私のこれまでの話


宮城県・30代・女性


他の方の体験談を読んでいく中で私も全て吐き出したくなった。
「今」の私の問題と関係しているのかどうかも分からないけれど、とにかく心に引っかかる思い出を全てぶちまけてみたくなった。

はじめに言っておくと私はそんなに酷い生育環境だったとは思っていない。もっともっと大変な家庭を見てきたこともあり、私のことなんかとるに足らない経験だと思う。
ただ誰かに読んで欲しい、知って欲しい。誰にも話せなかった私の全てを知って欲しいと思った。


幼少期のキラキラした思い出は全て母方の実家で過ごした時期のものだ。
私はおばあちゃんっ子で祖父母の家に入り浸りだった。当時はただ祖父母が好きなだけだと思っていたが、今思えば、自分の家庭環境から逃げていたのだと思う。

父は記憶のある頃から今日まで(今は会ってないからよく分からないけれど)重度のアルコール中毒で浮気症で暴力的だった。
ダメな男の典型のような人だった。

母はダメ男な父が好きで好きで、子どもより夫を大切にする女だった。子どもの叱り方も愛し方も分からない、不器用な大人だった。もちろん父の事を追い続けるが為、子どもである私達は蔑ろにされていた。
私の「正式」な姉妹は2歳上の姉と4歳下の妹だ。細かいことは後に述べたいと思う。

家庭内で様々な問題が次々と起きて、姉も妹も正しくグレた。
姉は中学生のうちから彼氏の家に入り浸ったり、家出を繰り返したりしていた。
妹は中学になってから不登校になり中学校には殆ど通わなかった。
2人とも挫折を乗り越えて今は立派な大人になっている。今もグズグスしているのは私だけかもしれない。


私の心の奥底、一番最初に思う引っ掛かりは、父の暴力と母のネグレクトだ。
父は気に入らないとすぐにモノを投げる人だった。母に対しては首を絞めていることもあった。
ニヤニヤしていたかと思うと、スッと表情が消えて、目が据わる。
こうなると見境なく気に入らなければ暴力を振るった。

私も例に違わず暴力を振るわれた。その最たるものはウィスキーを飲んでいた父が投げたアイスピックが顔に当たった時のことだ。
茶の間で起きた事件だった。父は泣き喚く私を無視してテレビを見ていた。
私は当時5歳で状況なんて把握できておらず、ただ泣き喚き、ヌルヌルするものは自分の涙だと思っていた。
台所にいた母の元へ行ってはじめて事態が発覚した。母は顔を真っ青にして私に駆け寄り私の顔をタオルで拭った。はじめて私は額からダラダラと血が出ていることに気がつき…そのあとは手術室で額を縫われる時点まで記憶がない。
酷く自分が泣き喚き、騒いでいた記憶はある。手術の前後の記憶に父はいなかった。

この傷は今でも残っている。
化粧をする度に心がチクチクする思い出だ。


暴力以外にも父には大きな問題があった。
酷い浮気症であったのだ。
帰ってこない日が多く、下手したら1ヶ月くらい家を空けていた。
当然収入に困り、母は昼の正社員としての仕事に加えて夜にはレストランで働き出した。

10才、8才、4才の3姉妹は父も母もいない夜を幾日も過ごした。姉が妹を寝かしつける。
無邪気な妹は姉に問う。
お父さんは?ーお父さんは出張で帰ってこれないんだよ。
お母さんは?ーお母さんは皆でディズニーランドに行くためにレストランでお仕事をしているよ。
ディズニーランドなんて嘘だった。姉も私も行ったこともないのに、妹にディズニーランドがどれだけ素晴らしく楽しい所かを話して聞かせた。

父の浮気はたまに本気になった。私の知る限りでも他所に3人は父の子がいる。母には2度堕胎させた癖に、いや、これは母にも責任があるけれど…生命って不平等だと思う。
私は本当は何人兄弟なのか未だに知らない。

