経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

他人に振り回されるだけの人生

思えば、子供の頃からいつも他人に振り回されてきたような気がしています。
子供時代はいつも妹ばかり褒められ、私は怒られていたという記憶しかありません。勉強が嫌いで楽しくないので成績のよくない私と比べれば、なんでもそつなくこなして思い通りの成果を上げてくる妹の方が良いのでしょう、言ってみれば成果主義、社会の常識なのですから。

そんな私でも、高校になったら進路を決めないといけません。コンピュータに関する仕事をしたいと漠然と考えており、専門学校へ行ってCGやグラフィックなんてものをやってみたいと考えましたが、両親からは「そんなものは遊びだ!」と一蹴され、已む無くビジネス色の強い学科を選びました。パソコン講師なり、システムを管理する仕事についてはどうかと考えてのことです。幸い、興味のある分野だったので充実した学校生活を送り、国家資格も取得できました。

ですが、自分が学んできたことを活かせそうな仕事には就けず、あまり興味のなかった機械技術の派遣会社に就職しましたが、興味の無い分野だったため楽しめず、日々辛くなる一方でした。
人に相談しても「3年はやることだ」「仕事をまっとうしなければならない」「それは甘えだ」との答えが返ってくるばかりです。皆がそうしているのだから当たり前なのでしょうね、常識です。
それに対応できない私は一体何なんでしょうね?

結局体調を崩して会社を辞め、実家に戻ったのですが母親から「甘えだ!」と怒鳴られ妹からも「人に答えを求めている」と上から目線のメール。
誰がいつ甘えたのでしょう?
いつあなたに答えを求めましたか?
私にはこの人たちの行動がまったく解りません、私は不安が消えなくて辛いと言っただけなのに。心療内科に行き、そこで医者から話を聞いたのにもかかわらずこれです。もう、家族は心底私を馬鹿にしており、思い通りにならない私を見下しているのだと考えるようになり、落ち着くと県外へ転職して家を出ました。

経験のある仕事をするしかないと諦めてずっと興味の無い仕事を続けていました。ストレスを貯めない様に遊んだり、新しい人間関係を作ろうと動きましたが、不思議な事に自分のことしか考えないような人間にばかり出会います。とにかくこちらをコントロールしようとするのです。本人曰く、人間関係のセミナーの成果だそうですが、間違いなく成果は出ていないでしょう。自分を変えるという言葉を盾にして人を変えようとしているんだから。

日々ストレスが溜まり続け、カウンセリングも受けたのですが、過去の経験を話せば「被害者意識だ」「思い込みでしかない」と、終いには「家族はあなたのことを愛している」「世の中の全てが善なんだよ」とスピリチュアルな綺麗事。宗教か!?インチキに引っかかったと感じてショックでした。まさかこんなのを信用するなんて。(資格とかも特に無い様子)お金を失うばかりか、ヤツの無駄にデカイ自尊心を膨らませてやっただけなのかと思うと本当に悔しい。

それからは人間関係を必要最小限に、当たり障り無くこなす事に終始してなんとか耐えましたが、コロナの影響で仕事が減り、再就職活動中です。少しエネルギーが戻り、人を指導して育てた経験もあったので、人をサポートする仕事はないかと考えていますがそれも難しいようです。転職回数だけが増え、新しい仕事に挑戦する事も難しくなり、やりたいことも出来そうに無い、やりたい事があっても挑戦できない。考えたことは否定され、挑戦したり勉強する時間もお金も無く、何をどうしても結局仕事をする為だけに生きる生活。

もう自分の考えや選択に自信が持てませんし、また同じ仕事をするのも、正直気が進まないのです。他人に振り回されるばかりの人生で、こんな世の中の考え方や風土の中ではやっていたくありません。
他人にしてもこういう話をされたところで「常識」「自己責任」「被害者意識」「甘え」しか無いんでしょうし、ここにこんな事を書いても意味が無いのも理解しているのですが、一応。

感想1

「一応」ということで、経験談を送ってくださって、ありがとうございます。

自分のことしか考えず相手をコントロールしようとする人にばかり出会ってこられたとのことで、そんな人たちのことは信用できないだろうし、人間全般が信用できなくなってしまうのも無理はないだろうと思いました。

「こんな世の中の考え方や風土の中ではやっていたくありません」と思うのも、まっとうな感性だと私は思います。

これまでの職場は、上下関係が強くて、上司の指示に従うのは当たり前みたいな雰囲気だったのかな?とも想像しました。あなたは仕事でもそれ以外でも、自分の頭の中でよく考えて取捨選択する力がありそうなので、上の立場の人に考えを否定されるのは相当なストレスになっていたのではないかと思いました。

