたが、そういうことも増えていた。

勉強のできない私は、それなりの高校に進学した。高校では同じレベルの学力の友達がいたため、授業についていくことができるようになり、クラスで上位の成績を取るようになった。高校に入り本格的に進路を考えるようになった。私には小さい頃から夢があったのだが、なぜだか本音を両親には言えなかった。母と同じ職業に就くことを、母は望んでいたようだった。逆らえも出来ずに従っていたが、ある時相談してみたことがあった。すると「今更なに?!」と不機嫌に言い放たれた。それ以上なにも言えなかった。

この頃、父親は多額の借金をした。夜中に毎日怒鳴り合う両親の声を聞いていた。母親からは「離婚してもいい?」と聞かれたことがあった。何と答えたらいいか分からず、それは困る。と答えたような気がする。あんたのせいで離婚しなかったと、後々言われたことがある。借金のこともきっかけになったのか、母親は家中の酒という酒を飲むことが増えた。ある日みりんを飲んでいるのを見てしまい、これはただ事じゃない。と思ったのを覚えている。家に帰りたくないなぁとばかり考えていた。母親が飲酒すると、家の雰囲気がおかしくなる。私は酒を隠していた。フラフラと虚な目でビールを探す母の姿をはっきり覚えている。
私は理数系の大学に進学して、国家資格を取得した。やりたくもない職業の資格を取るのは、容易ではなかった。しかも家には酔っ払って怒鳴り合う声が毎日響いていた。勉強する環境としては最悪だが、必死で資格を取った。合格した時、母は鼻が高そうだったが、あんたに勤まるんだろうかね?ボーッとして、ミスをするのが目に見える。と散々言われた。いい気はしなかった。

就職が近隣だが他県だったため、私は一人暮らしを始めた。実家を出たことで、一人の時間が出来るとワクワクしたが、そうはいかなかった。頻繁に電話はかかってくる。泊まりにくる。その頃また父親は借金をして、母親はアルコールに溺れていた。私は借金の肩代わりをした。最低な状況の中だが、両親はなぜか海外旅行へ行くことがあった。私に軍資金をせびり、何十万か渡したことがあった。アパートに母が泊まりにきて、火事を起こされたこともあった。母親の入院費の一部や、アパートの修築費は私が手出しした。今思えば、コンロの火をつけたまま、酔っ払って眠ってしまったのだろう。

こんなことがずっと続いて、私も流石におかしいことに気が付いた。知り合いのカウンセラーに、話を聞いてもらった。すると、機能不全家族、アダルトチルドレン、共依存など驚くばかりのことを告げられた。とにかく私は、母親とは特に距離を取りなさい。とアドバイスをされたが、やり方がわからず、何年もなあなあなまま時が過ぎた。

30歳を過ぎて、私は結婚し子どもにも恵まれた。孫が出来たら変わるかもしれない。そんな期待は崩れ去った。子どもの誕生日や運動会に、母は酔っ払ってやってくるのだ。私は夫や夫の両親に申し訳なくてたまらなかった。1番は、私が悲しかった。待望の我が子の誕生日をめちゃくちゃにされたのだ。

私はアルコール依存症について学び、ある施設の戸を叩いた。その施設へ相談したことをきっかけに、私は両親と距離を取っている。しかし、たまに連絡が来たり、一方的に会いに来ようとしていたことが分かると、呼吸がしにくくなる。一体いつになれば、親に縛られない人生を歩むことができるのだろうか。私は今でも毎日、そんなことばかり考えている。

感想1

経験談読ませて頂きました。ずっと親に振り回される人生を送ってきたのですね。私には、文章から沢山の理不尽な思いや我慢、悲しい思いをしてきたことが伝わってきました。そして、幼い頃から現在までが書かれていることから、この経験談を書くことには、自分や家庭に何が起こっていたのかの整理にもつがるのかなと思いました。

私は、投稿者さんの経験談から、自他の境界について考えました。
人は、自分の安心できる距離(境界線)よりも、他者に侵入されると嫌な思いをしたり傷ついたりするため、適切な距離を保とうとすると思います。他人の場合は元々離れた距離から近づいていく関係なのに対して、親子の場合は0距離から始まり成長と共に距離をとっていく関係なので、他人の場合よりも境界線があいまいになりやすく、更に家庭内が機能不全となっている場合には、投稿者さんの原家庭のように、親から子への浸食が激しく、多くの場合子は親の浸食から逃げ場のない中で育つことになるのではないかと思いました。
そして、子は浸食されているのが当たり前の中で育つため、自分にとっての適切な距離、自分が個人として尊重される存在だと学習する機会も損なわれてしまうのではないかと思いました。

また、私は、本来投稿者さんの母親さんが向き合う問題は、夫(投稿者さんの父)との問題ではないかと思いますし、母親さんが抱える問題は投稿者さんが責任を負うものではないと思いました。

現在、両親と物理的な距離はとれているが、親に縛られていると表現されていることについて、何か後遺症のような感じなのかなと想像し、それだけ今まで溜めてきて消化されないものがあるのだとしたら、どこか安全な場所で溜まっているものを外に出せたらいいのかもしれないなと思いました。

感想2

あなたのこれまでの人生について聞かせてくださり、ありがとうございます。

小学校の授業についていけなかったのは、人それぞれ理解するペースが違うからであり、ペースが合わないのはあなたのせいではないし、テストが分からなくてもあなたは悪くないと思いました。

母親さんは、厳しく叱り、習い事をさせ、自分と同じ職業になることを望んでいたというお話から、あなたを自分の望み通りにしたいように見えました。親といえども、他人である子どもを自分の望み通りに従わせていい、ということは絶対にないと思います。

また、あなたの前で怒鳴りあいの喧嘩をすることは、本来は親がしてはいけないことだと思います。両親にはそれぞれ怒りをコントロールして、落ち着いて考え、話し合い、あるいは外部に助けを求めて、あなたの安全や安心を守ろうとする責任があったはずではないのかな…と考えました。離婚の判断を子どもに押し付けることも、責任転嫁であり、困るのも当然だろうなぁと思いました。

実家を出て一人暮らしをしても、生活を脅かされていて、あなたの責任ではないことまでお金を出したということで、一層両親からの責任の押し付けが強まっているように見受けました。あなたが大人になって、できるようになったことが増えた分、依存されてしまっていたのかなぁと思いました。

自らアルコール依存症について学び、あるところへ相談されたというお話から、あなたはすでに「親に縛られない人生」を歩みだそうとしているのではないかな、と私は感じました。悲しかった記憶は、きっと消えることはないと思います。一方で、新しい人生の時間の中で、過去の悲しい記憶が薄められていくことはあるかもしれない…と考えていました。

お返事

体験談の感想をありがとうございました。一文一文を大切に、何度も読み返しております。幼いころから、私は出来損ないだと思っていましたが、いただきました感想を読み、救われた気がしております。
機能不全家族の中で育ち、人付き合いが苦手で、心理的な距離の保ち方が難しいのですが、それも、ベースがあったからなのだと。妙に納得しています。
大切なのは、過去にしがみつくのではなく、今からをどう生きていくか。ですが、なかなか折り合いをつけるのが難しいです。せめて自分の子には、同じ思いをさせないように育てて行こうと思っております。