心の傷、終わりの無い絶望

神奈川県/22歳/男性 


姉からの虐待、いじめ、部活、性的指向、就活。そして長きにわたる労働、老後。

私の人生には、過去にも現在にも未来にも果てしない地獄が続いています。

私が産まれたのは出産予定日より2か月ほど前でした。1000gに満たない早産児として生まれた私の片目は失明し、運動機能も周囲よりだいぶ劣っていました。目立った脳機能障害や知的障害がないことが奇跡的だったと言われます。

それとは関係なしに、3歳上の姉はただ「弟が存在する」という理由だけで私をよほど嫌ったのだと思われます。まだ幼い頃から親の目を盗んで幾度となく私を殴り、蹴りました。

姉は私の勉強机に、親に内緒で食べたお菓子の袋等を忍ばせるようになりました。それが見つかるたび、父親は私を殴りました。親は、何度殴られても(100回はあったと思います)お菓子のゴミを机に入れる私をおかしいとは思わなかったようです。

当然かもしれません。私は嘘の自白をして、自ら進んで殴られていました。「自分はやっていない」「姉がやった」などと言えば、姉が親のいない時に父の数倍ほど一切手加減せず殴り蹴ったからです。扱いやすい子供だったと言われますが、誰かに怒られるようなことは1つもしなかった自分は、これ以外にも何度も何度も嘘の自白を行い、父に殴られていました。親も頼れず、他に信頼できる大人もいない自分は暴力に耐えながら泣くしかありませんでした。

姉の言うとおりにしていても、姉の暴力は止みませんでした。小学2年になった頃、母がパートタイムで働きに出るようになりました。家に帰れば姉がいます。私は皮膚がずる剥けになり血が出るまで殴られ蹴られ、唾や暴言を吐かれ続けました。出血箇所は足の甲などの目立たない場所でしたが、さすがに親もその傷はどうしたのかと私に尋ねました。

そのたびに私は「転んで擦りむいただけ」と答えました。家の中に潜む報復が恐ろしく、とても真実は言えませんでした。「告げ口」をしようものなら、また親がいないところで血が出るまで暴力を振るわれました。

痛かった。怖かった。苦しかった。今、書きながら姉と2人で家にいるときのことを思い出すだけでも心の底から苦しくなります。あの恐怖と痛みの記憶、絶望感は一生残り続けるでしょう。

私は姉と2人で家にいられなくなりました。母が仕事の日は毎日、家に到着してから母が帰ってくるまでの2~3時間、私は他の家から見えないところで1人外に座り母の帰りを待つ生活を続けました。学校に残るという選択肢はありませんでした。


姉の暴力はさらに悪化します。姉は6年生になり、登校班で先頭になりました。登校中の45分間、毎日登校班の先頭で姉はひたすら私を殴り、罵声を浴びせ続けました。後ろに並ぶ近所の子供たちが、通りがかる大人が、私のことを見ていました。声を上げたら余計に注目されてしまう…私は声を殺して近所の子供に見られながら殴られ続けました。毎朝学校に着くと顔は涙でぐちゃぐちゃ、頭はこぶだらけでした。近所のご家庭で話題になっていたかもしれません。

そんな環境で暗い性格になったのでしょう。運動神経が非常に悪いこともあり、女子からは「キモい」、男子からは「オカマ」と言われるようになりました。嬉しいことにそれでも数人たまに遊ぶような友人ができましたが、彼らにも全く姉のことは打ち明けませんでした。今思い返してもよく誰にも言わなかったなと、当時の自分の口の固さに驚かされます。きっと言いたくても言えなかったのだと思います。

姉と別居でもしない限り、絶対に解決しないと分かっていました。「姉と離れて暮らしたい」と親に言いたかったことを、今でもはっきり覚えています。親に話す→親が姉を問い詰める→姉から報復を受けるという構図は何十回も繰り返されており、私は別居のことを口に出すこともできませんでした。


話は中学に移ります。吹奏楽部に入部しましたが、男子だったこともあってか同じ楽器の先輩たちから強烈な仲間外れを受けました。他の楽器の先輩から心配されるほどでしたが、退部すれば部員全員から疎外され、顧問の音楽教師から成績を操作すると脅されたため辞めるわけにもいかず、自分の力ではどうすることもできませんでした。

3年生になると、後輩からも無視されるようになりました。原因は分かりませんが、何か私に問題があったのかもしれません(とはいえ、高校以降は嘘のようにそういったトラブルが起こらなくなりました)。

