自分から逃れられない。本当の敵はもう1人の私


愛知県/女性/30代


私は小さな頃から虐待を受けて居ました。
小さな頃に母が私に付けたあだ名は黒豚で、お前は不細工で何にも出来ないんだから私の側にいればいいと言われ続けてきました。

虐待の種類は性的な物から肉体的な物まであり、その中で一番嫌だったのは母親に押し入れに押し込まれ閉じ込められる事と、布団に入れられて兄達に上から乗られる事でした。
私の閉じ込められていた押し入れは、過去に亡くなった兄が濡れたままバスタオルに巻かれ、肺炎になりそれが原因で亡くなった事を私は知っていました。
そのせいなのか、今でも閉所恐怖症で暗く狭い場所は入れません。

夜になると父と母は喧嘩をし、父が酷い暴力を母にふるい、誰にも相談出来なかった私は夜になるとよく家から隠れて抜け出し、街頭もない暗闇を月明かりを頼りに川まで歩きました。
泣きながら歩いて川に架かる橋の真ん中に立ち、このまま川に落ちれば死ねるのかな。と考えたりしました。

でも、そんな時在るはずない存在を目にしました。
山から薄く透けている巨人のような物が出てきて川と私のいる橋の前を横切ったんです。
見間違いかもしれないし、幻想だったのかもしれません。
正直、普通の精神状況ではなかったのは確かでした。

ですが、幻想で済まない事も起きていた。

私はその頃携帯を持っていて、知り合いからの連絡は携帯に来るようになって居ました。
ですが、ある日、私の家の電話に私宛に電話がかかってきたんです。
電話を父が取り、お前に電話だよ。と私に受話器を渡してきました。
電話に出た私の耳に聞こえてきたのは、ブクブクという携帯を水に入れたような音とテレビのザーっていうような音で。話し掛けても変な音しか聞こえず。
怖くなり、受話器を置いて父に名前は聞かなかった?と聞いたけれど、声は子供の声ではなかったとしかわかりませんでした。

ここまでの話は、一時的に私の記憶に押し込まれていた物で。


高校の時にフラッシュバックが起きるまで、私は母に虐待されていた記憶が一切ありませんでした。

抑えこまれていた感情と記憶が高校二年の夏に私が子猫を拾い、家に連れて帰った事で蘇るきっかけを作ってしまったんです。
夕暮れ時、学校から帰ると母は子猫の首を持ち上げ、思いっきり壁に叩きつけました。
夕日の中でよろめきながら私に寄ってきた子猫を見て一瞬時間が止まった感覚を覚え、それからは缶詰めの蓋を開けるように母が私に何をしてきたのか、記憶が蘇って。同時に殺意が湧きました。
思えばその時にカウンセリングなどを受けておけば良かったと思います。

ですが、まるでそのあたり頃から私の中に違う私が居るんだと感じるようになりました。なんとか制御して今までやってきましたが、もう自分では制御出来ない場所まで来てしまった。


数日前、私はまったく記憶がないのに、海に行って写真を撮っていました。
記憶がありません。
その海の場所も知らないですし、私の降り立ったその駅からどう行けば海に行けるかも知らないんです。
財布にあったコンビニのレシートで場所を特定しましたが、海水浴なんか出来る場所じゃありません。岩ばかりの海で、何故行ったのかも分からない。

自分に殺されるのではないかと時々怖くなります。私は私を恨んでいるのではないか、消えて欲しいのではないかと思うのです。私が消えれば、もう一人の私が自由になれるのなら、変わってあげたいとも思うのです。
死にたいと思ってしまう私には、勿体ない命かもしれません。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。
幼いころからさまざまな虐待を受けてきたのですね。兄が亡くなった場所に閉じ込められることや、布団に押し込められて乗っかられることは、命の危機を感じる恐ろしい出来事だと思います。恐怖を感じて当然だと思いましました。今は、すこしでも安全だと感じられるような場所にいるのでしょうか。

