無能の果てに


東京都40歳男性



『Tくんは優しいけど物事勝手に決めて自分勝手だ死ね』
 この言葉はいつも心に突き刺さっている。自分勝手だ死ね、自分勝手だ死ね、自分勝手だ死ね。真実なのだろうと思った。ワガママだしペシミストだし心配性不安ばかり、な自分がどうして生きていて良いだろう。

 胎児期から全然動かない子だったと母が言っていた。けれど衝動性は有って、走る車に向けて駆け出して、母は慌てて止めたそうだ。

 けれど、運動はからきし駄目だった。手先も不器用で、一人だけ居残りをさせられた。絵の模写をしようとして、馬鹿にされた。先生も一緒に笑った。女の子から辛く当られ、かと言え男の子からも使えないと烙印を押された。中学受験をして男子中高一貫校に入っても友はほとんど出来なかった。

 何度も自殺をしようと思った。首吊り、飛び降り、服毒・・・。けれど恐怖に震え駄目だった。10代でどちらもハードルが高かった。出来うるのは飛び降りだが、周りに迷惑をかけないで飛び降りをするのは難しいなぁと思った。マンションはどこもセキュリティが張っており、容易に上れそうに無かった。どうやって自殺しようか・・・と考えている内に、今の自分には無理だと結論に至った。度胸が無かったのだ。今もはっきり言って無い。一線を越えるには、僕の今の境遇を捨てるしか無いが、やはり良くない事だと決断したのだ。

 けれど生き辛さを緩和する術を持たぬまま、大学を卒業し、就職した。けれど5か月で解雇された。23歳になる直前で、約20年前になる。そこから現職に就くまでの5年半は色々な事が起き、自殺の事を考える暇が無かった。けれど無能である事は変わりなかった。別の事に気がそれている時は良いけれど、ふと気がつくと自分の無能さに絶望してしまう。


 まず新聞が読めなくなった。中高の頃は学校で夢中になって読んでいた頃もあった。けれど今は、世の中の悪い事ばかりに目が行き、たまに凄い事、良い事が有っても、自分の駄目さが際立つような思いを持つようになった。世の中の情報全てが自分を襲っているような気がした。何も楽しめなくなった。仕事にも支障が出るようになった。早くお迎えが来ないか毎日考えている。そんな自分が一番嫌いで、やはり幼少期の適切な教育の不足に目が行ってしまう。家でも学校でも叱られてばかり。それが自分の無能さから来ている事は幼い心にも分かっていた。だから、級友は我をからかったりした。そして我もそれを当たり前のように受容した。自分は生きていてはいけない。そんな思いを日々熟成した。


 やはり自分は病気なのでは?障害者なのではと、大学を卒業後考えるようになり、心療内科を受診し、精神障害者手帳を取得した。障害者雇用で仕事を始めて10数年。特例子会社なので、周りは障害者が多いのだが、みなレベルが高い。知的障害者の方がよっぽどパソコンを使いこなしている。仕事の飲み込みも早い。気配りも出来る。親切。自分は歳と在籍年数ばかり重ね、ここにいて良いのかと考えるようになった。毎年親会社向けに成果発表会なるモノもやり、そのプレゼンテーションは眼を見張るモノであった。自分は何もできていない・・・。職場も家庭も学校も自分の無能さを突きつけた。どこにも居場所は無かった。だから人間関係もギクシャクしていた。


 作業所に3年程在籍したが、自分はとにかく友達が欲しかった。同じ障害があるなら分かり合えるのでは無いかと、誰彼構わず話しかけた。そんな自分の姿を見て一言『T君恋愛体質だよね!』と大きな声で言われた。自分は何も言えなかった。その通りだと思った。自分はゲイに近いバイだが、イケメンとすれ違うとカッコいいなぁと思って見とれてしまう。異性より同性に惹かれるモノが有った。その点でも、自分は欠けているモノが有ると考えていた。異性と付き合った時期もあったが、うまくいかなかった。

 自分の欲情も嫌悪していたので、同性同士の猥談にもついていけなかった。恋人の話をされる度に耳を塞いだ。なのに、音楽はユーミンを聴いているという矛盾に、自分は引き裂かれる思いだった。女は怖いと子供の頃に感じていたのに、何故ユーミンばかり聴いてしまうという相反する思いに悩んだ。


 ティーンネージャーの頃のキラキラした青春とはまるで違っていた。いつも一人でボーっとしていた。勉強していると思ったら居眠りをしていた。時ばかり浪費し、通過儀礼というモノをまるでやってはいなかった。若い頃、出来れば小学生の頃迄の大人の働きかけが、その後の人生に大きな影響を与えると思う。無いモノねだりかも知れないが、自分は子供の頃の人間関係に不満を感じている。もっと自分を導いて欲しかった。当時知られていなかった、発達性協調運動障害(DCD)を見抜き、きちんと療育して欲しかった。ただ反復練習を強要され、出来ないと叱られ、自尊心は傷つけられ、自己肯定感のカケラも無かった。


