普通ってなに?


広島県/25歳/女


はじめまして。私は25歳の女性です。
私は幼い頃はお金などに特には不自由せず、両親や兄達も居て、端からみると幸せな家庭だったと思います。しかし、私の父は厳格な性格で「女だからこうしろ」等と特に私には厳しかったです。いつも厳しいわけでは無く、優しいときもあったため、私はいつ怒られるのかとそのギャップにビクビクしていました。(私もおてんばな子だったため、怒られるのも当然、という思考が自分の中でありました)

父は私が小学生のときに、仕事から帰ってきてリビングに私が居ないと「〇〇はどこだ」と母に言い、自室にいる私は良く呼ばれ、父の膝によく座らせられたようです。
この時から、知らず知らずのうちに、周りの友人や家族に「いい子でいなくては」という感情が芽生えたのだと思います。

この八方美人も長くは続かず、中学1年の2学期から不登校になりました。周りの目を気にして、ニコニコして愛想よくしてきましたが新しい環境でどう振る舞っていいか分からず感情がぐしゃぐしゃになったことをなんとなく覚えています。

また、私は自分の体型がとても嫌いで、小学生高学年からダイエットをしていました。しかし、自分を押し殺した生活も相まってストレスが重なり、不登校と同時に摂食障害にもなりました。
いくつもの病院に通いカウンセリングを行い、時には精神病院にも入院もしました。毎日が地獄のようでした。

高校は障害を持った方や、不登校になってしまった方が行く高校を選び、時々休みながらもなんとか卒業することができました。そこで少ないですが、今でも心を許せる友人を見つけることも出来ました。
高校で少し自信を取り戻した私は元から服飾に興味があり、洋服の販売員になりたい夢がありました。

そこで服飾の専門学校へ、販売員になるため通い出しましたが、なかなかうまくいかず、これで卒業して職につけるか不安で不安で仕方なかったです。しかし就職活動の成果がでたのがデパートの洋服売り場に配属されました。やった!夢が叶った!と舞い上がりましたがそれも束の間。失敗しては今度は失敗してはいけない、と緊張してまた失敗の繰り返しでした。お客様に見られるからには完璧でなくては、という信念でやっていましたが、結局半年で退職しました。
辞めた時は、もう自分に価値なんてない、ゴミクズの様な存在、死にたいと何日もベッドで泣きながら横になっていました。

そこからぽつぽつアルバイトをしながら、約一年後、障害者雇用で事務の契約社員として働き始めました。
しかし私はここでも完璧を目指します。ちゃんと作業をこなさねば、ちゃんと受け答えしなければ、お金を貰っているからには相応の人間にならなくては。そんなことを考えているので、自分が苦しくなり、休む日も少なくありませんでした。こんな私に価値なんてない、はやく死にたい、お先真っ暗。そんなことばかり言っていました。

そんなとき母に言われました。「あなたのいう普通は完璧と同じ。理想が高すぎる。」

現在でも、会社を時々休んでしまいます。
普通の人みたいにならなくてはと知らないうちに頑張りすぎてしまうからです。この前も4日休みました。
落ち込むと死にたい、疲れた、いなくなりたいという思いもあります。
普通とは一体なんなのか、普通を追い求めてきた私はまだ普通を見つけられていません。

感想1

経験談を送ってくださりありがとうございます。物心ついたときには、お父さんの価値観が無意識に刷り込まれてきたのかなと想像しました。お父さんだけではなく、家庭全体の雰囲気があなたの「普通」を求める気持ちを強化させてしまったのかなとも感じました。「普通」になりたいと願う人は過半数いることと私は思っていますが、私自身も「普通」に囚われて息苦しくなる時がある一人なので理解できるところがあります。

不登校や摂食障害、夢だった仕事を続けることができなくなったという一般的にはあまり良いイメージを持たれていないことを経験してきたことで、自分に価値がないと感じたり死にたいと思うのは自然な感情なのではと私は思いました。また、お父さんからの言葉や今まであなたが受け取ったであろう周りの感情や雰囲気を考えると、求める「普通」がいつのまにか「完璧でなくてはならない」に変わり、気づいたら抜け出せなくなるのも無理はないと思いました。そしてこれは想像でしかないですが、あなたは周りのちょっとした感情(特にマイナスな)に過敏だったりするのではないでしょうか。

死にトリには、あなたと似たような考えや感じ方を持っている人がいるかもしれません。もしよろしければ今後もとりコミュやここチャットなど活用しながら、あなたにとって息苦しくない「普通」とは何なのかを探していってほしいなと思いました。

感想2

経験談を投稿いただきありがとうございます。幼いころからいつ父に怒られるかとビクビクしていたとありました。そのような状況では常に気を張って心が休まることはなく、周りが思う理想的な行動をとりたいと考えるようになっても仕方がないのではないか……と思いました。

また、みんなの思う完璧ないい子でいようとしても、何が正解かわからなくなって苦しくなる部分があるのかな、と感じました。周りに合わせた対応というのはものすごく神経を使うものかなと想像します(特に投稿者様はその点とても繊細な感覚を持っていて、気を遣いすぎてしまうのではないか、と思います)。ですから、パンクしても無理のないことかと思います。

そして、自分を追い込んではつぶれてしまうことはわかっていても、なかなかいい具合に力を抜くのは難しいのかなあと感じました。自然に脱力できる人もいるかもしれませんが、真面目さゆえに、難しくなっている側面があるのではないでしょうか。頑張ろう、という強いエネルギーと、もともと持っていた体力や精神の力の差が想像より大きかったから息切れしてしまうのかなとも思いました。

タイトルと文章の最後にあった「普通」、という言葉ですが、これはとても難しい話だなあと常々思っています。少なくとも今回のお話でいえることは、母親の「普通」と、投稿者様の考えは異なっている、ということでしょうか……?みんなそれぞれ、「普通」は違うのではないかと私は思います。

そのため、周りに合わせた「普通」を……というよりも、生きやすい自分なりの「普通」というか、基準を探していけば過ごしやすくなるのではないかと個人的には思いました。


お返事

感想1、感想2どちらともゆっくりですが読ませていただきました。自分のことをこんなにも考えて分かろうとして頂けたこと、すごくうれしくなりました、ありがとうございます。

感想2、の私の考える「普通」についてですが、母親のいう普通が50点なら、私は普通を100点と感じているイメージです。

自分に厳しすぎることは世間一般からみたら自制のできたいい子、ですが実際は上手く自分を出せない生きづらい人間だということに今まで自分が積み上げてきたものは何だったのかと脱力感を覚えます。

しかし最近ですが、パートナーと出会い、この様な自分を受け入れてもらい、自分もこんな自分でいいんだ、と本当に少しずつ思えるようになってきました。

この完璧や普通を追い求める性格を改める、または共存しながら生きていけるよう足掻いてみようと思っています。