貧乏で恥ずかしい思いをしながらも、小学生の頃から明るい性格だったので友人には恵まれた。小学4年生までは馬鹿でかけ算もわり算もロクにできない程だったが、賢い友人に囲まれる中で勉強が好きになり…いつのまにか学年でも上位に入る成績となった。
中学生になっても勉強も上々、人間関係も上々で私は「普通」を装うことができた。


ところがまたもや父のせいで「普通」から「苦労人」に転落してしまう。
中2になる直前の春休み中のある夜の出来事だった。
父がいつものごとく酔っ払い廊下で母に暴力を振るい、言い合いになっていた。私と姉は「いつものこと。首を突っ込めばこちらが酷い目に合う」と無視を決め込んでいた。
しかし小学生の妹は父と母の間に入ってなんとか父の暴力を止めようとしていた。

嫌に静かになったな、なんて思っていたら妹が泣きながら部屋に入ってきた。
何事かと思い行ってみたら、母が血だらけで倒れていた。
側に幽霊みたいにボーっと立っている父は血の気が引いて青くなっていた。
妹のめちゃくちゃな話をまとめると、父が母を突き飛ばし、母がドアを突き破り倒れた先が掃除道具を置く土間だったのだ。5段くらいの階段を落下した母は呻くだけだった。父は心ここにあらず、妹は泣きじゃくり姉はそれを震えながら宥める。

急にスイッチが入ったように私は母に駆け寄った。意識はある。怪我は…かなりの出血だが足部のようだった。タオルを急いで持ってきて圧迫止血した。テレビの見様見真似だったがそれしかできなかった。母は「痛い」「助けて」を延々繰り返す。
これではダメだと気付き、救急車を呼んだ。
全てはじめてだったのによくもこんなに動けたものだと今になって思う。

救急車を待っている間、妹のサイレンのような泣き声と止血のため抑えている母の足から波打つようにドクンドクンと血が溢れてくるあの感覚が…今でも忘れられない。救急車にも私が同乗し、状況の説明や、親族への連絡などもした。

母の両足首は粉砕骨折してしまっていた。
ここから長い母の入院が始まった。
母の足首の骨がコナゴナになってしまった為、腰の骨を一部取り、足首に移植するという大がかりな手術が必要となり…結局合わせて1年半程、母は入院した。

母の入院中、家庭環境は最悪だった。
反抗期の姉と父がぶつかり、姉は家出を繰り返した。
そうなると家事の一切は私の仕事となった。炊事、洗濯、掃除…。
父は何故だか家に無駄に居てテレビを見て酒を飲んでいる中、台所で食器洗いと米とぎをしている時間が一番惨めに感じた。
何度も何度も泣きながら家事をした。

母が退院してきてから少しの間、我が家に束の間の平穏が訪れた。父は母にしたことを反省したとかなんとかで、家にいることが多くなり暴力も…まぁまぁ減っていた。

でもそんなのはやっぱり続かなく、私が高1の頃、ついに父は家を出た。
浮気が本気になり、子どもまで作って愛人の家で暮らすようになった。
私たちはこれだけボロボロにされた挙句、ポイっと簡単に捨てられてしまった。

この頃になって私は父を憎むようになった。
それまで「憎い」なんて思わなかったのに、捨てられた瞬間から今までの全てのことが許せなくなった。
幸い勉強が嫌いじゃなかったので、勉強を頑張って良い大学を出て、キチンと就職して、父に「ざまぁみろ」と言ってやる…こんな野望を持つようになった。
物事はトントンと上手く進み、父が行けなかったランクの高い大学に入学した。


せっかく良い流れが続いていたのに、人生甘くはないもので、大学時代にあの震災に遭った。
あの日、私は風邪をひいて自宅にいた。
母は仕事、姉は結婚していて、父はとうに家を出ていたから…その日は私と妹だけが家にいた。
ものすごい地鳴り、いつまでも止まらない揺れ…私はハッキリと死を感じた。
妹の手を引っ張り家から外へ出た。パジャマ姿で携帯も財布も持っていなかったが、そんなことどうでもよかった。
外に出たら電柱がグラングラン揺れ、地面はひび割れ、マンホールからは水が噴き出していた。
この世の終わりだと思った。

