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家族。 |
3/28(木) 20:22:24 - No.20240328202224
今日、また母が癇癪気味だった。 原因は父の不用意な言葉から。 生きてきてからずっとこんな感じ。 実の父には暴力を振るわれていたらしい。実際、今でも顔に布を押し付けられたり、男性の怒号を浴びるのが苦手だ。 最終的には何人も浮気していたらしく、それが原因となって離婚した。 その後も、何処から仕入れたかわからないが当時の住所を知った彼が手紙と当時好きだったアーケードのカードゲームのカードを送ってきた。 そのカードゲームは嫌いになった。 2番目の酒乱で、酔った挙句に意味不明な説教をする人だった。彼の父は彼より酷く、でもなんでもないただの罵詈雑言を当時7歳の自分に吐き捨てるような人であった。 彼もまた浮気をした。どうやら職場の後輩であったようだ。 彼は逃げるように出て行った。私たちには思い入れも何もなかったようだ、彼の娘だっているのに。 今の父は......僕の中では及第点だ、というのも烏滸がましい話だがなんとか父として見れる程度ではある。 無論、彼も只の良い人ではないためにいやな気持になることも少なくない。いや、多いといってもいいだろう。 何せ彼によって自分の価値観というものを否定され続けているのだ。そのくせ彼の家の家業の跡取りとして期待されつつ仕事をこなさなければならないのだ。彼と、彼の嫌味な父と弟に囲まれながら。 私は男であったが、男が嫌いになった。つまりは自分の男性性についてもだ。 これは誰にも言えなかった。無論、母にも。 母は芯の強い人だ。曲がったことは大嫌いだ。 母は自分らしく生きていることを誇りに思っている。自分のした経験を誇らしそうに子どもたちに話す。 母は目敏い人だ。子どもの機微にはすぐ気付く。 母はコミュニケーション能力も高い人だ。私の友人ですらも時折彼女と話したいが為に我が家に来ている節がある者も居た。 しかし、彼女の本質を理解できているものは僅かである。 彼女は我慢のできない人だ。常に自分の気に入るようになっていないと気が済まない人でそうでないと癇癪を起こした。 彼女は普通の探究者だ。子どもたちに”普通”を強要する。 彼女は客観視のできぬ人だ。先述の彼らと似たようなことをしていたとしてもそれを愛しているからだと欺瞞する。 彼女は自己管理のできぬ人だ。彼女にブレーキもストッパーもない。 最初は私もきっと妄信していたのだ。彼女は暴虐たる父の手から守り育ててくれた恩人だと。 そんなことはなかった。彼女もまた私たちを傷付け、私たちの意思すら捻じ曲げるような人だったのだ。 実父のことも結局語っていたのは彼女なのだ。あくまで自身に残っていた体の記憶と微かにあった父が嫌いだった気持ちで信じていたにすぎないことを勘違い?していた。 そう気付けたのはごく最近のもう成人してからだった。 哀しみも怒りも無かった。あったのは「ああ、この人もか」という諦観とこれまでの人生への、また妄信していた自分への嘆きだった。 思えば家のリビングで寛ぐことも無かった。安らぎの場所は無かった。防弾壕は暗闇の中の自室とトイレだけだった。 その防弾壕も家族の団欒をしたい彼女の怒声で開門しなければならなかった。 彼女は嫌な時だけ親であった。そういう時には気付き声を掛けてくるのだ、「何かあった?」と。 しかし、彼女によって傷ついているにもかかわらずそう言うことが長年棲みついた良い子ちゃん精神で言えずに「何でもないよ」と言ってしまったが最後、彼女は怒り出すのだ。これがいつもの流れでもあった。 何度も泣いた。 家族が嫌いだ。常識が嫌いだ。自分が嫌いだ。他人が嫌いだ。 そんな思いで泣いていた。 ふと気付けば死にたい自分がいた。自分に黒いなにかが覆いかぶさるような気がしている。 幼少期、友だちをまだ信用して遊んでいた時代も、友だちだった人から軽いいじめを受けていた時も、そして今も。 でも、そんなことを人には話せなかった。絶対に母とも知り合いで且つ仲の良い人しか周りにいなかったからだ。 コミュニケーション能力も低く、人を信頼できない自分のせいかもしれないが。 そんな人々にもし、心の内を吐露してしまったが最後、良くて母とも疎遠になったおまけにこちら迄疎遠になったり、最悪の場合私が何故か叱咤される羽目になっても可笑しくない。そう思ってしまったからだ。 だから、僕は耐えるしかなかった。 耐えた末に残ったのは不眠症と役にも立たない学歴と職歴、そして気力も生きる楽しみもなくなって劣等感と無意識な敵愾心に苛まれた自身の身体だけだった。 環境を変えようと資格勉強を始めた。やる気が続かなかった。新しい趣味を始めた。義務になって今楽しめているものはきっと一つもない。 出来たのはきっと自分より辛い人がいると自分を誤魔化して薄っぺらい笑顔を引っ付けて良い子であることしかできなかった。 兄妹たちにはそんな子離れのできず自分の思うように子どもを束縛するような親たちから逃れてほしかった。 妹1人と弟1人はなんとか家を出て彼らの生活ができるようになった。僕は何もできなくて情けないと思いつつも彼らにはこれから幸せになってほしいなと思っている。末っ子の妹もADHDに悩まされながらでも仕事をするようになって自立へと向かっている。 彼らは強かった。何もできずに良い子ちゃんぶって親の機嫌を伺うような弱い兄よりもずっと。 だから末っ子の妹が家を出て弟が専門学校を卒業しそこで就職するまでは今の環境で難病になった母を支えたくもないのに支えつつ今の父の機嫌を取りながら期待にも応えながらなんとか耐えようと思っていた。 でももう限界も近い。 取り留めもないし纏まってもいないけれど、この思いを初めて吐露できた。 ちょっとだけ気が楽になったけど、それだけ。 また頑張らなきゃ みたよ3 |
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3/28(木) 18:27:50 この投稿は管理人による確認待ちです。 |
何も感じない。これって最強で最弱。 |
3/27(水) 20:03:44 - No.20240327200344
楽しいとか嬉しいの感情が無くなったのか薄れたのかわかんないけどしんどい。 ついでに苦しいとか辛いとか腹立つとかも薄れたか無くなった。 だから友達とカラオケであそんでも 親友だと思っていた人の縁が突然切れても 楽しいとか辛いって感じない…。 だから人の気持ちもくめない。 性格が悪く見える。 これって最強で最弱なのでは? みたよ23 |
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3/27(水) 19:40:06 この投稿は管理人による確認待ちです。 |
つらすぎる |
3/27(水) 19:19:27 - No.20240327191927
母に、やりたいことを伝えたら喧嘩になった。相談せずに勝手に決めるな、また途中で投げ出すんだろ、って。否定された気持ちになって死にたくなってる。つらい。母のために生きているわけじゃないけど、せめて応援して欲しかった。 みたよ4 |