両親がひどい喧嘩をしているのは、こどもとして、見ていてとても苦しくて恐ろしいことだと思います。家を抜け出す時間は、大切な時間だったのかもしれません。

透けた巨人は、奇妙な存在ですが、死を考えていたそのときにあなたの前に現れたことによって、結果としてあなたが今こうして経験談を送ってくださるまで生き続けてくれていたことは、私にとってはとてもうれしいことだと思いました。

記憶の底に忘れていたものは、そのときには対処することがむずかしい出来事だったのだと思います。だれだって、自分の大きさを超えるような出来事が続いていたら、キャパシティをオーバーしてしまいます。きっとあなたなりの対処方法を、意識的にも、無意識的にも続けてきたのだろうと想像しました。
でも、そのときと状況がすこし変わってくると、いままでやってきた対処のやり方がむしろ苦しめてくることもあると思います。自分自身のことは把握していたいものだと思うので、記憶がないのに、自分が行動していたことがわかったら、とても不安です。安全だと思える、安心できる状況のためになにが必要なのか、一緒に考えてみたいと思いました。

最後に、「勿体ない命」と書かれていましたが、けっして「勿体ない」ということはないと思いました。あなた以外にあなたの命に触れられる人はいないのだから、気の向くままに使っていいと思いますし、あなたにはあなたの(私には私の、人には人の)命の触れ方があると思います。
この世界に絶望することも、死にたいと思うことも、恐怖も不安も、ひとつも間違っていることはないと思います。(私もよく絶望したり、死にたいと思ったりします)
それはあなたが感じたという意味で真実です。でもその思いに不安やよくない気分を持つこともまた、正直な気持ちだと感じました。私は、その気持ちを教えてもらえたことがうれしいです。

あなたは端的に状況を描写したり、思っていることを書いたりすることができるのだと感じます。あなたの目はきっと鋭いのだろうと思いました。その目で見た世界を、これからももっと書いて、いろんな人に教えてほしいと思いました。私もこの活動を続けながら、この世界を見て、感じながら、どうしたらすこしでも多くの人が生きやすくあれるのか、考えていこうと思います。

感想2

いろいろとお話を聞かせてくださって、ありがとうございます。
記憶を缶詰の中にしまったり、「もう1人の私」をつくることで、なんとか自分で自分を守りながら生き抜いてこられたのだろうなと思いました。

両親の喧嘩や父の暴力、母からの虐待などを経験したことによって、「私にはかけがえのない価値がある」「私は無条件に生きていていい存在だ」という感覚が育たないどころか、むしろ損なわれてきたのだろうと思いました。そうすると、(あまり自覚がなくても、)生きていたくないな、死にたいな、という感覚を持つようになっても不思議ではありません。

つらい過去の記憶がフラッシュバックしたり、それを制御したりすることは、一人ではとても難しいことだと思うので、とりあえず「もう1人の私」に半分くらい背負ってもらうことで、なんとか対処してきたのだろうかと思います。なので、「もう1人の私」は、じつは敵というよりも味方だったのかな?と思いました。それでも、敵だと感じてしまうのは、「もう1人の私」がとても「苦しい、つらい、殺したい、死んでほしい…」などと泣いたり叫んだりしていて、そのパワーが強くなってきて、「ほんとうに死んでしまうのではないか」と怖くなっているからなのかな?と想像しました。

今のあなたの死にたい気持ちや、親への殺意や、「もう1人の私」を恐れる気持ちなどは、かけがえのない大切な気持ちだと思うので、身近なところでもお話しできる人が見つかるといいな、と思いました。死にトリでも、これからも思いを聞かせてください。

お返事

感想有り難うございます。
自分の中の何かが、壊れているのか、また、修復可能なのか。
鬱ら鬱ら、考えて見ますが答えはきっと見えて来ない。
でも、きっと一生付き合っていかなければいけない過去と、自分なので。

自分からは誰も逃げることが出来ない。
きっと死んでも自分からは逃れられないと思うので。
少しでも自分と向き合って行こうとおもいます。