当時、近くに住んでいた父方の祖母から「チリ地震」の時の津波について聞いていた。海のすぐ側に住んでいたので、ここが危ないことくらいすぐに分かった。パニックに陥り家に戻ろうとする妹を引き摺り、内陸の高台にある学校を目指した。
1分1秒も無駄にできない、けれど慎重に。
車通りの少ない道を、倒れてくるものの少ない道を。

道すがら臨月を迎えた姉と出会えた。
姉は泣きじゃくり通しだったので勿論放っておけず一緒に避難することとなった。

結果から言うと、私の家族はみんな無事だった。母も姉妹も親族にいたるまで命があっただけ本当に奇跡みたいなものだと思った。
ただ、私の家も、父方の実家も、母方の実家も全壊し住む場所を失った。

この後、私たちは避難所生活をすることとなり、人間の嫌な部分を目の当たりにしたり、ショッキングなことが立て続けにあったのだがそのことについては私の気持ちがついていけないので割愛する。
大切な人を失った。友人を失った。
これだけはなんとか絞り出せるが、詳しくは書く勇気がない。いつか落ち着いて振り返ることができるようになれば良いと思う。


震災の後、私は教員になった。
教員だった頃は毎日が忙しくて忙しくてしょうがなかったけれども充実していた。

ただ少し気になることがずっとあった。
それは不登校児の対応だった。
不登校児の家庭は大体が問題を抱えていて、自分の幼少期と重なり放って置けなかった。
初任1年目は多忙過ぎて手が回らなかったが、2年目からは不登校児の対応に心を配るようになった。今思えば甘かった。自分が乗り越えられたことを基準に考えていたような気もする。
不登校児が登校すれば自分のことのように喜び、また欠席が続けば、自分の力不足だったのでは?と自分を責めた。不登校児が学校に通いやすくなるアイディアはたくさんあったが、ある時、言われた。
「その方法はあなたが転任したあとでもできる方法ですか?」と。
私は自分のできうること全部を使ってでも、という強い思いがあったけれど、冷静に考えれば「私」にしかできない。
ただでも多忙を極める教員の仕事を私はわざわざ増やしていたのだ。

教員3年目で私はついにダメになってしまった。
身体が動かなくなり、何も食べたくなくなり、死にたいと思うようになった。
迷惑をかけていることを分かっていながら毎日毎日、欠勤の連絡。
ついには職場から医療機関にキチンと行くように促された。結果は「うつ病」。休職したり、復職したり、最終的には退職した。


その後も一般企業に勤めたが、どこかのタイミングでうつが再発し、結局辞めてしまうのだった。

そのタイミングは分かっている。
キーワードは「報われない努力」。
必要以上にベストを求めてしまう。なまじ仕事を覚えるのだけは早いから昇進する。
すると出来ることが増えて色んなことに手を出しておいて、出来なくなってはじめて「出来ない自分」に失望する。
なんとかかんとか頑張ろうとすればするほど、拗れて上手くいかなくなり…うつが悪化する。
このループを何度も何度も繰り返してきた。

うつは治らない。
正しく言えば、考え方や思考の癖が矯正されない限り治らない。
今の私は悪くない状態…だと思う。
けれどいつ転ぶか分からない。

今は仕事をしていないけれど、次こそはうまく適度に力を抜いて(?)勤められるのだろうか?
分からない。

ひとつだけ悲しいことがあるとしたら、私は父を見返すどころか社会のお荷物になってしまっているということ。
父はあんなクズなくせに会社では上手く行って良いポストにいる。

私はこんなにこんなに頑張ってきたのに、ゴミクズみたいに生きている。

こんなふうになりたくなかった。
心身ともに健康でいたかった。
愛されたかった。大切にされたかった。

私の唯一の良い所、それは「死」を恐れていること。どれだけ死にたくなって消えたくなっても、死の絶対的な恐怖には勝てない。

死なない限り、いつか、もしかしたら報われる日が来るかもしれない。
そんな叶いそうにない望みに縋りながら生きている。
私の話はこれでおしまい。乱文、長文、失礼しました。