結局最後まで辛いまま、部活を終えました。

中学3年生の時は特定のクラスメイトからも暴力によるいじめを受けていました。クラスメイトの前で顔面を殴られる日々でした。姉の暴行もこの頃まで続いており、私にとって15歳は地獄の時期でした。


高校では非常に穏やかな生活を送ることができました。
その頃、小学生の頃から自覚していたことを強く確信しました。私は同性愛者でした。
高校2年生に、性格も容姿もとても魅力的なクラスメイトがいましたが、彼の存在は身近でありながら決して近づくことすら許されないということを実感しました。なるべくそのことは考えないようにしていました。


さて、私の母は近所の人や父の親類から白い目で見られていました。金髪で軽犯罪を繰り返し、容姿もヤンキーのような姉について咎められていたためです。私は元々勉強だけは得意でしたが、親の尊厳や名誉を保つため(=姉のような人間が一家に存在するのは親の育て方ではなく、姉本人の問題が原因であることを証明するため)にレベルの高い大学に進学しようと考えました。この頃から進路について思いを巡らせることが増えましたが、将来の夢や好きなことはどれだけ考えても浮かんできませんでした。

勉強の甲斐あって「私学の雄」と呼ばれるW大学に進学しました。大学1年生の夏休み中、友人からLINEで数枚の写真を受信しました。好きな男の子の写真でした。友人たちと楽しそうに笑う彼の写真が引き金となり、ずっと抑えていた感情が噴き出してきました。

この先の人生、どう転んでも幸せにはなれない。友人…いや、家族にすら重大な秘密を隠し続ける人生。大学を卒業し社会人になった後、自分は孤独をどうやって乗り越えるんだろう。何のために生き続けていくんだろう。どこまでも続く人生。「苦しくても生き続けろ」と言われ、やめることの許されない生。自分にとって人生の大半は苦しみでした。

「死ぬには今しかない」。社会人になれば簡単には死ねなくなると直感した私は、大学1年の秋から冬にかけていくつかの方法で死のうとしました。残念ながら計画は親に露呈してしまい、失敗に終わってしまいました。本気で凍死をしようと北海道にも一人で訪れたのですが、駄目でした。海外にまで行く発想がなかったのが、私の意志の弱さを表していたのかもしれません。

将来への絶望と無気力感を抱えながら大学生活を過ごし、就活を迎えました。公務員志望だったのですが、1.3倍ほどの低倍率だった地元の面接でも不合格となりました。

人口減少・少子高齢社会・経済停滞・財政の限界・政治の腐敗・広まる格差…この国の未来にも、自分の人生にも絶望している自分にとっては、あまりにも場違いな場所だったのかもしれません。なんだか地元もあまり好きではない気がしてきました。よく考えてみれば、そもそも就業意欲が湧きません。

就職活動の間、「頑張ってきたこと」「あなたの長所」を幾度となく考えました。どうにも浮かびません。
無理やり挙げるなら、姉をはじめとした困難があっても歪むことなく、真面目で礼儀正しい人間であろうとしたというくらいです。他者に攻撃的にはなったこともなく、いつも思いやりや優しさを忘れず、昔の姿からは想像もつかないほど社交的になったと言われます。

しかし就活ではそのことを「当然のこと」として評価されないばかりか、そもそも後ろ暗い過去を話すこともできません。目立ったアピールポイントもなく、やりたいこともなく、心の若さも活力もない「適当に怠けて生きてきた、勉強だけできる人間」にしか見られないのです。

現在、民間企業に就職し数か月が経ちます。正直に申し上げて、この生活があと50年は続くと考えると気が滅入ります。自分が何をすれば楽しいのか、幸せなのかが分かりません。こんなに生きるのを終えたくても、周囲からは「生きていれば良いことがある」「その歳で死にたいなんておかしい」と言われます。ずっと孤独です。

「やっぱり死にたくない」なんて思う日はありません。早く死にたいです。私には自分の人生に希望を見出す元気が残っていません。できることなら今すぐにでも死にたい。

大学時代、いわゆる出会い系アプリで60人を超える男性たちと会ってきましたが、日常生活で一切の関わりがない人と恋仲以上に発展することがとても難しいことを痛感しました。
同性愛者である以上、死ぬまで独身である可能性は低くありません。パートナーができても日陰者であることには変わりないでしょう。今すぐに死にたいのに、老後に孤独死したくないと心配しているのは自分でも滑稽に思えます。しかし、それゆえに一刻も早く生きるのを終わらせたいのです。