人として主体的に生きようとすればするほど、否定され、ストレスを感じてしまう今の世の中を、何とか変えていきたいし、変えないと大変なことになるだろうと私は思っています。

現在は、やりたいことに挑戦するための機会がなく、「できそうにない」と自信を失ってしまっていることに、悔しさを感じました。あなたのチャンスを奪っているものは何なのだろう…?と私なりに考えてみると、新しい知識やスキルを学ぶことへのサポートが乏しい社会の在り方が浮かんできました。挑戦する機会が保障されていなかったために、スキルを持っていないだけなのに、スキルを得ていないのは「自己責任」と言われてしまう、ひどい社会だと思います。

学校の勉強がよくできる方がいい、仕事は続けた方がいい、などといった「常識」を勝手に作り上げ、振りかざしてくる人が多かったことで、傷つけられてきたと同時に、そんな人たちに呆れてしまったような印象も受けました。

自分をコントロールしようとしてくる人に出会っても、同じように相手をコントロールし返すのではなく、距離を保つことができ、また人生の主体であろうとするが故に悩まれている様子から、今の社会を変えていくためにも貴重なセンスを持っているように思いました。あなたの考えやセンスを活かせるような方法や仲間を、「常識」に囚われず、少し肩の力を抜いてのんびりと探してみるのも一つなのかなと思いました。

感想2

 経験談を投稿していただき、ありがとうございます。そう言われたら(そうされたら)そう感じてもおかしくないなと思わされるようなことばかり書いてあって、正直なところ驚きました。それと同時に、あなたのような真っ当な方が、なぜ振り回されて生きなければならないのだろうと悲しくなりました。

 カウンセリングはもちろん、相談を仕事にしている人の中にも「家族はあなたのことを愛している」「生きていればきっといいことがあるから」など、根拠がないどころか自分の考えを否定してくる人がいるのが、悲しい現状です。そういう人たちの話を聞くと、もしかしたら自分が変なのかな?と思わされそうになるときもありますが、あなたの話を聞くと、やっぱり自分だけじゃないんだと思えました。

 私はあなたの感覚が真っ当だと感じますが、ながらく異なる価値観の人(自己責任や常識を無条件に信じている人など?)とかかわっていると、自分自身の選択に自信が持てなくなってもおかしくありません。それに、周りに価値観を共有できる相手がいないというのは、それだけでしんどいことだと想像しています。

 私も今の社会に流れる価値観や風潮みたいなものに違和感があるため、仲間を1人見つけたような気持ちになっています。みなさんの経験談を読むたびに思いますが、文章の最後にある「常識」「自己責任」「被害者意識」「甘え」という謎の文化は、計り知れないほどの生きづらさを人々に与えているのではないでしょうか。経験談に投稿してくれるエピソードは、どう考えても自己責任の範疇ではなく、社会の仕組みや文化に問題があると私は考えています。

お返事1

感想も読ませていただきました。
仰るとおり、これを書いた当初は人間や社会に対する不信感と絶望感でいっぱいでしたし、何も考えずに人を苦しめる言葉を吐き続ける人々やそれを認める慣習に呆れ果ててもいました。一時は本当に生きているのが辛く、会社を辞めるように人生を辞めたいと、具体的な方法まで考えました。
幸い、同じ就職セミナーに通っていた仲間に気持ちを吐き出すことで気持ちが落ち着き、改めて若者サポートステーションやこちらのオープンチャットを利用しながら心の安定を図っています。理解者の存在が一人居るだけで、ここまでの効果があるものかと驚いており、同じような人には出来る範囲で力を貸したいと思っています。

ただ、今でも「社会の仕組みや文化」に対して違和感を感じていますし、何も考えずにそれに従う人や、自分の考えを振りかざす人間に対して怒りを感じますし、関わり合いになりたくないと呆れてもいます。
しかし、こうして文章を読んでくださったことや、理解を示してもらえた事、文面から私の心境について考えて下さった事を嬉しく思います。

ほんとうに酷い社会だと感じていますが、おそらく物事の最小単位を「家族」という「集団」にしてしまった事が原因なのかなと感じます。
その事が「集団あっての個人」「会社あっての社員」という価値観になり、一番重要な「個人」を押し潰す原因になっていると感じます。なので、今は「個人」としての自分を大切に出来るようになりたいと思います。

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