感想1

経験談読ませて頂きました。あなたの経験を知らせて下さりありがとうございます。

私は、あなたが沢山の想いや気持ちを抱えてきたのだろうと想像しました。

あなた自身の能力値の高さや姉妹や母方の祖父母の家の存在、外での人とのつながりなどがあって、家庭内での逆境に屈せずにこれたのかなと思い、また、それらの強みがあったとしても、父を中心とした家庭内での問題(出来事)を考えると、沢山の想いや気持ちを抑え我慢してきたのではないかなと想像しました。もしかしたら、家庭内の出来事やそれに伴う自分の気持ちなどを外では周りに知られないようにしていたことも「普通を装う」内に含まれていたのかなとも想像してしまいました。

そう考えると、家庭や震災とその後の経験、ずっと周りの人からはわからない「我慢と努力」を子どもの頃から、し続けてきたのかもしれないなと思いました。

そして、エネルギーが切れるまでフルスロットルで仕事に臨む姿から、自分の限界ラインを感じにくいのかもと感じ、「愛されたかった」「大切にされたかった」気持ちの裏返しとしての「愛されなかった」「大切にされなかった」経験が何かしら影響しているのかもしれないなと思いました。

最後に、あなたが他の方の経験談を読んで、抱えてきたものを吐き出したいと思ったように、あなたの経験談を読んで、自分も吐き出してみようと思える誰かがいると思います。

経験談を書いて下さりありがとうございました。

感想2

経験談であなたの「これまでの話」を聞かせていただき、ありがとうございます。

複雑な問題が絡まる家庭環境で子ども時代を過ごし、多くのものを犠牲にしてきたことが読み取れました。それでいながら、家族や不登校の児童など、周りの人のことは「放っておけない」気持ちが強かったのだなと思いました。

また、複雑な家庭の問題を、そこに登場する個々人の問題として分解して捉えられているような印象を持ちました。問題を分解することは、自分のことも相手のことも、一人の人間として尊重することに繋がるので、すてきな考え方だなと思います。きっと、「私は(親とは違って)自立したいし、自立していいはずの存在だ」というふうに考えているのではないでしょうか。(もし違っていたら教えてほしいです)

そんな考え方を持つあなたと、自立の意味や、人が自立して生きていくのに必要なものを一緒に考えてみたくなりました。

そして、3人の姉妹では、家庭の問題から逃げようとする方法が違ったのではないかと思いました。ただ、あなたの場合は家族を「放っておけない」気持ちも影響して、無責任な親の責任を代わりに請け負う行動をとらざるを得ず、我慢することが多かったのだろうと思えます。

そうしたなかでも、学校では勉強のしやすい環境や友人関係に恵まれたことで、この世間で「普通」とされるように勉強や就職をしようとすることが、逃げ道になっていたのではないでしょうか。

一方で、大切にされたい、愛されたい気持ちを満たすような経験を十分に得られることはなく、満たされないままの心が「放っておかれて」きたのかなと思いました。

父親が出ていったことをきっかけに、それまでぎゅっと抑え込まれていた感情が溢れ出てきたのだろうと思います。しかし、当時は憎しみなどの感情のやり場がなかったことで、処理されなかった感情が、「見返してやる」という復讐心に刷り替えられてしまったのだろうと推測します。そうなると、勉強や仕事は父親を見返すための手段になってしまい、どこまで真面目に取り組んでもなかなか自分の承認欲求を満たすことには結びつかなくなりそうです。そのため、「もっと頑張る」ことによって承認欲求を埋め合わせようとして、仕事で必要以上のことに手を出して燃え尽きてしまうのかもしれないと考えました。

また、あなたはもともと人と関わることが好きな方なのだろうと思いました。一方で、これまで家庭というコミュニティで、その歪みの犠牲になってきたことで、それ以外のコミュニティや社会に対しても不信感や抵抗感を持っていてもおかしくないなと推測します。

コミュニティや社会をうまく頼るのが難しいと、ますます自分一人で何とかしようとして、自分の責任を増やそうとしたり、それが果たせないと自分には価値がないと感じたりするループに陥っても不思議ではありません。