 そんな自分が40年も生きているなんて、まるで奇跡のようだ。このようなハンデを背負って生きる事は宿命なのかも知れない。スピリチュアル的に考えると、それがどうした?と開き直れれば、良い方向に行くらしい。しかし、自分にはとてもじゃないけど無理だ。自己を肯定した事が無い訳ではないが、それで人生が変わった訳ではない。2011年3月6日(日)。人生最高のカタルシスが訪れた。嫌いだった自分の名前を好きになったのだ。そしてそれは、先祖の崇拝に繋がった。しかしそれだけだった。


 あの時昇天していれば・・・、と今でも思う。終わり良ければ全て良しというけれど、今のままではそのようにはならない。カタルシスから約10年が経つけれど、名前が好きになっても、それで生き辛さが緩和した訳ではない。無能である事は変わりないし、周りに迷惑をかけている事も確かだ。歳をとるにつれ、出来ていたわずかな事も出来なくなる。両親の介護もしなければならない。仕事もレベルを上げないと雇ってはもらえなくなる。どんどん生き辛さは増していく。

 自分勝手な自分は死に値すると彼女は言い、それを真実だと思う自分がいる。生まれるべきでなかったと常に思うけれど、自殺はできないだろう。救い難い程臆病者だからだ。

 でも生きる事は苦しい。無能の塊であるから尚更だ。それで人生100年時代と言われれば、どこかで人生を投げ出したくもなる。

 いつまで生きるか。どう死ぬか。分からないけれど、認知症になる前には死んでしまいたい。誰も自分のことで精一杯だろう。自然な心身の消滅を望む。それは贅沢な望みだろうか。無能な自分は無能な死に方、非常に無様で救い無い死に方をするのであろうか・・・。

感想1

経験談読ませて頂きました。

私には、身体が思う様に動かないなど苦手なことがあって、自分が無能だと思い(思わされ)続けてきたことが伝わってきました。「自分勝手」な部分には、衝動性などから他者に相談等する前に決めてしまう・行動してしまう等、他者との協調にも苦手があるのかもしれないなと想像しました。同時に、友達が欲しくて誰彼構わず話しかけることが出来たり、長年同じ職場で働き続けていたり、「優しい」とも他者から表現されているので、どんなところが他者に優しく映るのかなど、あなたの強みもあって生きてこられたのではないかなとも思いました。

それと、私は、あなたにいつも突き刺さっているという最初のセリフが気になりました。それは「優しいけど」とあなたのプラスの面を表現しているのに、最後が「死ね」と強い言葉となっていることにギャップを感じたからだと思います。私は、人が他者に攻撃する場合には、相手の良いところなど口にせずに嫌な点だけを並べて攻撃することが多いように考えていて、また、最初に良いところを表現する場合には、相手の課題を指摘し攻撃まではいかない方がしっくりきてしまいます。なので、口頭で言われたのだとしたら、「自分勝手だ!死ね!」と攻撃されたのか、「自分勝手だしね…」と残念なところがあると指摘されたのか、どちらだったのだろうと考えてしましました。どちらにしても、「自分勝手」であることを言われていて、攻撃なのか指摘なのかの違いなのですが、心に突き刺さっていると表現されていたので、重要なことなのだろうと思い、私が勝手に色々な可能性を考えたくなってしまったのだと思います。

感想2

 読んでみた印象でしかありませんが、発達に何らかの特性があり、それゆえの不器用さがあるのでしょうか(あくまで私の印象です)。その不器用さに周囲の人がネガティブなリアクションをしたことで、自分自身を無能だと感じたり、自己肯定感が傷ついたりしたのだろうかと推測しました。あなたのいうように、発達性協調運動障害その他の特性について、もっと社会としての理解があれば、適切な教育や理解を受けられたかもしません。障害としてでなくても、人それぞれの得意不得意な寛容な社会であれば、もっと生きやすくなるのにと個人的には思います。どんな苦手さがあっても、周りの人がそれに寛容であれば、必要以上に自分のことを責めることはなくなるのではないでしょうか。もっとも、障害については今も理解があるとはいえず、苦しんでいる人は多いのが悲しい現状です。

 障害の有無もそうですが、仕事のできる・できない、セクシャリティなど能力やステータスという社会的な評価に敏感になっているのかなと私は感じました。そのことは、あなた自身の問題ではなく、そのような社会的評価や価値観の押し付けによって生きづらさを感じさせる社会の問題だと個人的には考えています。良い悪い、~らしいというような価値観がない方が、もっと自由に生きられるように思います。もしよければ、あなたがどんな社会だと生きやすいか、教えてほしいです。

お返事

どんな社会だと生きやすいか。自分の障害が個性として役に立つ社会だといいなぁと思います。趣味は七五調の詩書きですが、約12年で2000篇を書きました。ほとんど未発表です。表に出す勇気が無いのです。いつかこれらを素材に自分史を書くのが夢ですが・・・。