誰もが「苦しくても生きなさい、生きていれば良いことがある」と言いますが、私にとって死は苦しみからの解放に思えます。生きるために働き、働くために1人で生き続けた先に何が待っているのか。今よりも深刻な孤独と絶望でしょうか。

感想1

経験談への投稿ありがとうございます。タイトルと文章を読んで、こえサーチで「死にたい」と「将来の不安」が強く関係していると回答してくれた方が多かったのを思い出しました(https://shinitori.net/docs/?p=668)。その回答結果が出たことを強く納得することのできる経験談だなと感じました。よく「生きていればいいことがある」と声をかけている人がいますが、これまでボロボロに傷つけられた人が「いいことがある」と思うことってかなり厳しいだろうと推測します。むしろ「生きていれば悪いことしかない」と思う方が自然ではないでしょうか。「生きていればいいことがある」と簡単に思える人と、思えない自分との間に、隔たりを感じてもおかしくないだろうなと思います。それは人生に絶望するには十分な理由になりそうです。

 お姉さんのみに暴力をふるわれていたのかと思いきや、読み進めるにつれて、あなたに暴力をふるう人がどんどん増えていきました。暴力はあってはならないし、どんな理由でも認められませんが、あなたの人生には暴力が当たり前のように存在しています。そのため、あなたにとってはそういった言葉がひどく欺瞞に満ちて聞こえるのではないでしょうか。そうなれば、人を信じることも、未来を信じることも非常に難しくなるだろうと推察します。

 あなたは家でも学校でも、なぜかスケープゴートとされてきた面がありそうだと思いました(傷つけてしまったらすみません)。スケープゴートとは、ある集団に属する人がその集団の正当性と力を維持するために、特定の人を悪者に仕立てあげて攻撃する現象とされています。それには、その集団や人が見て見ぬふりをしたいような「影」を特定の人になすりつけ、肩代わりさせるようなはたらきがあるといいます。もしそうだとすると、暴力をふるってきた人の背景にある、絶望を生む社会の構造が根本的な原因なのかなと私は考えます(だからといって暴力は正当化されませんが)。

 もしよかったら、感想を読んでみてどう感じたか、教えてほしいです。

感想2

人生を果てしない地獄だと思わせるような世界をつくってしまって、この世界で生きる一人の人間として申し訳なく思います。

父や姉からの容赦ない暴行について読み、当時の限りない苦痛や絶望感が臨場感を持って伝わってくるようでした。父が暴力を当たり前のように振るう存在だったことで、姉も暴力はしていいものだと誤った認識をしてしまったのだろうかと思いました。身体的な苦痛はもちろんですが、苦痛を被っているのに真実を話すことさえ許されないことが、さらなる絶望に繋がったのだろうと想像します。

登校中の姉からの暴力を目にする大人もいたのに、なぜ助けてくれなかったのだろうかと疑問に思います。母が帰宅するまでの時間を安心して過ごせるような場所が近くにあれば、家以外に泊まれるような場所があれば、もう少し安心安全の感覚を持てたのだろうかと考えました。

真実を言えない環境で育ったことで、姉に暴力を受けていることを友人に話すことや、別居したいという希望を伝えることができなかったのも想像に難くありません。

また、「親の尊厳や名誉」を守ることを強いられてきたのだろうと思いました。私は子どもが「親の尊厳や名誉」を守る必要は全くないと思いますが、そうしなければいけない圧力をかけられてきたとしたら、逆らうのが難しかったことも想像できます。本来なら、何の条件もなく尊厳や名誉を最大限に守られるべきなのは、この社会の全ての個人であると、私は思います。

同性愛者であることを秘密にする必要はないと思いますが、これまで多くの真実を語れず「秘密」にしなければならなかったこともあり、性的志向について「秘密」にするしかなかったのかなと考えました。

周囲の人との関係では、自分の感じ方や感情を隠さなければならなくても、「死のうとする」という行動なら、ある意味自分だけでできてしまいます。なので、「秘密を抱えながら人と関わり続けなければいけない」という当時の状況から解放されるために、死を求めた側面もあったのだろうかと考えました。これまでの経験から抱えているものを考慮すると、死ぬことで生きる重圧から解放されようとするのも無理はないことだったと思います。