いつか報われる日…というよりは、あなた自身の心が放っておかれたままにならないように、その時々の感情を素直に感じ取って、誰かと共有したり、一緒に向き合って整理したり、折り合いをつけたりしながら、生きられる日が来るといいのかな、と私は思いました。

お返事

感想をいただきありがとうございます。
読んでいく中で、涙が溢れてきました。
分かってくださる方がいてくれた、自分でも気付いてなかったことを汲んでくださった…嬉しいような苦しいようなそんな気持ちです。

【感想1様へ】
拙い文章を読んでくださりありがとうございます。
『家庭内の出来事やそれに伴う自分の気持ちなどを外では周りに知られないようにしていたことも「普通を装う」内に含まれていた』
その通りだった、と思い返していました。
友人にも家庭の話は極力せず、話す時は嘘に塗れて普通の家族らしい不満を言い合ったりしていました。
額の傷は幼い頃に転んだケガとなり、母の怪我は階段からの落下ということになっています。
恥ずかしいのです。普通を装わなければ惨めでしょうがなくて、周りが羨ましくてそんな風に生きてきてしまって…嘘が上手な大人になってしまいました。

我慢と努力も無意識に身につけてしまったように思います。常に何かと比べてこれくらいのこと我慢しなきゃ、と言い聞かせていました。

特に妹の存在は少し特別で、妹が生まれた頃からより貧しくなり、父も酷くなっていたので…家庭内のことは(妹の名)より私はお姉ちゃんなんだからしっかりしなくちゃ!とずっと思っていました。

自分語りは敬遠されがちだと思いますが、「今の辛さ」とは異なる、けれど今の自分を作ってきた土台だと思っています。
「これまでの辛さ」も批判や嘲笑に晒されずに受け止められる場所があると良いな、なんて思いました。
私の経験談で「今の辛さ」だけでなく「これまでの辛さ」を吐き出すハードルが下がればいいなと思います。
ありがとうございました。

【感想2様へ】
細かく読み取って汲んでくださりありがとうございます。
『きっと、「私は(親とは違って)自立したいし、自立していいはずの存在だ」というふうに考えている』
ずばり、でした。自立したいし、自立していいはず…ずっとずっと心の奥底で思っていました。それができない自分への苛立ち、周りへの不満を抱えて生きてきました。
1人の人間としての自立とは?どうしたら自立できるのか?
過去のマイナスを引きずるだけでなく、これからどうするか、どうしたいか、よく考えたいと思いました。

感想2さんの文章からは「なぜこんなに私のことが分かるのだろう?」と思うくらい私の考え方や気持ち、意志が通じていて、内心驚いています。

『無責任な親の責任を代わりに請け負う行動をとらざるを得ず』なんで私ばっかり…と思いつつ我慢をしていました。
逃げ道を姉は外に求め、妹は殻に籠ることでそれぞれ自分を守っていたのだと思います。私は「普通」を装うことで、ソレが負担になりつつも心の安定に繋がっていました。

自分でも私は承認欲求が強い方だと自覚しています。その強い承認欲求がなんで満たされないのか?感想2を読ませていただいたなかで、とてもしっくりきました。父親を見返すというゴールが曖昧なものへの手段として来たから、「努力すること」「頑張ること」の歯止めがきかず燃え尽きる。しかも人と関わることが好きなのに、上手く他人を頼れず、結局ボロボロになる…そんなことを繰り返してきました。

『自分一人で何とかしようとして、自分の責任を増やそうとしたり、それが果たせないと自分には価値がないと感じたりするループに陥る』
何度も何度も経験したループです。

仕事を増やし責任も増やし…できない自分が許せなく、できない自分役に立たない自分は無価値だと思ってしまうのです。

主治医からも何度も口酸っぱく「何事もほどほどに」と言われるのですがうまく調節できないのです。やってる時にはできることだと過信し、全く辛く感じず自覚できる兆候が見つけにくく…苦しいのです。

最後の一文がとてもあたたかく心に響きました。
素直に、ため込まず、整理して、自分の気持ちに折り合いをつけていく。
今の私にとても大切な生きていくヒントのように感じました。
ありがとうございました。