繰り返される暴力やいじめを精一杯生き抜いてこられたと思うので、現時点では、やりたい仕事など思いつかないとしても自然なことだと思います。そうした環境でも、真面目さや思いやり失くさずに生きてこられたことは、ずっと努力されてきたからではないかと思います。あなたが守ってこられた真面目さや思いやりは、思いやりを失いかけているこの社会で必ず生かせるとても貴重なものだと思います。

今、希望を見出す元気がないのに、周囲の人は希望を持って生きることを強要してくるように感じられて、辛くなっているのではないかと想像しました。希望の強要は、心理的に追い詰められると思います。だから、まずは責めて今感じている絶望を共有できるような場所を一緒につくりたいなと思いました。

感想を読んでの返信

コメントありがとうございました。こういった経験を誰かに詳細に話したことはなかったので、お返事を頂けて嬉しいです。

スケープゴートと言えるかは分かりませんが、他者の攻撃性を引き付けやすいなと感じます。とはいえ姉の件はともかく、学校や部活でなぜ自分が攻撃を受けたのかは釈然としません。根暗で反撃しなさそうだったからでしょうか。

スケープゴートは語源どおりだと「生贄」のような意味が含まれ、集団で孤立するようなイメージがあります。私はどちらかというと集団の中の一部から暴力を受けていました。周囲には「やめなよ~」程度に言う人はいたと思いますが、もちろん積極的には止めない感じでした。

中3の頃の加害者は弱そうな人間がいたら殴る、といったスタンスだったため、当時のクラス内には私以外にも3人ほど被害を受けている子がいました。暴力を積極的に制止してくれる人はいませんでしたが、加害者以外の他の人たちが、いじめの現場以外では普通に接してくれたことが不幸中の幸いだったと思います。

一般的に「勉強ができれば一目置かれていじめられない」などと言われますが、自分のいた環境では学校の成績が良くても平然といじめられました。

あまり話題になることはありませんが、小中学校では特に体育の苦手な男子というのはスクールカーストの最底辺に置かれがちだと思います。学校の授業の中では最もいじめに繋がりやすいのではないでしょうか。

適職についてですが、いくつか診断を受けたところでは公務員やケアワーカー(看護師、カウンセラー等でしょうか)との結果が出ました。志望していた公務員も、その動機は「安定しているし向いていると思うから」という消極的なものでした。
ケアワーカーについても、自分の心の傷ですら全く癒せていないのに、他の人をケアする資格も能力も気力も自分には無いなと感じています。

ちなみに、親には姉から受けた暴力について中学生の時に話した覚えがあります。それ以後はさすがに無実の罪を被ることはなくなったのですが、当時の辛さは「今更そんな話されても困る」「いい加減過去を掘り返すのはやめなさい」と分かってもらえそうになく、折り入って過去について話そうとしても、話題を避けられてしまいます。

信頼できる大人に頼れなかったことは深い傷跡になっている気がします。安心できる環境がどこにもなかった割にはよくここまで生きてきたなとも思います。なぜか(高校以降の)友人からは「家庭環境が良さそう」と言われ、同期からは「陽の当たる道を歩いて育ったイメージ」「純粋で素直」と言われたのですが、人のことをたくさん褒めるくらいしか思い当たる節がありません。善人でありたいとは思っているので、それが伝わっていて嬉しくもあるのですが、まさかこんな過去があるとは思うまいと寂しさや孤独感も感じます。

「こちらが何もしていないのに暴力を受け続けた」「姉からの更なる報復を避けるために、やっていない罪をやったと言って自ら父に殴られ続けた」といった経験から、「罪を犯した者は相応の報いを受けるべきだ」という気持ちが強いです。逆に児童虐待のニュースを聞くと本当に悲しい気持ちになります。「この子たちは何もしていないのに」と過去の自分を重ねてしまいます。

少子高齢化と人口減が加速する中、既に今、70歳を定年とする案が取り沙汰されています。
社会の歯車としてこれから50年間、週5日、昼間の最低9時間(私は今は通勤含め最低12時間です)働かなくてはなりません。なぜ働く必要があるのか?生きるためでしょう。生き続けて何になるのか?と思います。生きるために働き、働くために生きる。大人になるまで我慢し続けたつもりだったのですが、死ぬまで我慢することになりそうです。我慢の終わりが見えてきません。

一般的な人々にとって、子供時代は楽しく遊んでいられるボーナスタイムであり、社会人はこれまで受けた恩を働いて還元する時間なのではないか、と考えています。自分はそのボーナスタイムも苦痛と孤独の連続だったので、これからもっともっと無味乾燥でストレスに晒される環境が何十年も続くことを考えると疲れてしまいました。(世の中の人々はどうやってこの気持ちを乗り越えているんでしょうか…?)

私の場合、「今の生き方は私が望むものと違う。だから死にたい」ではなく、「生きることに疲れてしまった。もうゴールさせてほしい」という言い方が最も的確な表現です。

最近は通勤時間や帰宅後に自殺の計画を立てています。いつどこで死ぬか?退職は何年目にすれば自然に見えるか?どんな死に方を選べば良いか?確実に死ぬためにどんな準備ができるか?それらを検討している時、一番心が浮き立ちます。終わりが近くに見えていることが一番苦痛や絶望を和らげます。

生きることへの関心が低下しているのを感じます。心は穏やかで、自殺を決行した大学1年の頃のような強い絶望感を伴う衝動的な願望ではありませんが、数年後には死ぬのだという確信が強まっています。仕事で異動や転職をしてもこの状況は変わりそうにありません。恐らく職場や業務ではなく、別の要因で生きることをやめたいのだと思います。仕事というよりは人生を続けられないのだと思います。

今はここから去る準備を落ち着いて入念に行い、周囲から心配されないように心の準備もじっくりと整えながら、毎日を大切に、優しく穏やかに過ごせたらいいかなと思います。

返信への返信

コメント1

コメントに感想をいただき、ありがとうございます。学校や部活で攻撃を受けるのには、理由がある時もあればない時もあるように思います。また、その人が持つ属性や特性を理由にされる時もありそうですが、暴力にはそれよりも集団心理が関係しているような気もします。

あなたはご自身でもおっしゃるように、たくさんの秘密を1人で抱えています。あなたの経験談をきっかけに私の周り人たちのことを考えてみたのですが、死にたい気持ちを持っている人には秘密を抱えている人が多いです(あくまで私の周りの話です)。だれにも話せないという状況や、話しても信じてもらえない経験は、人を孤立させて追い詰めるのだと思います。さらに、秘密を隠してふるまう自分と本当の自分が分断されてしまい、さらなる孤立を感じてもおかしくありません。

なので、裏を返せば秘密をだれかに打ち明けたり、共有したりすることには何らかの意味があるのではないでしょうか。そう考えると、経験談があなたのなにかのきっかけになると嬉しいですし、あなたの経験談を通してだれかが秘密を打ち明けたり、共感してくれたりするといいなと(勝手に)思いました。

コメント2

感想を読んで、考えたことを聞かせていただき、ありがとうございます。

お話を読んで、私は「社会の歯車としてこれから50年間、週5日、昼間の最低9時間(私は今は通勤含め最低12時間です)働かなくてはなりません。」という部分が気になりました。それが絶対に変わらない決定事項のように書かれていたからです。

あなたの中での「仕事」あるいは「大人」のイメージは、会社や官公庁などに就職して、決まった時間の労働をして、賃金を稼ぐこと、何かしらの職業に就くこと、というイメージなのかなと思いました。

私の周りには、そういった意味での「仕事」をしていない人は多くいます。また、「一応働いてはいるけれど、仕事をしているという感覚はない」という人や、「仕事は何を?職業は?などと聞かれると、一般的に知られている職業に当てはまらないから説明できなくて困ってしまう」という人は多いです。(私もその一人ですが…)

これまで社会は自分を支えてくれなかったのに、なぜ自分は社会を支えていかなければいけないのだろうか?と感じているとしても、おかしくはないと思います。生きることに疲れたら、生き方や働き方なんてどうでもよくなるだろうなと思いますし、共感できるところもあります。

ただ、今の社会で本当に必要とされているのは、過去のルールや慣習に従うのではなく、私たち自身の中にある感性や想像力を発揮できる機会を用意して、社会を創り直していけることなのではないかな、と考えました。

強制はしませんが、どんな社会環境を創り直していけたらよいのか、どんな機会があればよいのか、一緒に考えてもらえたら嬉しいです。それは、今まさに生きづらさを感じている自分たちの苦しみを少しでも減らしていくためでもありますが、子どもたちの心が傷つくことを予防することができるかもしれないと思っています。